ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 窪田光治の《心の旅1》 ◆◆◆
2009.05.06


このエッセイは、2009.03.12から04.29まで、姉妹サイト《日々神理の探究》に『私の心の旅1』として連載した内容をそのまま、掲載してあります。

2009.03.12
Thursday
◆ 1 悩みと迷いの解決方法 ???

 そんなうまい方法があるかといえば、無いでしょう。ただし、神理を学び、仕事を通じて色々な経験も積み、私なりの工夫というものは次第にできあがってきました。

 女性と男性にはそれぞれの立場があります。また環境や立場は皆異なります。そして本当に深刻な状況に囲まれてしまった方もおられるに違いありません。以前に、「だまされた、その上裁判になりどうして良いかわからない」、そういう方から手紙を貰ったことがあります。様々な状況がありますので、簡単に解決できない問題も多い、そのように感じています。

 一概には言えないかも知れませんが、その人の立場を誰かが代われるわけでもなく、原則として最終的には自力で解決していくしかありません。ですから、うまい方法があるわけではありません。しかし、考えること、観察すること、状況を見極めることでずいぶんと精神的な負担が変わってきます。そして、心のバランスを取り戻すことができれば、突破口を開く切っ掛けを見つけていく事が可能になっていきます。

 以下は、私の悩みと迷いの歴史であり、自分の反省を含めて、振り返ってみようと思います。

◆ 2 私の悩みと迷いの歴史

 私は31才の誕生日の直後に二人だけの会社を創立し、それ以来、社長としての仕事、技術者としての仕事、何でもやる係として、たぶん普通の人の何倍かの経験をしてきたと思います。当時まだ若かったものですから、年配の社員を雇ったり、女性のパートも増えていく中で、一番心に残っている事、私を悩ましたことは、従業員同士の人間関係、部下の教育としつけ、この二つに関することだったと思います。

 私には職場としての理想像がありましたし、皆の心をまとめていく責任がありました。みんなの意見を聞いて多数決で決めていく、そういうものではありません。たとえ全員が反対しても、全員の心をまとめる努力をして、社長が目指す方向へ社員を引っ張ってくべきなのです。

 ですから、それを実行するためには、自分を信じる以外に、物事を判断するどんな尺度もない、そういう孤独に耐えてきた歴史でもあります。自分を信じられるか、信じられる自分をどうすれば創れるのか、そう自分に問い続けました。

 自分の考えは正しいか正しくないか、他の言うことは正しいのか正しくないのか、そしてそれは何故か、他は白いという、しかし自分には黒く見える、どちらが正しいか、何を信じれば良いか、そういう葛藤です。


 それが、精神科学、成功哲学、社長としての帝王学を学ぶ切っ掛けとなり、やがて一冊の神理の本に出会い、広大な視野が開けていきました。そして、正しさの基準と考え方を学び、神の御心の一端を知るに至りました。

以下に、私の苦悩の幾つか、具体的なエピソードを振り返ってみましょう。

2009.03.13
Friday
◆ 3 自分発見の瞬間

 苦悩と言えば苦悩であったかも知れません。しかし今考えると、私は恵まれた環境にありましたから、それは贅沢な悩みであったと思います。

 大学4年生は丸一年間、卒論のための実験の日々を送りました。大学に泊まり込みで、家には一週間に一度くらいしか帰らなかったと思います。そういう関係で、就職について、また人生について深く考える事はしませんでした。

 三菱と名のつく合繊会社に就職し、地方の工場で研修をしていました。寮生活をする内に、初めて自分という存在について考えるようになりました。朝勤、夕勤、夜勤という三交代制は体調の管理が難しく楽ではありませんでしたが、しかし昼間に時間がたっぷりできますので、仲間とずいぶん楽しく遊び回っていたのも事実です。

 しかし、自分は何をしたいのか、人生とは何か、生き甲斐とは何か、自分の精魂をこめて仕事をするのであれば、果たしてこの会社にいて良いのか、考え出すと、夜も寝られず、真っ暗な中で考える日々が続きました。

 数ヶ月後、大学の先生に手紙を書いたり、上司に相談したりもしました。皆、心配して、熱心に話を聞いてくれましたが、今考えると本当にありがたいことです。相談した方は皆、数年我慢してみたらどうか、という御意見ばかりでした。それも、いろいろと考えてみました。

 しかし、胸の高まり、鼓動が収まらなかったのです。今考えると、守護霊が懸命に進路変更をせよと、そう信号を送っていたとしか考えられません。よし、この大会社をやめて、もっと小さい会社、そして好きな技術をやる、そう決心がついた瞬間、胸の鼓動が静まりかえったのです。

 就職して9ヶ月後に退職、家に帰って途方に暮れていた時期、喫茶店でふと我に返るとおみくじのケースが有り、何気なく10円を入れて、レバーを引いた自分がいたのです。最初で最後のおみくじでした。

 そこに、31才になったら道が拓ける、そう書いてありました。それをみた瞬間、心がずいぶん楽になりました。ということは、31才までは好きなことをやればよいのだ。そしてふとしたことが切っ掛けで、一年後に中小企業に再就職することになったのです。

 しかし、生き甲斐とは何か、精魂を傾けられる仕事がしたい、その念いは消えることはありませんでした。

2009.03.16
Monday
◆ 4 ある中小企業の五年間            

 最初の就職が失敗してぶらぶらしているとき、かつての学友にふと出会いました。そして、彼が就職した中小企業の見学を勧められ、行ったところ、彼の上司が会社を案内して、現在の研究内容も話してくれました。「ところで、いつから来てくれる」と問われ、ついうっかりと「二ヶ月後から」と返事をしてしまいました。

 私は、流体力学と制御工学に強い興味を持っており、その関係の研究開発へ従事することを約束してくれたからです。当時、政府の補助金をもらって花形???テーマの開発を進めていました。その開発に3年間ぐらい携わることができ、本当に勉強になったと思います。実を言うと、その時の技術の延長線上に今私が取り組んでいるロボットの開発があるのですから、大変お世話になったと言うべきでしょう。

 五年間には様々なことがあり、楽しい独身時代を過ごしていました。しかし、《やりがい》については考え続けており、何かを自分でやりたいという気持ちが膨らみ始めていました。ですから、何かに備えてというよりも何気なく、入社直後から給与の半分と賞与の全額を貯金し始めていたのです。それが、やがて次の転職先の授業料と、その次の会社創立のための資本金になろうとは、当時知るよしもありませんでした。

 入社以来、夜遅くまで開発に専念していましたので、労働組合が労働協約違反だと上司を問い詰めた事があります。私は別に苦では無かったし、むしろ楽しく仕事をしていましたので、上司もかなり困ったようでした。結局、組合は特例として認めてくれたようです。結婚後も相変わらず、家に着くのは11時頃と遅い毎日でした。しかし、ある日突然、その状況が変わったのです。

 第一次オイルショックです。会社の業績は著しく悪化し、希望退職でどんどん人がやめていきました。同時に、開発はストップし、一年以上何の仕事も与えられない時期がありました。仕事をしないで給料を貰っていたのですから、肉体的には楽でした。残業は一切無し。家に帰っても、まだ日が高い。

 《やりがい》を追求していた私にとって、また同僚達も同様に、それは精神的にかなり苦しい体験でした。自分で勝手にテーマを見つけて、仕事をしているふりはしていましたが、人の役に立たないばかりか、何も生産的な事をしないで給料を貰っているというのは、耐え難いものがあります。そんな日が続く間に、同じ悩みを持つ同僚達と終業後に勉強会を社内で開催するようになったのです。

 中小企業の限界も知り、この会社で自分の一生を思い描いても、先が見えるような気がしてきた時期でもあり、当初の純粋な技術勉強会は次第に会社創立研究会に変わっていきました。役員にも目を付けられたことがありますが、独立することで全員が一致し、それから一年間、在職しながら、いろいろな調査研究を行いました。

 しかし、何ができるか、いろいろ調べても一向に目途がたちません。そのうち、リーダ格の先輩が、ある零細企業に株主として全員が入社する、そして経営に参加するという案を提示しました。その会社の社長と既に話がついていたのです。そして、とうとう先発組と後発組に別れて退職することになりました。

 結果として、それは大失敗でした。しかし、この時の破れかぶれと見える行動は、私にとって、非常に大きなプラスとして作用することになったのです。

2009.03.17
Tuesday
◆ 5 零細企業の1年半

 そこは木工所を改造した限りなく普通の家に近い工場であり、私達技術者五人は六畳の押し入れのある二階にそれぞれ机一つが与えられました。しばらくして六人になり、果たしてこんなところで何ができるのだろうかという念いはありましたが、いやここを出発点として未来を切り拓いていくのだという念いで、全員が心を一つにしていたことは間違いありません。

 さらに、一人当たり100万円を資本金としてその会社に投じました。今から、30年以上前の話です。1ヶ月10数万円で、何とか家族を養えた時代の100万円です。しかし、そのお金はすぐに借金の返済に消えていったことを後になって知りました。会社の経営というものについて、まだ私達は何も知らなかったのです。

 入社して一年ほどは、いろいろな機械や測定機を受注しては設計・製作しました。大手の鉄鋼メーカーにおける、造船用の分厚い鉄板の自動溶接技術の開発に私は参加し、一定の成果を上げられた事は大変思い出に残っています。何故ならば、吹けば飛ぶような会社でありながら、そういうことができたとという事実は非常に重いものがあります。

 しかし、経営内容は火の車、自転車操業、借金の山、というのが実態であることが次第に私にもわかるようになりました。常務はいつもうんうんうなりながら、頭をひねり、資金繰りに苦しんでいたのです。ある時、私に尋ねました。金融機関からお金を借りたいんだけど、なんか良い智慧はないだろうか、いま何を開発しているか教えて欲しい、それを材料にお金を借りようか、こんな具合です。

 あるとき、押し入れを開けたら、雑多なものに紛れて一枚の封筒が出てきました。開けてびっくり、小切手が入っていたのです。また、事務員と経理担当者が、計算が合わない、と話をしているのを側で聞いていたのですが、なんと半年前の計算が合わないと話していたのです。そして、この会社はもうすぐ倒産すると直感しました。

 入社後約一年、皆の努力のかいもなく、社長はもう駄目だと皆に話しました。そして、四人は退社し、別の就職先へと移っていきましたが、私ともう一人は、どういうわけか更に残って、本当に倒産するまでの経緯を観る事になったのです。

 ある時、社長は私に代表者印を預けて、私が持っていると危ないから、窪田君しばらく頼むよと言われました。そして、経理担当者からはある手形を私に渡し、会社に置いておくと債権者に持って行かれるから、窪田君がこれを預かり、期日が来たら銀行で現金化し、従業員へ給与の一部として支給して上げて欲しい、そう頼まれました。

 そうして、振り出し手形の不渡りを二回出した後、銀行取引停止、倒産しました。半年前、仲間が四人退社した後ですが、私は心の準備が次第に整いつつありました。その間、給与は数ヶ月分支給されていませんでしたが、私は会社の倒産という事実をしっかりと観たかったのです。

 会社を整理しているある時、女子事務員に聞きました。「経理って難しいのですか、どれぐらい勉強すればいいのか」、という質問をしたのですが、「簡単よ、それより仕事を取ることの方が大変よ」、と言われ、なるほどそうか、ではしばらく考えるのをやめようと、そう思いました。

 会社整理と同時に独立する決心が固まりました。今まで、日本を代表する大会社、上場ながら中小企業、そして零細企業を経験し、倒産する経緯をしっかりと経験してきました。出資した100万円を惜しいとは思いませんでした。私にとって、お金には換えがたい、経験のための授業料となったのです。

 こうすれば、会社は倒産する。従って、こうしてはならない、それがハッキリとわかったのです。

① 必ず収入の範囲で支出を決める。
② 裏付けの無い借金はしてはならない。
③ 経理は完全でなくてはならない。
④ 社長は、目に見えないお金の動き、物や人に化けているお金の動きを、リアルタイムで把握していなくてはならない。

 そして、創業の心構えが整いました。もう一人の人間を説得することにも成功しました。そして、海図のない海原へこぎ出す小舟に似て、幾多の嵐に遭遇したりすることは当然あるだろうが、必ず成功するという気持ちに満ちあふれていました。

 そして、私は沖へと漕ぎ出したのです。

2009.03.18
Wednesday
◆ 6 そして創業                 

 31才で会社創立に至った経緯をお話ししました。人生の目標を求めての苦悩でしたが、別に苦悩一杯の顔をしていたわけでは無かったと思います。それなりに、楽しい独身時代を過ごせたと思います。そして、この時は既に結婚していましたし、長女も生まれていました。

 ただ、心の中では、いつも何かを考え、何かを求めていました。既に会社を3つ経験し、とうとう4つめは自分で会社を作ることになったのです。簡単に言うと、もう行くところがなくなった、そういう言い方ができます。

 その時《今ならば、必ずうまくいく、打ち寄せる波に小舟を漕ぎ出せば、すーと沖へ行くはずだ》、そういう不思議な心境でした。大学を卒業して以来、ずっと考え続け、独立するという心が次第に醸成され、その機会が今きた、そう感じたのです。

 会社創立時、私は経営に関して何も知りませんでした。専門である機械設計においても、大学を出て9年余りたっていましたが、正味の経験は7年ぐらいだったでしょう。ですから、帳面の付け方、手形とか、小切手とか、そういうものは全て、創立後に走りながら勉強したのです。また専門の技術も経験もまだ未熟そのものでした。

 さて、会社はどうすれば創れるのか。家内の父に聞いたところ、良い人を知っているよ、と紹介された人が、日銀出身で戦後の財閥解体の仕事をし、大手水産会社の専務をされた経歴をお持ちでした。

 新宿、安田火災ビルの最上階、広い役員室に案内され、新宿御苑と町並みを一望に見渡しながら、「こういう話は、見晴らしの良い高い場所でしないとね。」と言われました。そして、「窪田さん、会社なんて創るのは簡単ですよ、本屋に売っていますから」、と言われたのです。確かに売っていました。全ての書類を網羅し、説明書付きの法令集を売っていたのです。

 経理もその人に教わりました。更に監査役を引き受けてくださり、株主にもなっていただけました。損益計算書はわかるとして、貸借対照表の原理はなかなか理解に苦しみました。しかし、実際にやっている内に、なるほどすばらしく良くできた会計システムだという事が次第にわかったのです。

 その方に、封筒は二度使うように、一円でも無駄にしないように、収入以上の支出をしないようにと、《それさえ守れば、会社は潰れません》、当たり前のことですが、この様に教えられました。

 その当たり前の事ができていない、その最たるものが国家であり、自治体であるのです。資本主義崩壊で述べましたように、今は、企業の存亡の危機ですが、国家財政破綻が顕在化するカウントダウンは既に始まっています。

 話がそれましたが、創立後、心に一大転換があったことに気がつきました。それは、《やりがい》について、一切心に浮かばなくなっており、もはや考えることをしていない自分に気がついたのです。

 それはすなわち、やりがいを手に入れたのであり、その懐に飛び込んだからに他なりません。これから起きることの一切は自分の責任であり、自分で蒔いた種は刈り取らなくてはならない、そうです、誰を頼ることもなく、自分で切り拓いて行かなくてはならないのです。そして、努力次第で、その成果を上限無く獲得することが可能になります。当たり前のことです。

 大学を卒業して以来、あれほど求めていた《やりがい》をとうとう得た。しかし今考えると、それは私の《心の旅》の始まりに過ぎず、実際の仕事においても苦闘の連続だったのです。(当時は、苦闘という意識すら無かった、それほど生きるか死ぬかの真剣な毎日でした。)

2009.03.26
Thursday
◆ 7 石の上にも三年

 創業した時期は、丁度、高度成長期の後期であり、人件費が次第にコストを圧迫しつつありました。そして省力化・自動化が叫ばれ始めており、また生産技術が飛躍的に進化する直前の時代でもあります。

 会社設立までの数週間、毎日書類作成に追われました。当時は、株式会社設立のハードルは今より高く、資本金は幾らでも良いというわけにはいきませんでした。発起人は7人必要であり、自己資金だけではとうてい足りないのでいろんな人に御願いして500万円を用意しました。

 最初は手形を振り出す事はできません。信用が無く、誰も受け取ってくれないからです。ですから、全ての仕入れは現金決済でした。しかし、仕事の対価は一部を除いて全て受け取り手形ですから、それを現金にしなくてはなりません。

 有名一部上場の会社の手形ですら、銀行に持ち込んでも、容易には割り引いてもらえない、そういう時代でした。現金が欲しいのに、逆に定期預金をさせられたり、根掘り葉掘り聞かれたり、何度もいやな思い出があります。なにしろ、汚い作業服を着た人間が、松下とかビクターとか、一部上場会社の額面数百万の手形を持っていくのですから、疑われたのかも知れません。

 仕入れから、製品が完成し、客先の検収が終わり、手形を受け取るまで、下手をすると5ヶ月ぐらい掛かりますから、500万円の資本金はみるみる減っていき、設立半年語に10万円まで現金が減りました。

 それから、本格的に回収が始まり、ようやく水平飛行に移ることができましたが、相変わらずの低空飛行ですから、いつ墜落して資金が底をつくか、受注と設計と回収の狭間で、また毎月の仮決算では赤字になったり多少黒字になったりと、毎日が薄氷の上を歩いているような心細い心境でした。

 当初、何しろ実績がないだけに、良い仕事を取ることはできません。ですから、単価の安い仕事でも仕事があるだけで喜んだものです。また受注できる仕事は、経験のない仕事ばかりですから、技術的なトラブルの連続であり、それでもそれを完成させなくては検収をあげてもらえません。

 初めての技術への挑戦は、問題解決に長い時間を要します。しかし納期が決まっていますから、寝る時間を減らしてでも仕事をするしかありませんでした。パートの時給より安い単価で、月に400時間ぐらい働いていたと思います。家にはただ寝るために帰る、そういう日々が続いたのです。家に帰る時間も惜しく、徹夜したり、会社で寝泊まりすることも良くありました。

 仕事が無くなるたびに、こういう日々がいつまで続くのか自問し、心の中をすきま風が吹くようなそういう感情に襲われることもありました。ところがです、石の上にも三年とか言いますが、本当にそうだったのです。三年の間に、知らず知らずのうちに信用がついていました。また必死で働きましたので技術の蓄積と向上は著しいものがあったのだと思います。

 こんな仕事ができるんだったら、もっと良い仕事があるよと、顧客から言ってくれるようになりました。そこから単価の高い、また総額の高い装置や測定機、次第に自動組立機のような高度な技術を要する機械を受注できるようになっていったのです。

 友人が、二代目として浜松の鉄工所を経営していましたが、歯切りをした自動車部品の歯幅を精密に測定する簡単な装置を造って欲しいと彼に言われました。格安で造ってあげて、彼の会社で使用していました。工作機械のかたわらに置いて、できあがった部品を即座に全数を測定し、もし不良品が出た場合は、直ちに機械を調整するために使っていたのです。

 彼の工場を見学に来た親会社の社長がそれを見て、すぐさま私の会社に電話が掛かりました。早速伺ったところ、5、6人の生産技術者を呼んで、この会社に何か仕事を出せ、そう言ってくれたのです。またその直後、私の会社、と言っても20坪のプレハブ、よく作業現場にあるような汚い建物ですが、そこへ社長は技術者数人をつれて訪れ、宜しく頼みます、とわざわざ表敬訪問までしてくれました。

 それでも、経験のない技術への挑戦は続き、同時にそれはトラブルの歴史でもありました。そして、仕事量が増え、作業量が増えると、同時に儲かるようにもなります。3年を過ぎた当たりから人を次第に採用するようになりました。

 そこから、また様々な問題に悩まされるようになったのです。

2009.03.27
Friday
◆ 8 真っ暗な闇にすかな光を探す努力       


 細かい技術上のトラブルは数知れないぐらいあります。むしろ、設計した通りに機械が動いたことは一度も無いと言った方が正確な表現です。設計通りに動かない機械を動かすようにするのが、本当の技術力であるとさえ私は考えています。

 技術的に非常な大きなピンチも何度かありました。悪くすれば、お金をもらえないばかりか、それまで投じた時間、労力、製作したり購入した部品、それらが全て無駄になっしまう。最大の苦痛は信用を無くしてしまうことです。

 顧客は何ヶ月も前から、その機械が完成することを前提として、ラインの構築をしているのですから、もし納期までに完成して動かなかったら、もう二度と仕事はもらえないでしょう。ですから、それだけは絶対に避けなければなりません。

 創立後一年ぐらいの時、納品した製品が、一日数千回動作するのですが、一週間ぐらいで重要な部品が壊れてしまうトラブルが起きました。直ちに予備の部品と交換し、次に壊れるまでの一週間ぐらいの間に、原因を突き止め、その部品を改良しなくてはなりません。原因を見つけるのは大変に困難でした。簡単に言えば、購入した部品の製造工程に原因があったのです。

 またある時は、一週間に一度、納入した機械の調子が悪くなる、その度に夜中に修理に行く、これを半年間続けたときにはさすがに精神的に追い詰められました。原因をいろいろ調べた結果、第一原因はその会社の製品に封入している潤滑油を、空圧部品の潤滑油として使用していたからです。そうして、ゴムシールが膨潤して作動不良を起こしていたのです。

 しかし、それだけでなく機械内部に茶色の粉末が貯まり、やはり動作不良を起こす。結局は、供給されている窒素ガスの中に僅かに含まれている粉末が、内部に堆積するらしいことが分かりました。結局は、機械の設計段階では全く分からないことであり、正に想定外の事でした。こういう事は結構多いのですが、原因がわかるまで大変な時間が掛かります。

 しかし、担当者が言ってくれたのです。「夜中でも修理に来てくれる、ありがたい。お金を追加で出すから、根本的に改良して欲しい。」この言葉には本当に救われました。

 この様な経験を何度も何度もしてきたのですが、特に大きなトラブルは、その原因が純粋に技術的なことではなく、機械の使用条件や使い方、また設計段階では予想できなかったことなどが原因で発生している事が多いのです。

 精神的に追い詰められ、それでも逃げるわけにはいきません。技術というのは絶対にごまかしができないのです。駄目な物は、駄目なのです。追い詰められて出口が見つからない日が続くと、本当に闇に包まれたような心境になります。しかし、そこで気をゆるめたり、思考停止になると、技術者としても経営者としても脱落することになりますから、私は真剣でした。寝ても覚めても考える、それこそ脳みそを絞り出すぐらいに考え続けるのです。

 原因を必ず見つけてやるという、いや必ず見つかるという信念だけです。しかし、前回、石の上にも3年と言いましたが、真っ暗な闇をじっと見つめていると、ある時、小さな弱い光にふと気づく、インスピレーションです。そして、その小さな光を見つめていると、次第に大きくなり、やがてハッキリと原因が見えてくる、いや心の目で観るという感じです。

 私は、そういう経験を通して、とことん考える、闇夜の光一点を求めて考える、そういう訓練を会社創立直後からいやというほどやって来ました。ですから、今でもどんな状況でも考えることを大事にしています。考え続けていると、いつか瞑想状態になり、半分寝ているようなことが良くあります。それをくり返す内に、ふとインスピレーションが働き、問題の原因を明瞭に観ることができるようになります。

 神理を学んでから、インスピレーションの原理を知りました。表面意識でまず最大限の努力をすることです。やがて、その念いは潜在意識に浸透し、守護霊様、指導霊様が適切な時期にヒントを与えてくれます。あくまで、ヒントです。それが、闇夜のかすかな一点の光なのです。そのかすかな一点の光に気づくか気づかないか、気づくためには心の湖面が無色透明、また波風のない状態が必要です。ふとしたときに気づくとは、そうした状態の時です。

 闇夜に一点の希望の光を見出したならば、それが大きな明かりとなり、自分の心を明るく照らすまで、問題解決の道筋を切り拓いていく努力が更に必要です。しかし、糸口が見つかれば、それは比較的容易にできるはずです。これが自力と他力の関係です。最初から、守護霊様に御願いしても、そう簡単に助けてはくれないでしょう。それでは、地上に生まれた意味が無くなってしまいます。

 インスピレーションがあった、お告げがあった、これを鵜呑みにすると大変危険なので注意しておきます。天国から来るインスピレーションと、地獄から来るインスピレーションと、二種類ありますから、自分の心の状態を点検すること、またその内容が真に正しいものかどうか、見極めることが大切です。

2009.03.31
Tuesday
◆ 9 秩序の構築1

 会社創立時は、全くの世間知らずでした。そういう人間がいきなり人を使うようになったのですから、技術よりも人から学ぶことが多かったように思います。細かいことは沢山ありますし、愚痴に近いことも多くありますが、参考に書いてみましょう。

① タイムカード

 数人の女子パート、事務員を雇うようになってからです。タイムカードがありませんでしたので、自分でノートに記録して、集計して、それに対して賃金を払っていました。最初はうまくいっていました。ところが、少しアバウトな人が入社するとおかしくなりました。

 多少遅刻しても、定刻退社時に数分長く働けばいい。それがこうじると、数分ぐらいの遅刻は良いだろうとなります。そういう人が一人でも居ると、社員同士が疑心暗鬼になり、互いが気まずくなっていきます。そしてとうとう、あの人はいい加減にノートに記録している、と私に直に言うまでになりました。

 なるほど、これはいかん、とうことでタイムカードを設置し、一分でも遅刻は遅刻として処理し、15分単位で給与から差し引く、そういうシステムに変えました。また、自分の時計とタイムカードの時計がずれているとか、そういう人も出てきます。ですから、タイムカードの時計が全てです、そういう就業規則を創ることになります。

② 洗濯機、自転車

 数人の男性だけの会社の時は、多少汚い手ふきであろうと、頓着しませんでした。しかし。女子事務員が入ったりすると、私が家でついでに洗ってきますから、と言ってくれて、では御願いしますというわけで、しばらくは大変うまくいっていました。

 ところが、新人が入ると、交代制になり、何で私だけがしなくてはいけないの、仕事とは関係ないジャン、そうなりますから、またお互いが気まずくなります。そういうことに男性は気づくのが遅いですから、気がついたときは一悶着あった後です。

 また商店街まで、文房具や諸々の必需品を買いに行かせると、近いところでしたが、自分の自転車で行くと言います。今度は別の人が行くときに、何で自分の自転車を使わなくてはならないのか、自転車が減るジャン、まあこうなる気持ちは理解できます。

 そこで、洗濯機を買い、自転車を買うようになります。そして、就業規則に追加されます。

③ 経理

 経理ができるという人を採用しました。その人はそろばん一級、当時はそろばんがまだ主流の時代です、これは頼もしい、それがしばらくすると一変しました。

 とにかく、おしゃべりが好きでたまらない人でしたので、何度も注意しましたが、直りません。そろばんをはじきながら、おしゃべりをする特技があったのです。これは失敗した、と思いましたが、そう簡単にやめて貰うことはできません。

 案の定、記帳と計算が至るところで間違っていたのです。当時は、パソコンではなく振替伝票というものをまず起こし、それから元帳に記入していきます。そして、借り方と貸し方の合計額が合わないときは、どこかに間違いがあるわけです。

 毎月、一度仮の決算をしますが、毎回間違っているのですから、たまりません。本人は時間が来たら帰ってしまいますから、結局は私が自分でその誤りを探すことになります。1ヶ月分の伝票と記帳を見直すのですから、大変でした。

 ある時は、百万円単位で間違っているのですから、泣きたくなります。しかし、私はそのおかげというか、間違い探しの訓練のおかげで、経理のシステムをいやというほど頭に叩き込むことができたのです。ですから、今でもお金と物の流れをしっかりと把握しています。

 これは、機長がリアルタイムで計器を見ながらジャンボ機を安全に快適に運航するのに似ています。計器が会社では経理に相当するからです。経理が正しく分からない社長は、計器の見方、また何を表示しているか理解できない機長と同じであり、乱気流で、また離着陸時に、事故を起こすことになります。

 その人が、出産のためにやめてくれたときは、本当に救われたと思いました。

2009.04.01
Wednesday
◆ 10 秩序の構築2             

④ 掃除1

 なにしろ、外見は昔の工事現場のプレハブの建物、それが工場兼事務所ですから、冬は寒く夏は暑い、おまけに隙間がありますから、ホコリが入りますので、すぐに机や作業台の上がざらざらになりました。

 始業前に床とテーブルの掃除をしていましたが、工場を広げるに従い、だんだんと一人当たりの負担が増えてきました。そうすると、始業前に掃除をするのが不満になる従業員も出てきます。当然、手を抜く人も出てきます。

 一週間に一度ぐらいで良いのでは無いかと提案する人が居ました。その人は、現在の幹部の一人ですから、如何に感覚がずれていたか、そのために私は良く覚えています。そこで全員を集めて話をしました。

 整理整頓と掃除が仕事以上に如何に大切か、そういう話をしました。汚れた仕事場では、人の心の中も汚れてきます。そうすると楽しくありません。当然、仕事も丁寧にできなくなります。また細かいところに気持ちが行き届かなくなります。従って、会社は目に見えない損失を生むことになります。社員も会社も損失を被ることになります。

 会社の経営においては、目に見える損失よりも、目に見えない損失を産んでいないか、よくよく注意が必要です。整理整頓、清掃は極めて大事な仕事なのです。

⑤ 掃除2

 またこういう事もありました。創立以来、私が先頭に立って毎朝の掃除をしていたのですが、私は早く終わらせたいために、ものすごく忙しく体を動かして、どんどんやるらしいのです。それが、他の社員にとっては、落ち着いて自分の掃除ができないらしいことが分かりました。ある時、社長は掃除なんかしないで欲しい、我々の仕事が無くなるし、丁寧に掃除ができないのでやめて欲しい、と言われてしまったのです。

 それ以来、社員を信頼して、朝の掃除を任せることにしました。掃除をしているときに、見回ることもしていません。

 笑い話の様なこともありました。事務所では、毎朝、ゴミ箱の中身を収集しています。考え事をしながら、机の上の紙ペラを捨ててしばらくして、数字を書いた大事なメモだった事に気づき、あわててゴミ箱を覗くと、もう何もありません。

 そして、収集したゴミ袋をひっくり返して、メモを探す事になります。それ以来、メモは何気なく机の上に置かないようにし、テープで必ず留めるようにしています。そうすると、一瞬の注意力が働いて、捨てて良い物か、良くないか、正確な判断をする瞬間が持てるからです。

⑥ ゴミ箱の中を覗く大会社の社長

 こういう話をホンダ系列の会社の従業員から聞いたことがあります。ホンダの社長は各地の工場をヘリコプターに乗って視察します。視察予定の工場では、隅から隅まで清掃して社長の視察を待ちます。ところが、ある工場で降り立つやいなや、社長はまっすぐに近くのゴミ箱に近づき、中を覗いて、一枚の布を取り出しました。

 機械の油を拭くためのウエスと呼んでいる物です。通常は、何度も洗って使います。「こういう物を捨てている工場をこれ以上見て回る必要はは無い」と言って、帰ってしまいました。一を見て、十も百も知る、こういう事は幾らでもあります。

 皆さんは、掃除①②とこの話から何を考えますか。掃除を徹底したり、一枚のウエスを大事にするのは何のためであるか、分かるでしょうか。一枚のウエスの値段は安いものです。そうすると、こういう人が必ず出てきます。洗って再利用すると、人件費が掛かるからもっと費用が掛かる。掃除だって、社員がやるよりも、掃除のおばさんを雇った方が安い。と言うわけです。

 こういう事です。一枚のウエスを大事にできる心は、あらゆる精密かつ細かい部品、その組立、管理等、様々な分野で仕事をする人の心を、次第に繊細で易しい心として醸成していきます。つまり、社員のモラルが向上し、全ての仕事の流れがスムースになる、従って見えない利益を上げていく、会社に貢献する、利益が上がる、利益の一部は社員に還元される、こういう意味があるのです。掃除も同じです。

2009.04.02
Thursday
◆ 11 秩序の構築3

⑦ 採用した翌日やめていく事が続く

 またこういう事がありました。パートとして採用した女子社員が、採用の翌日やめていくということが何度かありました。新聞広告、面接、選抜を経て採用した人ですから、大損害です。

 何故だろう、他の社員に聞いても全く原因が分かりませんでした。ところが、ある時、何年か働いていた社員がやめるというので、どうしてやめるのか、何か気に入らないことがあるのであれば遠慮無くいって欲しい、原因を探ろうとして私も必死でした。

 そうすると、涙を流しながら重い口を開いてくれたのです。結論は、いじめ???だったのです。相手の方は、仕事の良くできる人でしたし、我々男性から見ると大変愛嬌のある人でしたので、まさかと思いました。たぶん新人の仕事ぶりにいろいろと親切心で指導したのだろうと思いますが、本人は気がつかずとも、その言い方や指導の仕方にとげがあったり、相手が嫌がるような言い方をしたのでしょう。

 まあこういう事があって、女性だけで仕事をさせると、非常に良くないということを知りました。そういうわけで、なるべく工場や事務所では男女が混在して働くように心がけるとともに、新人に対する最初の指導は管理者が直接行う事にしました。やがて当の本人は、何事も知らず、別の理由でやめていきました。

 やはり女性は男性の目を気にし、男性は女性の目を気にする、そう神様はお造りになったのでしょう。その方が、男性も女性も活き活き働けるようです。

 余談ですが、定年退職後、当社における第二の定年80才まで働いた男性パート社員が数人、またそれに近い年齢まで働いた男性パート社員も何人か居ましたが、皆さん仕事を非常に楽しんで居たように見えました。

2009.04.03
Friday
◆ 12 秩序の構築4

⑧ アブノーマル社員

 時はバブルの絶頂期、人材を募集してもなかなか人が集まりません。猫の手を借りたいほど忙しいので、良い人材が集まらなくて、苦労していた頃の事です。

 ある時、組立係として若い男子を採用しました。面接の時は、さほどおかしいとは思わなかったのですが、これがとんでもない社員でした。

 工場の一階でトイレに入り、何気なく窓から外を覗くと、奇怪な物が外にありました。白い陶器の蓋のようなものです。ふと気づくと、水洗トイレのタンクの蓋がありません。何故無いのか、そして外の奇怪な物体は何か、その二つが結びつくまでしばし時間が掛かりました。

 何と、奇怪な物体とはタンクの蓋だったのです。誰がやったのだろう???? いろいろ情報を集めていく内に、ある社員の動向がおかしいという事が分かりました。その社員は、大事な機械部品を持ち上げて、みんなが見ている前で床にわざと落とし、にやにやするらしいのです。

 またある時、出張から帰ると、社長大変でしたよ、と一番に言われました。灯油が倉庫の床にまかれて、みんなで大騒ぎ、あわてて掃除をしたという事でした。即座にやめてもらいました。

 またある時、なかなか人材が採れないので、設計要員として派遣社員を採用しました。ところが大した戦力にならず、教えながら仕事をしている内に、またいろいろと奇怪な話を聞くようになりました。

 時間になると、事務所ではお茶を飲みながら仕事をしますが、その人は誰も見ていないときに、いろんな人の湯飲みを口にするらしいのです。それで、皆、気味が悪くなり、社長どうにかしてください、と言うわけで、真偽を問いただし、やはりやめて貰ったことがあります。

 またある時、電気関係の設計ができるというので、採用したところ、どうも様子がおかしい。教えても、きちんと理解ができないようなのです。とんでもない嘘つきを採用してしまったと後悔しましたが、やはりやめて貰うしかありません。

 しばらくして、その人はバイクで配達の仕事をしているのを見かけました。どうやら、気楽な気持ちで応募したらしいのですが、こちらも人が欲しいので、よく確かめもせず採用してしまったという事です。しかし、それほど人が居なかったのも事実です。

 バブルの絶頂期は、年間数百万の広告費を使って、ある一定の学歴や経験者を募集しても、応募者は皆無という時でした。その後は、若干緩和されてきています。この急速な経済不況に至るまでは欠員が出る度に組立や事務員を募集すると、定員の10倍以上の応募も珍しくはありませんでした。

 しかし、真に有用な技術者は、なかなか来てくれません。そこで、私はこの世界大恐慌を待っていたのです。「資本主義の崩壊」で述べたように、私の計画では今から二年後、経済が最悪の時、たとえ赤字経営であろうと、徐々に有為の若者を採用していき、各部門の後継者として育てたいと考えています。

 果たした、私の計画は実現するか、しないか、実現しなければ私の会社はやがて衰退の一途をたどることになります。

2009.04.06
Monday
◆ 13 人生の目的発見1        

① 人生の目的と仕事

 大学を出て就職した直後から、自分の人生について考えはじめ、この会社に居て良いのか、生き甲斐とは何か、人生とは何か、夜も眠れないほど考え、悩んだ事をお話ししました。そして、31才で自分の会社を創立してしばらく後に、生き甲斐とは何かというテーマを考えることは全く無くなっていたことに気づいたとも書きました。

 しかし、まだ何のために生きるのか、という問題についての解答を見つけることはできませんでした。無我夢中で仕事をしていた時期、特に最初の3年間、その後の4年間というものは全く余裕が無かったために、本を読むことすら無かったと思います。

 創立時は20坪の事務所兼工場でしたが、7年後に60坪になっていました。そして創立8年目に、更に100坪の床面積を新たに増やしたのです。ですから、人も増え、私個人の収入もかなり増えていました。

 その頃から、自由な時間が増え、次第に様々な本を読むようになりました。政治経済の本、成功哲学、社長の帝王学に関する本などです。

 収入は増えた、これからは贅沢をし、余暇も楽しんで、老後を楽に送りたいか、それが人生の目的か、そう考えたとき、どうも違うように思えます。余暇というものも、仕事があって楽しいのではないか、そう思えます。

 余暇と仕事の違いは何か。余暇は好き嫌いでやるもの、だからやりたいときにやるが、やりたくないときにはやらなくて良い。仕事は、本来好きでなくてはできないものですが、好き嫌いを超越してやるもの、ですからやりたいからやるのではなく、やるべきものだからやる。

 また仕事はプロの道です。どんな人でも仕事を一筋にやった人は必ずプロになります。プロと素人の違いは何か。プロは必ず成功するやり方、上手に仕上がる方法、周囲と調和する手段を知っています。ですから、素人と決定的に違うのです。料理でも、美容でも、大工さんでも、左官屋さんでも、あらゆる職業のプロが居ます。

 主婦業もプロとアマがいると思います。時々、子育てに失敗した人などの話が、いろいろと紙面やニュースを賑わす昨今です。仕事は、この世に生を受けた人の、最も大事な魂の砥石であると思います。仕事を通じて、心が成長し、魂も進化する、そういう神聖なものであるという理解が必要だと私は考えています。ですから、単なる労働の対価という考え方に私は賛成できません。

 プロの道を追求することは、その人の智慧と精神性を限りなく高めていく要素が含まれているわけですから、老後に楽をすることが私には楽しいとは決して思えなくなったのです。ですから、体力の続く限り、一生現役を続けたいと考えるようになりました。つまり、人生を楽しむとは、一生、自分を高めていくことであると気がついたのです。

② 一生努力を続けるためには、あの世は必ず存在しなくてはならない

 しかし、もう一つの問題が浮上します。では、自分を精神的に高めていくとして、死んだら何も残らないとしたら、何のために自分を高める努力をするのか、それは空しいのではないか。死後は無であるとしたら、無になるために努力なんかできないだろうか。

 死後はあるのか無いのか、何のために自分を高めたいのか、それは死後も自分が存在しなければ無意味では無いのか、そう考える日々が続きました。

 そして、ある時に一冊の神理の本に出会い、数ページを読む内に私の胸の鼓動は高まり、心の琴線が共鳴し、一挙に涙が溢れ、喜びに満たされました。今から19年前の事です。その本から伝わる波動がそうさせたのです。これは、本物だ、自分が探し求めていたものだ、それが直感としてすぐさま理解できたのです。

 以来、懸命に神理に関する様々な本を読み続けました。今もそうです。しかし、読むだけではなく、考え、洞察し、神の心を推察する、そういう日々を送るようになったのです。そして、私は数万年に一度というとんでもない時代に産まれたことを知りました。

 ということは、私だけでなく多くの人々にも言えることですが、この世で生き、仕事をする以外に、第三の人生の目的が無くてはならないことになります。

2009.04.08
Wednesday
◆ 14 第三の人生の目的

① とんでもない時代とは

 前回、第三の人生の目的が無くてはならない、と書きました。しかし、この問題は人によって異なりますし、また『とんでもない時代』をどのように認識するか、またできるかというのは個人によって異なります。また、私が説明したからといって、信じる人もいれば、信じない人も居られるでしょう。

 とんでもない時代とは、私のHP http://www.the-seven-seals.jp/ に詳しく書いてありますし、また拙書「七つの封印」http://www.the-seven-seals.jp/seven/J-0sevenindex.htm では更に詳細に解説しています。前書きと後書きを読むだけでも、私の主張がかなり理解されると思います。興味のある方は参照してください。

 私個人として考えるとき、このとんでもない時代をどのように生きるか、また生きればよいのか、その解答を探すことが始まりました。それは一冊の本を切っ掛けとして神理を学び始めて数年を過ぎた頃の事です。

 当初は、この貴重な神理を世に広めるためのお手伝いをしたいという気持ちが支配的でしたが、幾つかの事件を切っ掛けとして、世に広まる可能性はもはや完全に無くなったことを確信したのです。(ただし、個人的には今もこうして努力を続けています。)

 しかし、とんでもない時代は、すぐそこまで来ていることは間違いありません。今回の、資本主義崩壊はその先駆けです。正に『ヨハネの黙示録』に予言されている通りであり、着々と進行しています。拙書で多くを割いて解説した通りです。

② 神のお考えは何処にあるか

 神は何をお考えになってるのか、つまりはこの事を知らねば、このとんでもない時代をどのように生きればいいのか、別の言い方をすれば、何を心の支えとしていけば良いのか、また目標とすれば良いのか、それを悟る事はできないという結論に達します。

 ある理由で神理の伝道は挫折する、神はその事をあらかじめ知っていたに違いない、そう確信したのはかなり早い時期でした。そして数年後に、その裏付けを発見したときは非常な驚きでした。

 拙書『七つの封印』で僅かに触れたのですが、約2000年前に神がこの日のために準備した『ヨハネの黙示録』の記述の中に、その裏付けを発見したのです。ヒントは『血染めの衣』です。その瞬間、真の《神の偉大さ》を私は知った、そして感動と共に熱い涙に濡れました。

 また、私のHPにおける『神理の書籍紹介コーナー』でさりげなく紹介しましたが、日木流奈君の詩の中に、更にそれを裏付けるメッセージを発見したときも大きな衝撃でした。そして、神の心の一端を知った、そう思いました。『仏像の微笑み』とはこういう事か、それを感覚的に捕らえることができた、そう言えるかも知れません。いずれ、《神の偉大さ》というテーマで、HPにまとめようと考えています。

 神の偉大さを知っていますか、という問いに多くの人は知っている、分かっている、何故ならばそれが神だから、そう応えるでしょう。

 しかし、私が言っている《神の偉大さ》とは、単なる概念でも想像でもなく、今も人類の行く末を見守っている実在の神、すなわち2000年後の今に備えて『ヨハネの黙示録』をこの世に送った神、そしてこの日本に遣わした数人の預言者達を含めて、神は今何をお考えになっているか、少なくともその一端を知るという事は衝撃であると言っているのです。

 そして、それを知ったならば、慈悲の光と熱エネルギーを直接心に感じることができるのであり、神の偉大さとは一体どういう事か、それを自分の肌で知るチャンスが今私達には与えられている、私はそう主張しているのです。そういう意味の《偉大さ》なのです。

 それを知ることで、貴方の人生の目的がかなり明確になると思います。興味のある方は、上記のヒントを頼りに、探究してみてください。

 大分脱線しましたので、再び本題に戻り、次回は会社経営の中で『如何にして己心の魔を封じるか』、そういう視点から、書いてみようと思います。

2009.04.10
Friday
◆ 15 仕事場と己心の魔1       

 秩序の構築というテーマで、タイムカードの話、洗濯機の話、自転車の話、掃除の話、経理の話などをしてきました。これを心の問題として捉えて、《己心の魔》との関連という視点から考えてみましょう。まず、

① 己心の魔とは何か

 読んで字のごとく、自分の心の中に住む悪魔の事です。人にはそれぞれ己心の魔というものを養っています。では、貴方は性悪説なのかと言われると、そうではありません。私は、性善説の立場ですが、人間であるならば《己心の魔》はあらゆる人に住む、と申し上げています。

 しかし、魔が実際に住みついているという話ではなく、心の作用として確実に存在しているという事です(ただし、真の魔が実際に住み着いている人も、あるいは良く出入りする人も実際におられますが)。では心の作用とは何か。肉体を持つことが原因で起きる心の作用であり、迷いとも言えます。過去が封印されて、自我が成長すると同時に育ってきます。

 肉体を持つことで基本的な本能が備わります。食欲、睡眠欲、性欲、更に自己保存欲や自己顕示欲、そして支配欲や権力欲など、一口に欲といってもいろいろな表現がありますが、基本的には、自分を守りたい、自分を満たしたい、という性格のものだと思います。

 個体の生存、種の生存のために必要なものとして神が備えたものですから、本来、それらの欲自体は善でも悪でもないのです。しかし動物と異なり、自我、想像力、感情が豊かな人間であるがために、被害妄想、猜疑心や嫉妬、ねたみや恨みを誘発し、欲望は際限なく拡大増殖されていくという《エネルギーと方向性》を持つことになります。

 ですから、《中道の教え》とか《足ることを知る教え》を物差しとして、自分の心の動きを観察し、その膨張に歯止めをかけ、適度なバランスをとることが大切です。心のコントロールですね。ところが客観的に自分の心を観ることができないとき、欲望は様々な妄想と共に発展し、あたかも別の人間が居るように話しかけてくる、つまり対話が始まります。それを己心の魔と呼んでいるわけです。

 不調和な暗い波動を発している時、その人の心は《魔の心》と同じ心になっているということです。これは、真我と偽我のテーマのところで述べましたが、真我も偽我も貴方自身であり、それは交互に入れ替わることができる、そういう話をしました。

 これと全く同じです。偽我と己心の魔とはどういう関係があるか、大いに重なると思います。しかし、本題からそれますので、その検証は別の機会にしますが、一念三千といって、人の心は瞬時に魔の心となったり、天使の心となったりすることができるということです。それが互いに対話をするようになり、魔の心が全体を支配したとき、何が起きるでしょうか。

 いわゆる《出来心》ですね。《魔が差す》という言葉もあります。そこまで行くと、背後に本当に魔が近寄っている場合が多いと思いますが。人間であるならば、《己心の魔》は大なり小なり誰にもある、そう申し上げました。

 このブログを読むような方は、調和ということに対して意識が高い方ばかりですから、己心の魔が頭を持ち上げた瞬間に、あっ、出てきたな、と分かると思います。しかし、そういう方は社会の中ではごく少数です。

 では、社会や家庭を調和していくためにはこの出来心を如何に封じていくか、未然に防ぐか、別の言い方をすれば、その人を悪人にさせないか、それが様々なリーダーとして大切な仕事である事に気がつきます。

 会社創立以来、様々な経験を通して、私がたどり着いた結論を次回に整理してみようと思います。

2009.04.13
Monday
◆ 16 仕事場と己心の魔2

② 己心の魔を封じる秩序の構築

 「2-15 仕事場と己心の魔1」の冒頭で、「秩序の構築というテーマで、タイムカードの話、洗濯機の話、自転車の話、掃除の話、経理の話などをしてきました。これを心の問題として捉えて、《己心の魔》との関連という視点から考えてみましょう。」と始めました。

 そして、己心の魔は誰にも有り、それ自体を善とも悪とも言えない、と申し上げました。何故なら、私達が肉体を持ち、進化(魂の成長)のための教育を受けるのは神の計画であり、肉体をほどよく維持管理するために本能や欲望があるのであって、それは神が人間に与えたものなのです。言い換えれば、神の慈悲として考えるべきものです。本能や欲望を汚らわしいものとしてまた罪として捉えるのは全く正しくないということです。

 社会の秩序というものは、お互いが調和して生活していくために欠かせないものだという認識を誰でも持っているわけですが、己心の魔という視点から秩序というものを考えると、更に深く理解できるのではないかと思います。

 自己申告によって給与計算をしていたが、やがてアバウトな人が入ってくることが切っ掛けで、疑心暗鬼を従業員同士に抱かせる結果を招いた、その対策としてタイムカードを導入した、と書きました。

 これは、一人の人の己心の魔が頭を持ち上げて、少しぐらい良いだろうと、約束事を拡大解釈し、勤務時間をごまかすようになった事を原因として、他の人の己心の魔も起き上がってきて、互いに気まずさが増幅していきます。タイムカードの導入は、己心の魔が頭を持ち上げる隙間を無くす意味があったということです。

 洗濯や自転車の話も同じです。人の好意にだけに頼っていると、最初の内はうまくいきますが、やがて苦情を言う人が出てきて、人間関係まで気まずくなります。気がつかない内に、修復できなくなります。ほんのちょっとしたことで、人間は悩んだり、不満が増大することになりますから、秩序というものは悪の芽を未然に摘み取る意味を持つ、と言えます。

 当初は始業前に掃除をするように決めていました、それは従業員の好意を強制していたことになり、やはり同じ結果を招きました。始業前に掃除をしたり、仕事の準備をしたり、心を整えてから神聖な仕事に取り組みたいと考える人は、何の違和感も持ちません。しかし、そうでない人の場合、それは苦痛に代わります。

 現在の私の会社では、各自の分担だけを決めてあり、始業前でも始業開始後でもどちらでも好きな時間帯に掃除をしてくださいということにしてあります。ほんのちょっとした違いですが、そうすると、己心の魔は頭をもたげてきません。

 最初、反感を持つ人であっても、周囲の人の態度に学び、掃除を続ける内に、掃除の大事さを理解し、やがてそれが良い習慣になります。結局は、会社に来てチャイムが鳴るまでの間に、掃除をしてくれるようになります。そして、皆気持ちよく仕事に取りかかれるのです。

 ですから、規則や秩序の構築というのは、自由意志を持った人間同士の調和を創り出し保つために不可欠のものだと言えます。つまり、人間は自由意志を持っていますから、そのままだと自由と自由がぶつかり合うことになり、その結果、様々な不調な現象が発生してくることになります。不調和の芽を未然に防ぐために大切なものだということになります。

 秩序とか規則を人間を管理し監督するためにあるという考え方は、私は好きではありません。確かにそういう視点で考えることもできますが、しかし、それは高慢な態度に思えます。そうではなく、各人の己心の魔を封印し、その人に悪をさせない、罪を犯させない、そういう機能が秩序とか規則と呼ばれるものであると考えた方が、より本質に近く、またより良い秩序が形成されていくと考えます。

 ですから、規則や秩序を創り上げるときに、そういう視点を取り入れると、問題が鮮明に見えてくるのではないでしょうか。

次回は「③ 悪の芽を積極的に摘むためのシステム構築」と題して、考えてみたいと思います。

2009.04.15
Wednesday
◆ 17 仕事場と己心の魔3         

③ 悪の芽を積極的に摘むためのシステム構築

 秩序は従業員同士・また従業員と経営者同士の調和を保つために不可欠であり、そのために就業規則や労働基準法などがあります。しかし、それだけでは不十分なのです。己心の魔、悪の芽を積極的につみ取るシステムが必要なのです。

 例えばこういう場合です。以前には、銀行員がお客の預金を横領し続けていたとか、経理の人間が長年にわたり資金を個人的に流用していたとか、時々ニュースになります。これは昔から良くある話なのです。

 大抵は、権限が集中しており、他人がその内容を知ることができない場合に発生し、長期間にわたり不正が行われていても誰も気づくことができません。大きな会社の経理は、複数の人が関与しており、監査も厳重です。また過去の経験から、不正が発生しないような、いや、できないようなシステムになっています。

 しかし、小規模の会社、組合、その他の組織はそうではありません。経理責任者は大抵一人であり、その人が資金繰りと、経費の支払い等を担当しています。そのような小規模の組織は、全国の大部分を占めていると言って過言では無いと思います。当社も例外ではありません。

 会社を創立してしばらくは経理と財務・資金繰りの両方を自分でゃつていましたから、何も心配はありませんでした。そして、経理を人に任せるようになり、資金繰りを自分でやっていた時期もあります。しかし、今では経理だけではなく日常の資金の移動や手形の割引などの計算と実務を人に任せています。

 伝票や経理の入力間違い、また不正が発生しないようにしないと、経営者は安心して経営ができません。どうすれば良いのか、私はいろいろと考え工夫をしました。具体的に話しても皆様は興味が無いでしょうから省きますが、現在は全く安心できるようになっています。

 つまり、その方法は、お金を預かる人の「不正の心・己心の魔」を完全に封じるものです。大抵の経理担当者は真面目だと思います。しかし、長年、権限が集中し、周囲の人が職務内容が分からなくなったとき、「ふと、己心の魔が頭をもたげる」という事は充分にあり得ます。

 組織において、それをさせてしまうようなシステムがあるとすれば、それは経営者の責任であると私は思います。ですから、その担当者はある意味で被害者であると言えるのです。その人を悪人にさせないために、様々な工夫が必要なのであり、それを怠ったとしたら、その経営者の責任は大きいと私は思います。

2009.04.17
Friday
◆ 18 組織を狙う集金詐欺・己心の魔4

④ 怪しい請求書を見破るシステム

 最近のことですが、こんな事がありました。経理担当者が、妙な請求書を持った人が支払いを求めて来ています、と私に言いました。何のことかと話を聞くと、当社の申込書というのがあり、それに従って経営雑誌を送った、ついては代金を支払って欲しい、そういう趣旨でした。

 そして、その申込書を見たところ、当社の社判と社印が確かに押してあります。しかし、申込者の名前がありません。当社では、全ての納品について、発注した人の名前が必ず分かるようになっていますから、あり得ない話です。

 そして、私はその申込書を持参した少し人相の良くない人の前で、それを詳細に調べ始めました。私は偽造かも知れないと直感したからです。そうすると、その人は、さっとその申込書を私の手から取り上げ、社に戻りよく調べてみます、と言って急いで帰っていきました。たぶんもう二度と来ないよ、私は周囲にそう言いました。

 また時々、不明な請求書が郵送されて来ます。不思議なことに大抵35,000円ぐらいの金額です。社内では、誰が何の目的で何を発注したか、全てが分かるシステムになっていますから、不明な請求など本来あり得ない話です。その請求書の会社???に電話して見ると、即座に「そうですか、身に覚えがありませんか、それでは捨ててください」という返事が返ってきました。あっと驚くほど、あっさりしています。

 またこういう事もありました。集合看板に御社の広告を出したので、料金を支払って欲しい、ついてはこれが御社の申込書ですと怪しげな書類を持って集金に来ました。これも例によって追い返したわけです。

 何故、こういう事が商売になるのか。おそらく、手当たり次第に請求書を送ると、かなりの割合で送金され、濡れ手に粟の集金ができるのでしょう。現在の振り込め詐欺は、もっと悪質ですから、犯罪として立件できます。しかし、ここでお話ししたような手口は、犯罪であるにしても、検挙するのは難しいでしょう。実際に被害に遭っていることすら分からずに、毎年不明なお金を黙って支払っている会社がかなりあるのだと思います。

 仲間内でそういう会社のリストが売り買いされたりしますから、油断するといろんなところから不明な請求書が来ることになります。不明かどうかさえも気がつかなければ、犯罪になるかどうか、ですね。詐欺というのは騙される人が《一定の割合で居る》ために、おいしい商売になります。一定の割合いないと、採算が合わないために商売になりません。

 これらは積極的な悪ですから、個人ベースの出来心・己心の魔というテーマからはかなり外れていますが、しかし、騙される人がいて始めて成り立つ商売であるという点を、両者の心の問題として考えたとき、騙される方にも責任があると言えないわけではありません。

 社会も人間の集合体である以上、その社会の心というもの、人格に相当するものがあるはずです。その社会という人格の心が、犯罪を助長している側面があるということを、己心の魔と関連して指摘したいと思います。

 これは、個人でもあり得ることです。皆様のご家庭や会社は果たして本当に大丈夫ですか。

 《私の心の旅》ということで、会社創立以来の話をしてきましたが、次回は創立時にお世話になった方の死について、お話ししたいと思います。

2009.04.20
Monday
◆ 19 唯一の恩返し            


 31才で会社を創立した話をしました。その時、会社ってどうやって創れば良いんですか、そういう相談に乗っていただいた方の話です。その方は、日銀出身で大手水産会社の専務を務められ、退職後は損害保険会社の代理店をされていました。

 「窪田さん、会社なんてのは簡単に創れますよ、本屋に売っていますよ。」そう言われたのです。会社を創るよりも、仕事をとること、会社を経営していく方が難しいのです。だから、創ってからが大切です。そう教えられました。

 その方は経理畑を歩いてこられた方ですので、専門家と言えます。創立後半年間ぐらいの間は、一週間に一度会社に来られ、私はその方から帳簿の付け方、貸借対照表と損益計算書の作り方、そして試算表の作成の方法を教えていただきました。

 その後は数年間、自分で帳簿をつけ、決算書も自分で書いて税務申告もしました。その後は、次第に事務員に仕事を任せるようになっていきましたが、今でもその時の実務経験が活きています。やはり、実務をやったことがあるというのは、単なるシミュレーション・机上の訓練とは異なり、いざというとき本当に役に立つものです。

 そしてそ創立後約17年間、その方に監査役として、目配りをしていただくことになったのです。しかし、大した報酬を差し上げることもなく、お礼もままならなくて過ごしていました。既にかなり高齢になられ、80才に近くなられた頃から、時々連絡が取れないので、どうされたか心配していました。

 丁度そのころ、どうしたものか迷いましたが、嫌がられることを心配して行動しないのは良くないと思い、私は思い切って一冊の精神世界に関する本お送りしたのです。すると、入院されていた病院から電話があり、「窪田さん、本をありがとう、私はあの世が本当にあることがハッキリと分かりました。ついては、もう何冊か送って下さい。」ということでした。この時ほど、やはり送って良かったと思ったことはありません。

 その後、間もなくその方は亡くなられたと、聞きました。と言いますのは、遺族の方の話ですが、遺体を献体し医学の発展に協力するという遺言に従い、葬式も家族だけでされたとの事です。そういうわけで、私はその方のお葬式にも行かずじまいでした。

 しばらくして、10枚ほどの便せんに細かい字をびっしりと書きつづった感謝の手紙を奥様からいただきました。奥様もご高齢であったはずですから、これだけ長い手紙を書かれるのは、余程の事だと気付き、胸が熱くなりました。

 感謝というのは、実はこういう事でした。奥様は宗教心の篤い方で、お若い頃から成長の家に入られ、初代総裁の谷口雅春師とも御懇意であったそうです。しかし、亡くなられたご主人は仕事一筋で、奥様が宗教的な話をされても何も関心を示されなかったと書いておられました。

 しかし、私が送った、たった一冊の本が、その御主人の信仰心を芽生えさせ、そしてあの世の存在を確信させ、安心立命のもとに寿命を迎えることができたと奥様は言うのです。死の前日までいつもと変わらず元気にしていましたが、翌日になり朝食に出てこないので見に行くと、廊下で既に死んでいたとの事でした。主人は本当に心安らかに旅立ちました、窪田さんのおかげです。そういう内容のお手紙だったのです。

 私の人生にとって決定的な岐路において、大切な事を手をとり教えていただいた方に、この様な形で御恩返しができるとは思っても見ませんでした。と言いますのは、この様なケースは希だからです。

 ある時、やはり親戚の高齢の方に本を送りましたが、窪田さん、あの世なんてのは迷信ですよ、人間は死ねば空気と土に帰るんですよ、それよりもそんなことをされない方が貴方のためですよ、と逆にお説教されたこともあります。

 かろうじて恩返しができたのも、守護霊様の導きだと思います。いつかあの世に帰って、一言しっかりと「ありがとうございました」と言わなくてはならない、その日が来ることを楽しみにしています。

 次回は、「創立以来の右腕と社員の独立劇」と題し、自分の反省を含めてお話ししたいと思います。

2009.04.22
Wednesday
◆ 20 社員の独立劇1           

① 1990年、バブル崩壊

 創立以来、1990年に日本の経済バブルが弾けるまでの約15年間、右肩上がりで売上げは増え続け、社員数もそれに従って増えていきました。丁度それは、日本の高度成長の末期でした。国内の人件費は非常に高くなり、大企業は競って人件費の安い東南アジアそして中国へと生産拠点を移しつつありました。

 バブルが弾け、日経平均の暴落、土地価格の暴落が始まり、会社の成長は止まりましたが、前述した大企業の海外移転に伴う設備の受注が相次ぎ、好調さは維持されていました。しかし、日本経済は相当に悪化しつつあり、金融危機が勃発した頃の事です。1999年の事だったと思います。

 創立以来、私と共に苦労を重ねてきた右腕と言っても良い部下がいましたが、彼の部下4人を引き連れて私から独立することになりました。以前から、どうもおかしい、という雰囲気を感じていたのですが、宣言されたときは、さすがに驚きました。しかし、慰留しても、もとには戻らないと悟り、すぐにあきらめ、その後の対応を考える事にしました。

 彼は、生産設備の特注(顧客の設備をその都度設計しては製作する一品料理)を担当していました。しかし、それらの基礎技術は、私が創立以来、ずつと先頭に立って会社に蓄積してきたものです。彼とその部下が独立すると、事実上その部門を継続することはできなくなります。

 私はその時、その部門の一部を切り捨て、二度と受注しないことに決め、会社を別の方向へ向かわせる決断をしました。設備の特注は、金額も大きく、装置も複雑で、一見すると大抵の人は「すごいなあ」と思うでしょうが、経営的に見ると決して安定的に利益が上がるというものではありません。言い方を変えれば、蓄積した技術と人生という時間の切り売りのような仕事です。

 私は、残された人生をもっと技術開発志向の会社にするために使うことにしました。ですから、独立した彼らが担当していた分野を再興しようと私はしなかったのです。では、なぜ彼らは独立したのか、その核心についてお話ししましょう。

2009.04.24
Friday
◆ 21 社員の独立劇2

② 独立劇の核心

 大企業の生産拠点の海外移転は一段落しつつあり、設備の特注の仕事は確実に減っていくだろうと、私は確信していました。そして、資本主義の崩壊というテーマでお話ししてきたとおり、1990年のバブル崩壊後、金融危機を経て、日本は財政破綻へと向かいつつあり、そしてまたドルの暴落、世界大恐慌へ向かいつつあることを、事あるごとに社員に話していました。

 そして、来るべき世界大恐慌、日本の財政破綻という未曾有の危機を生き延びるために会社としての備えを固めつつありました。また、社員の心構えを創るために様々な情報を回覧という形で流し始めていました。しかし、彼らは今までの成功体験を忘れることができずに、「独立すれば自分たちはもっと稼げるし、給料も高くできる」そう言ってはばからなかったのです。

 取締役が部下を連れて退職し新会社を立ち上げるのは、商法で禁じられており、背任罪になります。しかし、それを言ったところでどうなるものでもなく、また形を変えてやるでしょうから、私はあきらめました。そして、当社の技術の一部を図面と共に彼らに提供し、また一部の顧客取引も認め、客先に対してその旨も伝え、互いにこれからも協力していこうと、覚書まで交わしました。しかし、協力というのは今まで一度も実績がありません。

 その後の様子を伝え聞くところによると、何があったか知りませんが五人の内二人が、創立した会社を退職したようです。そして、現在に至っています。この世界大恐慌の入り口に立ち、おそらく受注も激減しているだろうと思います。会社の内部留保も乏しく、社長個人の蓄えも少ない、そんな中にあって社長はどんな心境だろうか、それが気がかりです。

 取締役を含む五人の社員の独立劇は、創立後の大事件でした。彼らも会社にとって大事な財産でもあり、また継続できなくなる顧客と技術内容が一部に発生するのですから、会社として大きな損失と断絶です。ですから、私だけでなく残った社員にとっても大変辛いことでした。

 残った人は、その対策に翻弄されて、大変な思いをしました。しかし、私を理解してくれていた社員は、その後、益々団結するという結果となり、その独立劇以降、会社の体質を変えつつ、新製品も次々と出し、売上げも大きく伸ばしてきました。しかし、とうとうここで、世界大恐慌を迎えることとなったのです。

 現在、売上げはピークの約1/3に落ちています。しかし、売上げが例えゼロでも、五年は倒産しないから、心配しないように社員に言っています。もちろん、賞与はカット、給与削減はやむを得ないものとして、全員が何も言わずに承諾してくれました。そして、安心して技術開発に、そして様々な仕事に打ち込んでくれています。

2009.04.27 Monday
◆ 22 社員の独立劇3
          
③ 教訓と反省

 では何故、私は
彼らを掌握できなかったのか。彼らの言い分も私は聞きましたし、私の言いたいことも彼らに言いました。

 しかし、所詮、経営者の考え方を社員に理解せよと言っても、それはなかなか難しいものです。真に経営者の意識を理解できるのは、経営者だけだと思います。創業者と雇われ経営者とを比較すればまたそこにも意識において大きな差があるでしょう。

 私も欠点がいろいろとある一人の人間ですから、どちらが正しいとか、正しくないとかという議論はほとんど意味がありません。私は彼らを非難するつもりもないし、また彼らは自分の信じる道を選択したのですから、やむを得ないことだと思いました。

 ただ、私自身の反省としては、

1.一人の人間に会社を二分するような大きな権限を長期間与えていると、その人が野心を持ったとき、会社は危機的状況に陥ることを学びました。

2.社員に権限を与えつつその人の能力を伸ばしていくことは極めて大切なことですが、権限というのはまた与えすぎないことが大切であると知りました。

3.資本主義崩壊と世界大恐慌に備えて、給与や賞与に業績と実績を大きく反映させたり、また公平な給与システムを構築しようとしていましたが、こういう問題を急ぎすぎると反感を持つ人が必ず出てくるということを学びました。

 余談ですが、給料を充分に貰っているという認識を持った社員は、例え大企業であってもたぶんいない思います。また、技術や営業職というのは、労働時間と実績は一致しません。従って、残業時間に従って残業手当を出していると、能力の低い人の給与が高くなるという現象が起きてきます。

 話がそれました。操業以来の片腕でしたから、あらゆる事を知っており、技術的にも高いものを持っていました。しかし、それは創造力・オリジナルなものを開発する力という意味ではありません。会社の発展と共に、彼に付けた部下が、彼と共に一つの壁を作り始め、社内の風通しが次第に悪くなっていきました。

 己心の魔をテーマとして、経理その他の話をしましたが、一人に大きな権限が集中していると己心の魔が頭を持ち上げてくることがあり得るという事です。何とか、風通しを良くしようと努力はしてみましたが、一旦、少しでも反感を持った分子が壁の中にいると、次第に逆効果になっていきました。私の力の無さと言えます。

2009.04.29
Wednesday
◆ 23 社長は独裁者

④ 社長は独裁者であるからこそ、誰よりも心を磨かねばならない

 では、己心の魔という点で、社長はどうかという問題ですね。社長には本質的に絶対の権限があります。それは、信賞必罰の権限であり、人事と待遇を一人で決定する権限を持っています。廃業したり、倒産するのも自由にできます。当然、就業規則に拘束されませんし、大企業はともかく自分の給与は自分で決めるものです。社員が働いているときに、遊んでいることも可能です。

 では傲慢で独りよがりでよいかというと、そうではありません。そんな会社ならば、まず発展はしないだろうし、良い顧客にも恵まれません。一時、良いときがあっても、持続できないはずです。社長は誰よりも謙虚であり仕事熱心で顧客(社会貢献)を大事にし、その実現のためには何よりも従業員を大事にしなければ、結局は身を滅ぼすわけです。その危うさを一番良く知っているのは社長自身です。

 ですから、権力が集中している点において、社長というのは独裁者と言えるでしょう。特に、創業者であれば絶大です。別の言い方をすれば、何でも切れる刃物を持っているわけで、その使い方を誤ると、自分自身さえも切ってしまいます。またうまく使わないと、切りすぎてしまいます。そういう喩えができるでしょう。

 偽装問題などで、せっかく長い時間をかけて築き上げてきた会社を、自ら倒産させてしまう社長がニュースになる昨今です。己心の魔に負けたとしか言いようがありません。

⑤ 心の旅は続く

 それだけに、経営者は社員の誰よりも精神的な境地を高めていこうという意識を強く持ち続けていく事が大事だと思います。操業以来30数年間、社長職を通して学んだことは大変大きかったと思います。『真に信じ切ることができる自分自身を創り上げなくてはならない、そのために何をすれば良いか』と自問自答しながら今までやって来ました。まだまだ私の心の旅は続きますが、ひとまず終わりにしようと思います。

 既に、人生の第四コーナーにいますが、世界大恐慌、国家財政破綻という未曾有の環境変化の中で、更に会社経営を続けていかねばなりません。もっと大きな試練があることだろうと思います。拙書、ヨハネの黙示録を解説した『七つの封印』にあるような様々な天変地異やその他の災害も予想される中で、一生、心の旅は続きます。であるならば、その旅を楽しみながら行きたいものです。

 皆様の心の旅もまた同じだろうと思います。

終わり

                        



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