ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

1.はじめに

 今より、神理を既に深く学んだ方に対して、大事なことを訴えていきたいと思います。私達は知ってか知らずか、聖書にある「その日、その時」(マタイ24-36)の時代に三次元世界の住人となり、様々な縁があって神理を学ぶ機会に恵まれました。そして、「その時」という時代を認識しただけでなく、過去・現在・未来を生通す旅人として、その世界観(実在界と現象界)は飛躍的な広がりを持つに至りました。その結果、何らかの使命があって現世に生まれたのだという自覚を持つに至った事でありましょう。

 しかし、この地上の現状をつぶさに観察すると、「その日、その時」を迎えるための霊的状況は必ずしも良いとは思われません。この現状の中で個というものと使命というものがどう調和されるべきか、簡単に言えばどういう生き方をすべきなのか、私は長い間考え思索し続けました。ここでは、現在までに到達した私個人の見解を述べてみたいと思います。

2.天界の大軍           

 「ベールの彼方の生活(潮文社/G・V・オーエン著)」第四巻(天界の大軍)の第七章「天界の大軍、地球へ」の中の一節を紹介します。

 天界の大草原のはるか上空へ向けてキリストの軍勢が勢揃いしておりました。上方へ向けて位階と霊格の順に一段また一段と階段状に台地(テラス)が連なり、私も仲間の隊員とともに、その上方でもなく下方でもなく、ほぼ中間に位置するあたりの台地に立っておりました。雲なす軍勢の一人一人がそれぞれの任務を帯びていたのです。
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 地球の方角へ目をやると、さまざまな色彩が幾つもの層を成して連なっています。それは私の界と地上界との間の十の界層を象徴する色彩で、これより下降すべく整列している軍勢の装束から放たれているのでした。その下方、ちょうどその軍勢の背景となる位置に、霧状のものが地球を取り巻いているのが見えました。そのどんよりとして分厚く、あたかも濃いゼリー状の物質を思わせるものがところどころで渦を巻いている中を、赤色と暗緑色の筋や舌状のものがまとわりついているさまは、邪悪の化身である蛇が身の毛もよだつ地獄の悪行に奔走しているさまを彷彿(ほうふつ)とさせ、見るからに無気昧なものでした。

 その光景に吾々は別にしりごみはしませんでした。恐怖心はいささかも抱きませんでした。それどころか、愛と僚友意識の中で互いに手を取り合い、しばし厳粛な思いに浸りました。これからの吾々の旅はあの無気味な固まりと立ち向かい、しかもそれを通過しなければならないのです。目指す地球はその中にあるのです。何としてでも突き抜けて地球まで至らねばなりせん。陰うつ極まる地球は今こそ吾々の援助を必要としているのです。その無気昧な光景を見つめている私の脳裏に次のような考えが浮かびました。――“人間はよくもあの恐ろしい濃霧の中にあって呼吸し生きていられるものだ”と。
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 イエスキリストの陣頭指揮のもと、地上を浄化するために、今正に地上に降下せんとして全軍が整列した情景です。これをビジュアルに表現したら、さぞや一大スペクタクル、厳粛で感動的な場面だと思います。もし、この場面を脳裏に描いて、感動される方はこの軍勢のひとりであったに違いありません。

3.「144,000人の印を押された者達」は「法につけ」

 「予言のシナリオは決定済みか ???」の中で、「ヨハネの黙示録」の特徴の一つとして、
「生ける神」「イスラエルの子ら」「144,000人」という言葉が全文の各所に散りばめられていると述べました。これは正に、「その時」という時代に多くの天使達と、「生ける神」すなわち神の代理人である偉大な預言者が生まれる事を暗示しています。

 144,000人の中には既に生まれた人もいれば、これから生まれる人もいることでしょう。そして、この日本では、幕末天保年間に人助けのために霊能力を発揮し、大きな足跡を残した中山みき(芹沢光治良著「教祖様」善本社 参照)がいますが、今再び復活し、湯河原で多くの人に語り続けています。また、以来、何人もの方が、預言し、霊能力を発揮し、宗教を起こしてこられました。いずれにせよ、いろいろな形で非常に多くの法が説かれて来ました。また海外においても、スピリッチュアリズムに関する優れた霊界通信書が、数多く出版されて来ました。

 この日本において近年、大量の法が説かれてきたという事実、これは紛れもないことであります。一方、具体的内容については言及しませんが、霊的な意味で大きな混乱状態にあることもまた事実です。法が説かれるときは、魔が競いたち、跳梁跋扈する時代でもあります。本物の法もあれば、偽の霊言書・霊界通信本が発刊されるという玉石混交の中で、誰が「生ける神」であったのかどうかについて検証する、あるいは議論する意味はもはやありません。簡単に言えば、今となってはどうでも良いことなのです。

 高橋信次氏の教えに、「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉がありますが、この言葉こそ、雲間に隠れた明けの明星を指し示す指針として、私達が拠り所とすべき教えだと思います。法とは、神が人間に与えた智慧の結晶であり、その法がある限り如何なる事があろうとも、私達は「迷える小羊」であってはならないのです。《法の存在と予言》、すなわち学んできた大量の法と「ヨハネの黙示録」・「ジュセリーノの予言」から神の意図を忖度し、何をなすべきかを自分の頭で考え、今後の生き方に対する覚悟を決める時が来ているのです。

4.神理に触れた時の感動       

 使命などと言うと、なんと大げさなという方もおられます。それはその方のお考えですから、その方にとってはそれでいいと思います。しかし神理を学び、たとえ知識だけであろうと、人類の過去と未来そしてこの時代がどういう時代であるかを知り、神のお気持ちの一端を知った者としては、やはり使命という言葉を使わざるを得ません。

 引用した「ベールの彼方の生活」の一節と、「ヨハネの黙示録」の一節が私達とどういう関わりがあるのか、それは定かではありません。しかし、ここで語っている一人の天使の気持ちが胸を打って伝わってこないでしょうか。また地球が置かれている状況を理解し、自らの問題として感じ取られないでしょうか。

 使命を自覚されなくとも、使命を果たしつつある方は、いろんな分野において沢山おられます。ですから、自覚するかしないかは本質的な問題ではないかも知れません。しかし、神理を学べば自ずから使命感というものが沸いてくるものです。神理を学び始めた頃の念いの新鮮さを、もう一度思い出してみたいと思います。

 神理に触れた当初は感動の連続であり、突然開けた世界観の広大さに目を見張り、そして正に生まれ変わったような新鮮さを覚えました。今はどうでしょう、神理を学ぶための書籍は沢山あることを知っていますが、地上の霊的混乱の極みによって、神に対する確かな手がかりが感じられなくなった、そして昔のあの感動を《忘れよう》とさえされているのではないでしょうか。

 天界の諸指導霊はどのようにこの地上を見、守護霊は皆様をどのように見ておられるでしょうか。全ては過ぎゆき、状況は刻々と変わっていきます。現在がいかなる状況であろうと絶対に希望を失わないこと、あの頃の新鮮な感動を忘れないこと、そして「法につく事」が大事だと思います。今こそ、《信仰という神との絆》をしっかりと握って離さない、その念いを確認する《最後の時》である、なぜならば、一旦、暗黒の世となり、あわててその絆を探しても、もはや見つけることは難しいであろうと思われるからです。

 信仰という絆をしっかりと持ちて、少しでも良い方向へと向かうよう《愛の念いを持続》し、また様々な関わりを積極的に保っていくことだと思います。「その日、その時」をお忘れになっていると思われている方々に、聖書の言葉を引用して、《目を覚ましているように》申し上げます

5.「目を覚ましていなさい」  Watch therefore, ...... 英文の表現

 以上の主張に関連した、イエスキリストの言葉が、聖書の「マタイによる福音書」24章、25章に見られます。引用しながら私の考えを更に述べてみたいと思います。全部を引用する訳には参りませんので、御自分の聖書で全文を読んでみてください。とても興味深くお感じになると思います。

 ここで、watch という単語は、注意深く見る、見張る、などの意味であり、単に目を覚ましていよというよりも、もっと強い意味であり、心の目をしっかりと開いて、その時が来るのを注意深く観察しなさい、そしてその時を待ちかまえていなさい、そういう意味です。

 私は、「ヨハネの黙示録」以外は聖書というものをほとんど読んだことがないのですが、ふと、この「マタイによる福音書」が目に留まって何気なく読んでいるうちに、生存中のイエスキリストは、人類試練の時代が来ることを、はっきりと弟子に語っていたことを知りました。そして、「Watch therefore, ......」という言葉が、何度も繰り返されていることに気がついたのです。マタイ24章、25章は正に現代の事であり、日本の霊的現状を予言したものとして、極めてよく当てはまります。

日本聖書協会 新約聖書(1975年版)より

24-14 そしてこの御国(みくに)の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣(の)べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

24-21 その時には、世の始めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな艱難が起こるからである。

24-22 もしその期間が縮められないなら、救われる者は一人もいないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。

24-29 しかし、その時に起こる艱難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。

24-32 よく聞いておきなさい。これらの事がことごとく起こるまでは、この時代は滅びることがない。

24-36 その日、その時は、だれも知らない。・・・・・・・ただ父だけが知っておられる。

24-42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。

24-51 ・・・・彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

25-1 そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出ていくのに似ている。
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25-13 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。

25-14 また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕(しもべ)どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。
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 24章、25章の全文を通して、イエスキリストが語っていることを、私なりに解釈し要約してみます。

 全世界にキリストの教えが広まった後、最後の時がやってくる。それは人類の文明が始まって以来かつてなく、また今後もないであろうほどの試練である。あなた方の多くも肉体の死を迎えるであろう。しかし、その魂を迎え導くために「人の子(キリスト)」が現れ、全世界に天使を使わして(その魂を)呼び集めるであろう。思いがけないときに人の子が来るのであるから目覚めていなさい。そして、思慮深く準備をし、その時がいつやってきてもいいように目覚めていなさい。(そうでなくては、多くの魂を一度に呼び集め導くことが困難であるからだ。それほど多くの魂がさ迷うことになるのである。)

 さらに、(首尾良く)天国に入る条件は、「五人の乙女の例え」のように思慮深く準備をしその時(迎えの時)にすばやく対応できること、「主人が僕(しもべ)に財産を預ける例え」のように、神より与えられた神理を生かし、それを元手に(地上で)より多くの学びをしてくることである。また「やぎと羊の例え」のように、人類最大の艱難の時において、神に祈らずとも、弱き者・小さきものに愛を実践する者は、神を愛したという証となり、(安らぎと救いを神に求めて)神に祈っただけの者は、神を愛したことにはならないのである。

 全てが終わり、この事に後から気がついた者は、泣き叫び歯がみをして後悔するであろう。

 更に解説します。人の子が肉体の人間を救うというのではなく、魂としての人間を救うという理解が必要です。今回の試練においては、選民であろうと、キリスト教者であろうと、イスラエルの子らであろうと、144,000人の天使達であろうと、死ぬときは死にます。キリスト教者のみが肉体ごと救われ、天に昇るなどということは絶対にあり得ません。

 恐怖と混乱の中で死ぬと、《慣性の法則》に従い、死後も恐怖と混乱の中に魂は置かれます。また、極度の恐怖によって、失神状態、魂のブレーカが落ちた状態に置かれる可能性もあります。生前、信仰に篤い人であっても、それは全く同じです。それらの魂を「人の子が雲に乗って、引き上げようとしても」、恐怖と混乱の魂を引き上げる事は出来ません。

 そうならないためには、《生前から目覚めている》事が大事なのです。生前から目覚め、《その時》を知り、絶対の信仰の下に、死の覚悟ができあがっている事が必要です。そういう方は《慣性の法則》に従い、死後、魂は恐怖と混乱を克服して、静かに守護霊のお迎えを待つことが出来るのです。

 そして、更に首尾良く天国に帰るには条件があります。選民であろうと、キリスト教者であろうと、イスラエルの子らであろうと、144,000人の天使達であろうと、神より与えられた神理を活かし、それを元手に(地上で)より多くの学びをしてくること、また「やぎと羊の例え」のように、人類最大の艱難の時において、弱き者・小さきものに愛を実践し、神を愛したという証を持って帰ること、これが条件であるとイエスは言われているのです。

 神理を学び、何らかの自覚がある方々よ、人類存亡の危機前夜にあるという認識の下に《自分は目覚めている》かどうか、《神理の実践、愛の実践》を真に行うべき時代が間もなく来る、その心の準備があるかどうかを点検していただきたい。すなわち混乱と恐怖が渦巻く暗黒の世において、一条の光を放つ事が出来る自分であるかどうか、そして更に、力尽きて倒れるときは、静かに死を迎える覚悟があるかどうか、今正に問われていると思います。

 一条の光とは何か。それは、特別な活動でも何でもありません。家族、友人、自分に縁があるあらゆる方々、そして自分の生活圏や仕事の領域において、どんな困難があろうとも、希望を失わず、明るく、積極的に、そして智慧深く振る舞うことが出来る事、小さな愛の実践をし続けられる事、そして機会あるごとに神の実在を語り続ける事だと私は思います。これは、言うのは簡単ですが、実際に行動で示せるかどうか、神理を学び神の実在を信じてはいても果たしてどうか、結局、信仰の絆の太さ、不動心が確立しているかどうか、この部分の点検が一番大切だと思います。神理を学んだ者達だけが集まり、実態として互いを慰め合うような《特別な活動》は、もはや終わりにすべき時が来たのです。そのような活動を神は全く期待されていないはずだからです。

6.死んだ後の《大事な仕事》
        
 「ヨハネの黙示録」の最初の言葉を、拙書「七つの封印」P.175より引用します。

(1-1) イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕(しもべ)たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使(みつかい)をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。

(1-2) ヨハネは、神の言(ことば)とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。

 【意訳】

(1-1) イエス・キリストの預言である。この預言書は、神が、二千年後の地上人類に起こるべきことを、(二千年後に、救世主とともに地上に降りることになっている)神のしもべである多くの天使たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、天使をつかわして、神のしもべである私ヨハネに伝えられたものである。

(1-2) ヨハネは、神の言葉とイエスキリストの証言と、さらに自分が(幽体離脱をして導かれ、天上界の神の御前で)見てきたすべてのことをここに書き記し、二千年後の人類に伝えるものである。

 この「ヨハネの黙示録」は神のしもべに知らせるためにある、とイエスは言われています。何のために――それはしもべ達が《目覚めている》必要があるからです。なぜ、目覚めている《必要がある》のか。前項で、慣性の法則によって、肉体の死後に錯乱した魂とならないために必要であると説明しました。また、天国に帰るための条件も説明しました。

 では、それだけでしょうか。ここで、よくよく考えてみてください。人類存亡の危機の時、仮に144,000人の天使達が大いなる決意を秘めてこの地上に生まれたとして、「死後、恐怖で錯乱した魂にならないように、また愛を実践してくるように」とこのようにイエスは語っているのですが、数千年の準備期間を設けて、天上界の大指導霊が総力をあげて取り組んでいる人類存亡の危機において、地上に生まれた天使達の使命としては、《果たしてそれだけだろうか》と私は考えます。まだ、何かあるはずである、そう思うのです。

 私は、このように考えます。「未来からの警告」によると、人類の人口は急速に減少し、現在の1/5になると予言しています。約、50億の魂が、神という羅針盤を見失い、失意と恐怖と混乱のなかで死ぬ事になります。その多くの魂はブレーカが落ちた失神状態になり、またはガイドのお迎えがあったとしても、錯乱した魂はこれに従わずに放浪する等、すなわち膨大な数の魂が地上付近の空間に漂流することになります。

 人類試練の時、神理を学んだ者、学ばなかった者に関わらず災難が降りかかるはずです。信仰に篤い者は救われる、しかしそれは魂の救いであり、肉体の死から逃れられるなどとお考えだとしたら、それは神の心に大きく反します。そして、目覚めている者の魂は神のお迎えに気づく事ができ、そして天国へ導かれるでしょう。気がつかない者を導くことは難しい。それは何を意味しているかというと、それほど大量の魂が漂流し、恐怖で意識を失った魂、錯乱した魂を《収容》することが難しいことを意味しているのです。

 地上の大混乱は、天界においても同様と思われます。地上を漂流する大量の魂を(病院へ)収容し、意識を回復させ、傷ついた魂を癒し、手当をし・・・・・・愛と献身の天使が活躍するに違いありません。当然人手が多いほど、また収容された魂と全く同じ地上生活を送った、地上の経験が豊富な天使達が、大きな癒しの力を発揮するに違いありません。なにしろ、死んだことを納得させ、安心させ、癒すには、彼らの苦しみを理解し、共感し、知識を共有している事が重要な看護の要素になり得るからです。

 《目覚めている方》は例え肉体の死を迎えることがあっても、恐怖を感じず、また肉体の痛みも感じず、容易に肉体から魂が離脱し、導かれて天界へすみやかに帰れるでしょう、そして、天界へ帰った後、おそらく《大事な仕事》が待っているはずです。大事な仕事、真に大事なことは、実はまだ他にある、私はそう考えています。それは「神の偉大さと進化の計画」というテーマで解説します。

【マタイ 24-51】

 ・・・・彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

【意訳】

 全てが終わり、この事に後から気がついた者は、泣き叫び歯がみをして後悔するであろう。

 人類存亡の危機と、144,000人の天使達と、霊的大混乱という現状を洞察するとき、真に神の偉大さに気がついたのです。それは大いなる感動です。【マタイ24-51】とならないために、是非御参照下さい。

7.生き証人  
             
 では運良く(?)生き残った(死にそびれた)方はどうするのか、それは当然のこと、地上に神の教えを伝え、地上の再建、政治経済の再建、新しい世界の建設、理念に基ずく地上創りという大切な役目があります。地上に再び神の国、ユートピアが築かれなくてはならない、そのための大切な使命があります。そうでなくては、何のための試練であるのか、何のための地上破壊であるのか、何のための死か、ということになります。

 いずれにしても、《目覚めた方には、死んでも、生きても(?)大切な役目がある》のです。そうであるならば、同じ念いの方は心の手を結び合い、傷ついた同志を励まし助け合い、また一方では、楽しく明るくそして積極的に、この困難の中を辛抱強く生き抜くことが大切だと考えます。

 いずれにしても、この時代に地上に生きたということは、人類史上最大の試練の「生き証人」となるのですから、その《証人としての心の証》を沢山もって天界へ帰りたいものです。そのためにも、《目覚めている》必要があるのです。

8.おわりに

 ここまで読まれた方は、《目覚めている事》が絶対に必要なことであると理解されたはずです。もし、何らかの自覚を持っている方は、おそらくは神の僕(しもべ)であろうと思います。そして、すみやかに目覚めないと、天界に帰って後に、大いなる後悔の念を持つことになるでしょう。今からでもまだ遅くはありません。



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