ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 2.霊界に関するテーマ 《あの世の基本構造》 ◆◆◆
2010.03.19 窪田光治

はじめに

 様々な切っ掛けから精神世界に興味を持つ人は多いと思います。しかしながら、あの世・霊界・神について興味を持ったとしても、真剣にその本質を知ろうとする人は少ないように思います。

 極端な場合、神を崇拝しているがそれ以上は関心が無い、あるいは霊や霊界について学ぶ必要は無い、何故なら誰もが死んであの世へ行くのだからそれから学べば良い、この様に考える方がおられると思います。

 しかし、この世の人生において、霊界の成り立ちや原理について知ることは非常に大切です。何故かというと、あの世について知るということは、この世を知るということと大いに関係があるからです。すなわち、私達はどんな目的でこの地上に生まれたか、また修行とはどういう意味なのか、ということを明確に自己認識できるようになるからです。

 その結果、この地上の存在の意味、霊性の向上・魂の進化・成長の為にはどのように生きるべきか、という事が次第に分かってきます。霊界や神に関する様々な知識を獲得することを《全体の悟り》と言い、心の原理を知り修行を続けることを《個の悟り》と言います。この二つは車の両輪に例えることができ、両方を調和しつつ学んでいくことで、様々な限界を突破することができ、《個の悟り》も《全体の悟り》も同時に深めていくことが可能になります。

 《神理馬鹿》と呼び、神理に関する様々な知識を馬鹿にする方がおられます。例えば、「心を内に向けよ、ただそれだけでいい」、「今という瞬間に全てがある、あるがままに感じなさい」、「偽我を捨て真我を開発せよ」などがメインテーマであったり、反省が全てであるとして反省行に日夜打ち込む人も居られます。

 いずれも真理であると思います。しかし、それが全てでは無いのです。心を清らかで無色透明にし、真我の状態に保つことで、もちろん一定の悟りを得ることは可能だと思います。しかし、山の中で静かに瞑想しても、そこには大きな限界があります。

 霊道を開き、守護霊様と導通することを最大の目標とするならば、この世に生まれて修行する本来の意味がありません。何故なら、生まれてくる前は守護霊様と兄弟だったからです。わざわざ、過去世の記憶を一切忘れで、ゼロからこの世で修行するには、別の大きな目的があるからです。もちろん、守護霊様からのアドバイスとしてのインスピレーションは極めて大切なことです。

 禅の修行中、ほうきで庭を掃いているお坊さんが、ある時に竹林の側で小石を飛ばしたところ、小石が竹に当たって「カーン」と澄んだ音が響き渡り、それがお坊さんの心の中全体に染み渡りました。その一瞬、お坊さんは「悟った」と感じた、という話があります。

 そういう心境も悟りの一つかも知れませんが、本来の悟りというものは、そういう摩訶不思議なものではないと私は信じています。私の悟りに対する概念は、悟りとは何か」を参照してください。

 神理知識を単なる知識で終わらせるとしたら、また知識の豊富さ故に得意になったりするのであれば、それはまた悟りとは無縁だと思います。大事なことは、様々な『神理知識をベースにして洞察力を深めていくことである』と私は思うのです。神理知識はあくまで道具です。人生の様々な経験の中でその知識を昇華し、智恵の獲得へと高めていく事に大いなる意義があり、初めて真の悟りを得る事が可能になるのです。

 悟りの追求は幸福の追求とほぼ同じ事です。それは、個人としての幸福、家族の幸福、隣人の幸福、社会の幸福、人類の幸福を追求するための認識力の獲得、智恵の獲得であるからです。霊界の原理を知ることは、貴方の幸福を追求する事に大いに役立つはずです。                   



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