ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 7-④ カルマの形成 ◆◆◆
2009.05.23 窪田光治

1.カルマ、業(ごう)、原罪とは何か 
1-1 カルマ、業(ごう)という言葉の使われ方 1-2 原罪という言葉の使われ方 
1-3 カルマ、業、原罪の真の意味
2.カルマ『心の傾向性』は何故できたのか 3.カルマ『心の傾向性』の修正と魂の進化

 カルマは魂の進化と密接な関係があります

1.カルマ、業(ごう)、原罪とは何か

 この二つの言葉はいずれも、主として悪行または不幸の原因を説明するために使われています。しかし、この三つの言葉の本来の意味を知っている人は大変少ないように思えます。まず、その本質について考えてみましょう。

1-1 カルマ、業(ごう)という言葉の使われ方

 何度も結婚に失敗したり、男運、女運が悪い、あるいは続けて不幸が続く、こういった場合に、大抵の人は「どうして私はこんなに不幸なのか、何故だろうか」と思います。そうすると、それに対して『カルマ』とか『業』という言葉を第三者から聞いたり、あるいは自分でそう考える事で、『落とし所』を得て、分かったような気持ちになります。

 更に、どこかの新興宗教の信者が、「それは、貴方のご先祖がこうだったから」とか「前世で貴方はこういう悪事を働いたから」とか言いながら、そのカルマから逃れるために入信しなさいと言う、その際に多額の献金をさせられる、こういうパターンまた多いわけです。

1-2 原罪という言葉の使われ方       

 原罪という言葉は、キリスト教のもので、私は詳しくは知りませんが、人類の祖先であるとされているアダムとイブがサタンにそそのかされ、善悪の智慧の実・リンゴを食べたところから発生したと聞いています。

 要点はこういう事のようです。人間は生まれながらにして罪を背負っており、穢れたものである、従って人間は『神の赦し』がなければ罪から解放される事は永遠に無い。その赦しは、死後の裁きによって決まる、というわけです。人間は罪の子であるとする思想です。

 それ故、キリスト教の信者は『神を恐れる』気持ちが常にどこかにあり、神に救いを求める気持ちが大変強い、そして自らの心に内在する迷いや己心の魔を知っていますから、どうしても人間の悪い部分ばかりを見てしまい、なかなか強い自分造りができない、また強い善人になることができません。

 以上が原罪の意味であり、カルマや業という言葉と本質的に違う意味を持つ言葉として使われているようです。

 しかし、迷いや不幸が続くと、その方の心の中に悪想念が渦を巻き、結果として自分の心の穢れ・己心の魔を自覚するようになります。キリスト教信者は『神を恐れる』気持ちが非常に強いですから、本来は全てがその人固有の罪であるにもかかわらず、人類が背負っている原罪に起因するとして考えたくなるのは、人間の心理であり心の弱さでもあるでしょう。

 そういう意味では、カルマや業に似た意味としてこの言葉が使われることもあるようです。あるいは、迷いとか不幸には『過去に原因がある』とするという意味で、『カルマ、業、原罪』は同じ性質を持った言葉と理解しても良いと思います。

人間は罪の子であるという原罪説は、当時の人々を導くための『神の方便』として理解する事が大切です。今後は『人間は神の子である』という思想が主流となっていくでしょう。 

1-3 カルマ、業、原罪の真の意味       

 では何故不幸が続くのか、そのメカニズム、またはその作用については正しく説明していないし、また本人も本当の意味で理解する術がありませんでした。

 不幸は本来誰にでもあることです。それは偶然であったり、不注意であったり、本人が納得できる不幸であろうと思います。しかし不幸が続くと納得がいかないわけであり、実はここに大きな意味があるのです。

 人間は一人一人、皆、個性が違い、考え方や価値観が違い、経験や智慧も大いに異なります。人類の中で、同じ個性を持つ人は一人として居ないのです。自分ではなかなか気がつきませんが、同じ物事に対したとき、その人の心の動き方、作用というものは皆違います。しかし、ある人に同じ物事が再来すると、前回と同じような感じ方、心の動き、作用をするのです。これを『心の傾向性』と呼びます。

 その心の傾向性が失敗する方向性を持ったものである場合、何度も同じ場面で同じ失敗をします。従って不幸が続き、何でだろう、と苦しむことになるのです。

 生まれて以来、肉体の成長と共に心も成長していきますが、その心の持ち方が強靱な肉体を創ったり、また逆もあり、勉強やスポーツに努力する心は自分造りに大きく作用します。また成長してからは人生の様々な分岐点や選択を決めるのはその人の心ですから、結局のところ、現在の貴方という人間、そして環境その他は貴方の心が創り上げてきたと言えるのです。

 すなわち、その人の『心の傾向性』がその人の人生を創っていくことになります。ですから、不幸が続くとしたら、それは『心の傾向性』に問題があるということです。『カルマ、業、原罪』とは『心の傾向性』から生まれた言葉なのです。

2.カルマ『心の傾向性』は何故できたのか       

 カルマは何故できたのか。これは魂の誕生と進化に関わる大切な問題です。

 神の秘密に関する領域ですが、私の認識では遙かな大昔、神の意志により神の光・エネルギーが分散されて小さな無数の光の粒子となりました。その当時は、みな同じ性質、同じ意識を持っていました。魂の誕生です。

 神は我が子である光の粒の成長を望まれ、その成長の場としてこの三次元宇宙を誕生させました。そして三次元と高次元の転生輪廻を通じて、様々な経験を積めるような仕組み・システムを創られました。

 地域と時代を超えて様々な経験を積み、生まれ変わる内に、次第に個性が異なり、意識において異なる光の粒、神の子となっていきました。この地球においては、ある時、魂の分光によって魂の兄弟を創り、すなわち五人の兄弟と本体の六体に別れて、魂の修行を続けることになりました。

 個性の部分、異なる意識は魂の成長過程によってできたものです。癖、好み、性格、『心の傾向性』というのは、魂の凸凹の具合を表しています。この魂の凸凹というものは、別にそれ自体が悪いことではなく、時と場所、その現れ方によって、悪となりまた善となります。

 ですから、本来、カルマ、業というのは善でも悪でもなく、人間は生まれながらにして善であり神の子です。ただし、魂の経験が浅く、その顕現の仕方、心のコントロールが正しくないために、時々悪と見える現象が現れてくるということです。 

3.カルマ『心の傾向性』の修正と魂の進化     

 カルマ、業、原罪、すなわち『心の傾向性』というものは、魂の進化の過程に生じる凸凹のことであることが分かりました。育ち盛りの子供が、手が伸びた、足が伸びた、服が合わない、靴が履けなくなった、といろいろと不調和が生じるのに似ています。手や足が伸びて大きくなることは喜ばしいことなのです。ですが、親としては買い与えないといけないし、本人はみっともないと文句を言う、そう喩えられます。

 従って、カルマ・業は避けては通れないものだという認識が大事であり、悪でも何でもないのです。むしろ、魂の成長の証しであり、凸凹の凹を埋める作業がカルマの修正であり『心の傾向性』の修正です。時代はどんどん変わり、二度と同じ環境に生まれることはありませんから、凸というのは新しい経験であり、新たな知識と知恵の獲得の部分を言います。

 ですから、この世を縁として、人間はカルマを修正しつつ、また新たなカルマを創っていくのです。同じ修正に何回も生まれ変わり、数千年を経過することもありますが、様々な経験を続ける中で魂は確実に成長していきます。永遠の時間の中で、一歩一歩、親である神に向かって神の子は成長を続けていくのです。

 今世で良いカルマを身につけることが、次に生まれる時の貴方の人生を実りあるものにしていくことでしょう。


4.終わりに

 現在、正法神理が説かれており、『心の傾向性』を修正するための原理と方法を筆者も提唱しています。4-⑦ 心の傾向性の修正方法 ⑧ 謙虚さと反省   ⑩ 自己改造三点セットその他を参照して下さい。

 



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