◆◆◆ 「霊界通信 イエスの少年時代」 書評 ◆◆◆ |
1.はじめに
この本はとても美しい物語です。まるで文学書を読んでいるような気がします。また神理の書としても興味深い本です。久しぶりに読み返してみると、何度となく感動の涙を禁じ得ませんでした。数多くの霊界通信の本の中では異色のものであり、優れた霊界通信です。読まれた方も多いとは思いますが、もしまだ読んでいない方がおられましたら、これを機会に是非おすすめします。
全編を通じて一つの物語として語られています。聖書には記録されていない多くの物語とともに、中心人物であるイエスキリストが愛すべき一人の人間として登場しますが、これが物語として美しく、また人間的な温かさを感じさせる大きな要素であろうと思います。
通信の送り手とこれを受けられた方、そして日本語に翻訳された方の波長がぴったりと一致しなくては、日本語で読んだときにこの様な美しい文体にはなりません。あたかもイエスキリストの生涯を絵巻物で見ているように、またその場に居合わせたかのような感動をもって読むことができます。おそらく、その内容はイエスの真実に最も近いものであろうと思います。霊界通信という形で、この様な本を地上に送られたのはイエスキリストの意思であり、現代人に対する何らかのメッセージが込められているのではないかと思います。
物語のあらすじを語るよりも、ここでは「イエスの少年時代」に中から幾つかの文章を抜粋して御紹介しますので、その言霊に、その波動に接してみてください。
2.「2.マリアの悲願」の一節
両親を失い祖母に育てられているマリア、苦しみと不幸の中にある祖母をみてマリアはたずねるのであった。
「愛する者がとり去られた上、視カを失い、働くこともできなくなり、自分で家の入口のところまで歩いていくのにやっとのことだというのに、どうして賛美の祈りなんかできるんですか?」そこでゼリータはおだやかに言った。 |
3.「28 先なる者が後に」の一節
「イエスは、女々しい男だ」という親族に対し、父であるヨセフが眉をひそめながら言った。
「みんなが言う通りだ。こいつは大工の腕も上らないし、おやじの言うこともきかない。こいつはもう子供じゃないのに年下の子供と遊んだり、年上の女どもとしか話さないんだよ」イエスは憤然として言った。 |
4.「31 パリサイ人の不吉な夢」の一節
生まれて初めてエルサレムの地を踏んだイエスとかねてより知り合いのパリサイ人との会話。
・・・・・・その上、この預言者はすばらしいことを言ってます。“太陽はもはや昼間の光とはならず、月も我らを照らす明かりとはならない。主なる神御自身が永遠に我らを照らす光として輝き、栄光となる。嘆きの日が終るとき、あなたがたはその地を嗣ぐであろう”と。(旧約聖書イザヤ書60・19~21) |
5.「37 ヘリとの固い約束」の一節
少年イエスに様々な霊能力と智慧を教える放浪者ヘリとの会話。
・・・・・・・・・・そのとき、ヘリが遂に口を開き、イエスに命令した。 |
6.訳者のあとがきの一節
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7.おわりに
この本を紹介するに当たり、私の得た感動をどのようにすれば皆様にお伝えできるかを考えました。注釈を加えたりあらすじを言うことは、かえって真実の感動から遠くなるばかりであることを知りました。
そこであえて幾つかの場面を抜粋し、読者に直接その言霊に触れていただくことにしたのです。いかがでしたか。ほんの一部しか紹介できませんでしたが、愛すべき少年イエスのひたむきな神理の追究という念いがひしひしと伝わってきたのではないでしょうか、そして温かい血が流れてる人間イエスをお感じになられたと思います。もしそうであるならば紹介者としてこの上ない喜びであり、「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」も合わせてお読みになられることをおすすめいたします。
御自由にリンクを貼っていただいて結構です。
http://www.the-seven-seals.jp/
The free background
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