ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 「霊界通信 イエスの少年時代」 書評 ◆◆◆
「霊界通信 イエスの青年時代」
「霊界通信 イエスの弟子達」
2007.11.05 窪田光治

潮文社 出版  G・カミンズ 著 山本貞彰   訳

1.はじめに

 この本はとても美しい物語です。まるで文学書を読んでいるような気がします。また神理の書としても興味深い本です。久しぶりに読み返してみると、何度となく感動の涙を禁じ得ませんでした。数多くの霊界通信の本の中では異色のものであり、優れた霊界通信です。読まれた方も多いとは思いますが、もしまだ読んでいない方がおられましたら、これを機会に是非おすすめします。

 全編を通じて一つの物語として語られています。聖書には記録されていない多くの物語とともに、中心人物であるイエスキリストが愛すべき一人の人間として登場しますが、これが物語として美しく、また人間的な温かさを感じさせる大きな要素であろうと思います。

 通信の送り手とこれを受けられた方、そして日本語に翻訳された方の波長がぴったりと一致しなくては、日本語で読んだときにこの様な美しい文体にはなりません。あたかもイエスキリストの生涯を絵巻物で見ているように、またその場に居合わせたかのような感動をもって読むことができます。おそらく、その内容はイエスの真実に最も近いものであろうと思います。霊界通信という形で、この様な本を地上に送られたのはイエスキリストの意思であり、現代人に対する何らかのメッセージが込められているのではないかと思います。

 物語のあらすじを語るよりも、ここでは「イエスの少年時代」に中から幾つかの文章を抜粋して御紹介しますので、その言霊に、その波動に接してみてください。

2.「2.マリアの悲願」の一節 
            
 両親を失い祖母に育てられているマリア、苦しみと不幸の中にある祖母をみてマリアはたずねるのであった。

 「愛する者がとり去られた上、視カを失い、働くこともできなくなり、自分で家の入口のところまで歩いていくのにやっとのことだというのに、どうして賛美の祈りなんかできるんですか?」そこでゼリータはおだやかに言った。

 「苦しみが与えられるには、必ず目的があるのです。苦悩から本当の喜びと勝利が生れてくるのです。イスラエルの民はエジプトによって随分多くの苦しみを受けたじゃありませんか。そのあとで乳と蜜のしたたる約束の地が与えられたのですよ」マリヤは祖母の話をきいておだやかになり、もっと先祖の話をして欲しいとねだった。
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3.「28 先なる者が後に」の一節

 「イエスは、女々しい男だ」という親族に対し、父であるヨセフが眉をひそめながら言った。

 「みんなが言う通りだ。こいつは大工の腕も上らないし、おやじの言うこともきかない。こいつはもう子供じゃないのに年下の子供と遊んだり、年上の女どもとしか話さないんだよ」イエスは憤然として言った。

 「僕はね、人の心の中に隠されているものが何であるかを知りたいのです。普通の大人よりも、女性や子供たちの方がとっても正直に教えてもらえるのです。彼らは僕らと違ったやり方で“生命”のことを感じとっているのです。僕が大人になる前に、子供や善良な女性の心の中に秘められている無垢な清らかさや美しさを知っておきたいのです。さもなければ、僕の心は盲目になり、霊的に乏しくなってしまいます。ですから幼い子供たちや、か弱い女性の方がみなさんよりも偉いのかもしれません。「先なる者が後になり、後なる者が先になる」のです。

 ヨセフは嘆くような調子で言った。「馬鹿もいい加減にしろ、いつになったらお前から阿呆な霊が立ち去るのだ!ナザレの律法学者も言うはずだよ。
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4.「31 パリサイ人の不吉な夢」の一節 
       
 生まれて初めてエルサレムの地を踏んだイエスとかねてより知り合いのパリサイ人との会話。

 ・・・・・・その上、この預言者はすばらしいことを言ってます。“太陽はもはや昼間の光とはならず、月も我らを照らす明かりとはならない。主なる神御自身が永遠に我らを照らす光として輝き、栄光となる。嘆きの日が終るとき、あなたがたはその地を嗣ぐであろう”と。(旧約聖書イザヤ書60・19~21)

 パリサイ人は言った。

 「それはそうだが、神殿が滅び、我々が飲え死にしたら、もうなにもかもおしまいになるんじゃないか?」

 「太陽が消え失せ、月も光も失うというのは、この世の終りを指して言ってるとお考えでしょうが、そうではないんですよ、先生!預言者が選民イスラェルに約束したのは此の世のことではなく、破減の後にやってくる“神の国”のことを指しているのです。エルサレムが潔(きよ)められ、民が救いに与(あずか)るのは、全く新しい世界、新しい時代になされるのです。神御自身が光となって治められる王国は、此の世を超えた、天の御父の国なのです。それは肉眼には映らず、霊眼で見ることのできるすばらしい王国なのです。“永遠の光のうちに過ごす”と記されているように、神の光のうちに歩いている人間には、手で拵え(こしら)たような鈍重な神殿はもう必要(いら)ないのです。真理と愛のための殿堂と言っても、手のかわりに理性によって、大工の道具や人力のかわりに霊の力によって建てられる殿堂です」
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 「ラビ!僕がこうして座っていても、本当の僕のことがお見えにならないのです。先生が僕の頭に手をおき、僕が先生の手をつかんでいても、それが本当の僕ではないんです」

「お前は何と馬鹿なことを言い出すんじゃ? わしは、ちゃんとお前が見えるし、うす暗いろうそくの光の中でもお前のことがはっきりわかっとるぞ」イエスはすかさず言った。

 「ラビ!僕の顔は、ただのお面(マスク)です。僕の手や頭は、被(おおい)(カバー)です。僕はこの頭や体でもありません。この手足でもないのです。本当の僕とは、ここに来いとか、あそこに行けとか、僕に指示を与える理性なんです。本当の僕とは、僕の唇を開いて話をさせたり、色々な言葉を出させる霊(スピリット)の力なんです。でも先生の目にはその僕の本体(スピリット)は見えないのです。先生が僕のことが解るというのは、僕と話しているときに働く理性のおかげなのです。この体は本当の僕ではありません。本当の僕は、僕のことを動かしている支配者(スピリット)なんです。僕の言ってることに賛成していただげますか、先生」
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 「せめても、わしが死ぬ前に、エルサレムを治めるイスラエルの救済者(メシア)を見たいもんじゃ。我がイスラエル民族だけが地上に正義の王国を築くことができると信じておるのじゃ。預言者もそう言ってるのだが、まさか嘘を言ってるわけじゃあるまい」

 「もちろんですとも、ラビ! 私たちが生きている時にそれは実現すると思いますよ。誰が一体時の徴(しるし)を読みとることができるでしょうか。天の父なる神様が僕に告げて下さいました。“正義の王国は、ここにある、あそこにあるというふうに建てられるものではなく、人の心の中に築かれるものだ”とおっしゃいました。別な言葉で言いますと、人の心の中に、愛と喜びの王国が築かれていなければ、決して神の王国は地上にやってこないということです」

 イエスの話を聞いているうちに、このパリサイ人の心には、イエスのいだいている幻の意味が少しずつ解りかけてきた。・・・・・・・・・・・

5.「37 ヘリとの固い約束」の一節  
         
 少年イエスに様々な霊能力と智慧を教える放浪者ヘリとの会話。

・・・・・・・・・・そのとき、ヘリが遂に口を開き、イエスに命令した。

 「ただちにナザレに行きなさい。右にも左にも曲がらずに、真っすぐお父さんの家に急ぎなさい。お前が悪霊をたたき出すんだ! お前が偉大な霊の力から流れ出る美しい旋律(メロディ)の器(うつわ)となって働くのだ。ひとつだけ忠告をしておこう。恐れないことだ。恐れることは霊力の援軍を裏切る行為なのだ。怒ってはいけない。また悲しみに負けてはならない。感情に負けて理性を失わないように気をつけるんだ。感情でぐらついた体や心は、偉大な霊の力に仕えることができないからだ」

 イエスは頭をたてにふり、彼の親切な忠告に充分気をつけますと返事をした。・・・・・・・・・

6.訳者のあとがきの一節

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イエスの伝記というものは、正確な意味で何ひとつ存在していないと言ってもよい。新約聖書中の福音書は、元来イエスの受難物語(十字架上の死と復活)に重点を置いて書かれたものであるから、イエスの重要な背景をなす「生いたちの記」が完全に欠落していることになる。カミンズは、彼女の偉大なる霊能によって「母マリヤの背景」と「イエスの成育史」というもっとも重要な部分を提供してくれたのである。聖書に全く見られない人物や出来事をも加えながら、イエスの少年時代を中心に展開されている雄大なドラマは、読む者の魂をゆさぶり、救いに導く大切な霊的養分をふんだんに注入してくれる。多感な少年イエスが、あらゆる苦渋をなめさせられても、真の救いを求めて修業をつんで行く姿には、感涙相むせぶ場面が幾度もあり、読む者の魂を浄化してくれる不思議な力がこもっている。
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7.おわりに
                    
 この本を紹介するに当たり、私の得た感動をどのようにすれば皆様にお伝えできるかを考えました。注釈を加えたりあらすじを言うことは、かえって真実の感動から遠くなるばかりであることを知りました。

 そこであえて幾つかの場面を抜粋し、読者に直接その言霊に触れていただくことにしたのです。いかがでしたか。ほんの一部しか紹介できませんでしたが、愛すべき少年イエスのひたむきな神理の追究という念いがひしひしと伝わってきたのではないでしょうか、そして温かい血が流れてる人間イエスをお感じになられたと思います。もしそうであるならば紹介者としてこの上ない喜びであり、「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」も合わせてお読みになられることをおすすめいたします。



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