ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 「伝わるのは愛しかないから」 書評 ◆◆◆
2007.11.05 窪田光治

大和出版  日木流奈著  2000.06.15 初版

1.はじめに

 この本は、大変易しく神理を語っていますが、その思想は奥深いものです。しかし、私の書評は本文にあるのではなく、著者の詩にあります。

 その詩は、この本の13カ所に挿入されているのですが、本文と直接の関係はありません。ですから何気なく読み過ごしてしまうところです。しかし、何故か、心に残像が残ったという点は、「流奈カレンダー200」と同じです。まだお会いしたことがない遠き友人より、ワープロが打てないので詩だけを活字に打ち直してもらえないか、と問い合わせが私に寄せられ、それを機に全部の詩を通して整理したところ、日木流奈の本心、いえ氏の偉大なる潜在意識からのメッセージとして姿を現したのです。「流奈カレンダー2000」と合わせて、御鑑賞下さい。

2.詩の抜粋
                      
 左は、掲載ページです。若干の解説をしてありますが、詩を何度も読んで《何かを感じる事》が大切だと思います。この詩にも《感じよ!》という言葉が何度か登場します。意味の深い詩であり、解説が適切でないところが有るかも知れません。

P.15

星の闇に眠りし魂たち
悲しみも憎しみも置いていくがいい
すべては私が引き受ける
享楽の彼方(かなた)に何が始まるのか
それを見つめるがよい
ああ、ここは美しき暗闇
光の粒が球になり
その内側を光らせて
まだ外には漏れることがない
ここは目覚めし者たちを送る闇の寝所(しんじょ)なり

 P.108に「死にゆく魂達よ」とあります。人類存亡の危機に際し、多くの人間か死に、実相の世界(あの世)へ帰ってくるわけですが、眠りし魂とは、ショックで疲れ果てた魂が、寝所で眠りについている様を表現したと思われます。人間は死んでも命があり、意識がありますから、通常は死んで眠りにつく事はありません。また意識の高い人、一所懸命に人生を生きた人は、いかなる死でも甘んじて受け入れられ方が多いはずですから、やはりショックで眠りにつく事は無いと思います。

 享楽とは快楽にふけることですから、現在の文明を指していると考えられます。享楽の文明は人類存亡の危機で滅び、その後、何が始まるのか、そこで見つめるが良い、ということでしょうか。

 神の目で宇宙と地球、魂を見ると、魂は光の粒子として見える、そのような空の世界を表現をしたものでしょう。内側を光らせて、まだ外に漏れることはないとは、輪廻転生の歴史が浅い幼い魂を意味していると思われます。

 すると、目覚めし者とは、進化した魂を指すことになります。地上を縁として、幼い魂達もやがて進化していく。それまで、ここは幼い魂達の寝所であり、目覚めし者たちは、自らの力で成長していくが故に、この寝所は彼らにとって不要となる、そういう意味として捉えることが出来ます。

P.34

はじかれし粒
光の粒たちよ
互いにぶつかり
互いに離れ
その粒たちは
まどろみの中
翔び立つであろう
彼方人(かなたびと)たちが見守る中
産湯に浸かる間もなく
それらは自ら成長し続けるであろう
内に秘めたる光の量は無限大
ひとつの粒があまたを包み
宇宙の目覚めを導かん
人の目覚めは光の解放
人と相似の神の意志
生きとし生けるものたちを包んであふれ
進み行く
彼方
彼方
そこは光の彼方なり

はじかれし粒とは、前述の詩にある「まだ光が外に漏れることのない球(魂)」が自らの力ではじけ、目覚め、自ら成長する力を付けた魂を指すのでしょう。

彼方とは、この世に対する彼方、すなわちあの世の事であり、彼方人とはおそらく天使達を指すのではないかと思います。

魂は成長し、自ら発する光は次第に大きくなる。人間の魂は神に似せて創られており、本来、内に秘めたる光の量は無限大なのです。

P.39

ああ何処
神々が住まいたる
高嶺の住まいは
ああ何処
対面せしその姿
水鏡(みずかがみ)のそれと同じものなり
静寂のとき
それはまことの姿を映し出すであろう
わずかな乱れもゆがむには十分な材料となりぬ
小石ひとつあれば
水鏡はゆがみゆく
静寂をもちて水鏡を見よ
そのとき初めて已の誠の姿と対面するであろう

高嶺の住まいとは、神々の住む天上界。そして、ここは、前述の「はじかれし粒」が修行する場、すなわち地の世界の話。

対面せしその姿とは、全ての記憶を封印された魂が、この世で自らを見て、己の真実の姿を知りたいと、思ったことを指すのでしょう。

水鏡とは、水盤の鏡の事ですが、心の湖面を鏡のようにせよ、そしてそこに映る姿が、己の誠の姿であると言う。

心の修行の本質、修行論。

P.76

磨かれし水鏡
永遠とも思えるあまたの自已
合わせ鏡のように
はるか彼方まで続く自己
過去から未来へそれは積み重なっていく
バランスを保つには
過去に出すぎた部分は引っ込み
引きすぎた部分は出てくる
そうやって重なったお面の如く
それらは積み重なっていく
でこぼこは修正され
本来のあなたに戻るまでそれは続いていくだろう

それは美しきもの

それは調和のとれしもの

それはいつでもそこにありしもの

己の心の乱れがあると歪んで見えて
そこにいることさえ気づかずにいる
人々の心の中の神よ
静寂の水鏡が人々に訪れるまで
まだそこにおわしますように

水鏡 = 静寂な心の湖面

合わせ鏡 =  自分の前後に鏡をおいたとき、前と後ろに無限の像が出来る。これを、輪廻転生における自己の姿、時空を超えた自己の姿に例えている。

でこぼこ =  魂の傾向性、カルマ、業を指す。魂が成長する過程、輪廻転
生の過程において、新たなカルマが生まれると同時に別のカルマを修正しながら、次第に大きくなっていくという進化の過程を語っていると思います。

本来のあなた =  人間は神の子であるから、神と同じ属性を持っている。光を放つことが出来ない幼い魂から、次第に成長進化して神に近づく事が出来る事を指しています。

静寂の鏡が人々に訪れるまで =  人々の成長進化によって心の修行が進み、心の静寂を保てる様になるまで。

P.80

見えぬ世界と見える世界
すべては対になりにけり
あたりまえの世界をあたりまえに語り合おう
あたりまえのことをあたりまえにしよう
感じることを恐れずに
思うことを恐れずに
ただただ意識を向けていこう
証明することも悪くない
人の心の探求心
大いに発揮できるなら
それもあっても構わない
けれどもしも許すなら
感じる心を思い出し
知識に振り回されずに生きてほしい
知識はただの道具にすぎず
道具は使ってこそ意味がある
道具に使われていては意味がない
あまたの道具に使われることなかれ
文宇という道具に
おカネという道具に
知識という道具に
使われることなかれ
生まれ出し道具が悪いのではない
それを使う人の心に歪みがあるのだと知るがいい
道具に使われしとき
人は見えない世界を忘れてしまうのだ
見える世界と見えない世界
二つをつなぐもの
それは智慧
人類の叡智だ
だれが初めに始めたか
そんなことは間題ではない
今それを活かせるかどうかが問題なのだ
智慧を持ちて進め
それが二つの世界をつなぐ架け橋となるであろう
似て非なるものを見つけ出すカギとなるであろう
智慧を持ちて生きよ

見えない世界 = 永遠に変わらぬ実在の世界、すなわちあの世。霊的世界。

感じる心 = 本質を《感じる心》、洞察の切っ掛けとなる《感じる心》

智慧 =  釈迦やイエスキリストの叡智、神理。

今、それを活かせるかどうかが問題なのだ = 智慧すなわち法を持ちて進め。法につくことは、二つの世界すなわち天の界と地の界をつなぐ架け橋となる。すなわち、天界の神々・天使達と使命を帯びて地上に降りた者達の心が結ばれるということを意味していると思われる。

似て非なるもの = 偽預言と真の預言、すなわち神の言葉か、悪魔の言葉か、それは似て非なるもの。

智慧を持ち生きよ = 諸々の比丘、比丘尼達よ・・・・・・・・・・・・。

P.104

見えぬ世界を語るとき
似て非なるものに気づくには
智慧を持って向かうがよい
見えぬ世界を語る者
その人格を見抜くがよい
自分を大きく見せる者
自己の力を押し出す者
すべてまやかしの住人なり
まやかしの心
見抜くためには
感じるのみ
己の心で感じるのみ
他の者の感覚を已のものと錯覚し
己の感覚奪われて
絶対なるものを他人に投影するなかれ
絶対なるものは已の中にしかない
己を失うようなものにゆめゆめ惑わされることないよう
己の心を満たし続けよ
己こそ已の寄る辺と知るなり
見えぬ世界を逃げ場とすることなかれ
ただ感じる心を思い出すだけでよい
他への依存は
決して見えぬ世界を感じる心を
開花させることはない
己を信じよ
己を愛せよ
さすれば見えぬ世界の扉は開かれるであろう

見えぬ世界 = 霊の世界、実相の世界、実在界

似て非なるもの =  偽霊言

智慧 = 法、神理

感じること =  偽霊言を見抜く第一歩は、己の心で感じることだ。偽霊言を聞いて他人が本物と言う、また感動したと言う、そういう他人の感覚に惑わされてはならないという教え。

絶対なるもの = 神に通じる心、それは己の中にしかない。他人の感覚と言動に惑わされずに、己の心を満たし続け、己の心こそ、寄る辺と知ることだ。

逃げ場 = また、現世の苦しさから、霊の世界を逃げ場としてはならない。

《感じる心》 = 心の湖面を鏡のようにしたときに分かる心であり、偽霊言はこの湖面の鏡に映されたとき、異様な姿を現すという教えであろうと思います。

扉は開かれる = 神と通じ合う、守護霊と通じ合う

P.108

死にゆく魂たちよ
久しぶりの故郷はどのように見える?
この世という故郷を去り
幾たびもの里帰りにあの世という故郷は変わっていっただろうか?
どちらの故郷も何も変わることはない
変わるのはただ己の心のみなのだ
まだ幼い光の粒であったときから
押したり寄ったりを繰り返し
心は形成されていく
その心こそすべての宇宙を創るカギとなるのだ
気づくのはいつでもいいのだ
たとえそれが死の瞬間であろうと
人はただ気づくために生まれてくるのだ
ただその瞬間を味わうために人はやって来るのだ
だから安らかにお帰り
そして安らかに見続け
この世という故郷を見守っておくれ

死にゆく魂たちよとは、人類存亡の危機において、死にゆく魂を指すと思われる。

P.146

残されし魂たちよ
今は思う存分に悲しむがいい
別れをしっかりと受け止め
その思いを余すことなく出しきるがよい
いつかその死を乗り越えて
生きていくことができるであろう
親しき者の死は
残されし者たちの魂の成長に大いに役立つであろう
死は新たな生を
残されし者たちに与える
生きよ
生きよ
やり残すことなく
生きることをせよ
死と生の感覚を味わいつくし
それを活かしきれ
悲しみの先に希望が見えてくるであろう
それは本当にかすかな灯火(ともしび)で
その光を大きく灯(とも)すことができるのは
残されし魂たちなのだ
生きよ
生きよ
その光をどこまでも輝かせ

悲しみの先に希望とは、人類存亡の危機が去った後、文明再建のための希望を指すと思われる

P.150

愛は
大切にすること
愛は
心地いいことをすること
愛は
自然にあふれてくるもの
やらずにはいられない
そんな思いにかきたてられたら
人は動かずにはいられなくなる
そんな衝動的思いが生まれたら
それは愛にほかならない
愛を経験した人は
愛を何千倍にも増やすことができる
ひとりの思いがどれだけの人に愛を目覚めさせることができるか
愛は教えることではない
愛はほっとくことでもない
愛はただ見守り
サポートし
育てていくことをする
ひとりの心に目覚めた愛は
地球を駆けめぐり
宇宙の果てまで変えてしまうことだってあるのだ
愛を受け継いだ人は
愛を成長させることができる
愛を知らない人々に受け渡すことができる
憎しみや悲しみで心がいっぱいの人の苦しみを
洗い流すことができる
ただ手をつなぐだけで
ただ見つめるだけで
ただ抱き締めてあげるだけで
融け出すこともあるのだ
愛を知りたい人は
触れてみて
愛を感じたい人は
見つめ合って
ただそれだけで
洗い流してくれる愛
自分から始めよう
自分を愛していこう
この世界にある悲惨な状態を愛で包みたかったら
まず自分から愛し始めよう
神が造りし子どもらの中に
自分も含まれているのだと強く自覚をしていこう
愛はこれから作るものではなく
すでにあなたの中にあるものなのだから

自分を愛することから始めよう、という教えは初めて聞く教えです。自分を愛するというのは当たり前といえば当たり前のことですが、しかし本当に自分を愛しているか、愛しきっているか、自分を愛するってどういう事か、そう考えていくと、自分造り、自己確立、自己探求、不動心につながっていく、その大事な出発点であることに気がつきます。日木流奈氏は、自分に心地良いことをしよう、魂に心地良いことをしよう、一方では洞察することを大切にとも言っています。

P.161

罪の追及しても始まらない。
反省しても始まらない。
させても始まらない。
どれも無意味。
瞬間を受け入れて、そこから始まる。
始まりは常に今。

 この教えに対しては、一瞬???と思うかも知れません。私も、同じです。しかし、よく考えてみると、物事にはいろいろな側面があり、またいろいろな入り口があります。ですから、言葉の意味だけを取るのではなく、文章全体の意図が何処にあるかを知ることが大事だと思います。そうすると、この文章の主題は、瞬間をうけいれる、ということだと分かります。

 多くの人は、過去を引きずり、未来を憂うことで「ありのままの現在の自分と環境」をしっかりと認識し、これを心から受け入れているかどうか、彼はこれを指しており、それが全ての出発点だ、そう言っているのであると思います。

 全ての出発点とは、自己を愛し、自己確立の後に、他への愛を実践する、その進化(魂の進化・悟り)の始まりという意味です。利自から利他へということを別の言葉で語っていると理解できます。

 すなわち、罪の追求や反省は、学びの出発点ではない、いきなり反省から入っても無意味だと言っていると私は理解します。神理を学んだ人は反省を協調する余り、大事なことを忘れているという戒めに思えます。

P.172

愛という種子(たね)を蒔けるのは
愛の花を咲かせた人たちだ
眠っている種子に開花を促すには
ただきっかけを与えればいいにすぎない
それは温度かもしれないし
水かもしれないし
光かもしれない
何がきっかけになるかはだれも予想がつかない
種はいつでも待っているのだ
だれかそのサポートをしてくれるのを
種にはすでに力がある
自ら花を咲かせる力があるのだ
環境はそれを円滑にするためのサポートにすぎない
見守る勇気を持つこと
愛を受け渡すとき
見守る勇気をもつこと
大切なのはそれだけだ
愛の花は競い合わず
ただ互いの違いを認め合い
それぞれがそれぞれのときに様々な花を開くのだ
種蒔きの住人たちよ
ただ見守っていけ

 「見守る勇気」という言葉、これはなかなか出来ない、しかし大切なことだと思います。自己反省を含めて、そう思います。仏像の微笑み、という言葉があります。あの微笑みの意味は、まだ分からない、悟らない、でもそれを悲しみを超えた微笑みを持ってじっと見守る心であり、また少しでも悟り・進化したら、うれしさを込めて微笑む心です。

 「勇気」とあるように、真の愛を実践するには勇気と智慧が必要である、と学んではいても、なかなか難しい事であり、永遠の学びであると思います。しかし、勇気を持って自分なりに実践していかないと、永遠にその神髄が分からない、到達できないことであると思います。

 愛の実践をしようとする種蒔きの住人達に、その心構えを教授した詩であると思います。

P.177

宇宙の意志は私の意志
そして各人の意志
宇宙の意志は人々の思いが作るもの

 この詩は大変短い、更に私の限界を超えた話であり、真意を理解するには、憶測をもってするしかありません。「闇の寝所・魂の故郷・里帰り・ 神が造りし子どもらの中に自分も含まれているのだと強く自覚」、という幾つかの言葉から、次のように理解することが出来ます。

 私(詩の作者)は、宇宙の意志によって創られた。その私は宇宙の意志を受け継いでいる。そして、人間の魂も宇宙の意志によって創られた。従って、人間も宇宙の意志を受け継いでいる。私も、人間も、この宇宙そのものが、神の体の一部なのだ。すなわち、私の意志、各人の意志そのものの中に、創造主の意志が埋め込まれ、脈々と流れているのだ。

 今はまだ、人間は本来神の子であることを、まだ多くの人間は自覚するに至っていない。そして、多くの人間が進化し神の子を自覚するに至る時、この宇宙全体が進化発展していく時である。人間一人一人の念い、全宇宙の魂の念いの総意が宇宙の念い・意志であるから、そうやって宇宙の意志が作られ、進化していくのである。

 このような意味の教えであろうと思います。

P.187

はるかかなた
生まれ出ずるははるかなり
受け継がれし思いと
受け継がれしシグナル
肉体に宿りし暗号の解読
それらがすべて読み解かれしとき
すべての記憶はよみがえる
封印されし思い
それを宇宙の意志と呼ぶか
なんと呼ぶかは大して重要なこととはなるまい
ただ感じること
ただ活用すること
ため込まれた脳の活動の開始のとき
肉体はどこにあろうと
精神ははるかな場所へ行くことが可能になる
すべての封印されし脳の記憶
人々に刻まれた細胞の記憶
すべてが始動する日
それは始まる
宇宙へ
その根源への里帰り
ルーツをたどり
旅をすることになる
それまでは肉体と精神のバランスをとり
進化を恐れず
進むがよい
時間と空間を同時に存在させる日
それがいつか人々に訪れるであろう
いちにちいちにちを大切にひたすらに感じ続けよ
己の心を研ぎ澄ませ
そしてただ待つがよい
宇宙の意志を感じいるその日まで

 既に、今までの解説と前段の詩を読んでこられた方は、この神の願いと慈悲の念いを熱く《感じる事》が出来るはずです。

 ここはもう、人間心で下手な解説をするよりは、何度も読み返し、《更に深く感じる事》が大事だと思います。

3.終わりに

 この詩を通して流れているのは、魂の進化という非常に大きなテーマに思えます。また詩に込められた意味は奥深く、私の解説では説明がおそらく浅すぎるかもしれません。それを、読む方々が補ってくださることを願っています。過去にいろいろな神理に触れてきましたが、この様な魂の進化、魂の秘密に関する教えに接したことは有りません。

 そして、13カ所に分散して、本文とはそれほど関連無く挿入してあります。おそらくは、大多数の方々は見過ごしてしまうのではないでしょうか。であるとすれば、その意図する所は何でしょうか。読者も一緒に考えてください。

 「流奈カレンダー2000」と合わせて読むと、次第にそれを《感じ取る》ことが出来ると思います。本サイトの核心的テーマである「神の偉大さと進化の計画」と密接に関係していますので、公開の暁には是非御参照下さい。



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