ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

はじめに

 私は精神世界に目覚めて以来、多くの人々に霊の世界・多次元宇宙なるものが現実に存在し、人間はあの世(実在界)とこの世(現象界)を「輪廻転生」し、「永遠の命」を持った存在である事を機会ある毎にお話ししてきました。しかしながら、多くの方が半信半疑であり、そんなもの絶対にあるわけはないと思っておられる方が多いのが実態です。そこでまず最初に「脳に心はあるのか」どうかという点に絞ってお話し、そこで脳に心は無いという確信を持てた方は霊認識からの発展、さらに悟りとは何かと題して、これからの学びの道筋を示すことにしました。

 これは人間の本質は霊であり、脳に「心や意識」がない事の証明をしようとの試みです。最後までお読みになり、貴方の人生感が犬きく変わるきっかけになれば幸いです。そして、今後の学びの目標が理解できれば幸いです。 

1.脳とコンピュータの比較 《脳に心が無い事の証明》

① 処理速度
 
 電気信号が回路内を伝播する速度は光の速度30万km/sec(1秒間に地球7回半)の数十%と言われています。一方、人体の神経を伝わる信号の速度の最大値は約100m/sec程度です。このように電子回路と人体内の信号の伝わる遠度の比率は約、1,000,000:1の圧倒的な違いがあります。人問の体は電線ではありませんから、その処理速度・伝達速度は電子回路やコンピュータに比べるとほぼゼロに限りなく近い数値であり、「極めて遅い」のです。

② 処理単位              

 人間の脳細胞は140億とも200億とも言われています。そして一般にその10%ぐらいしか実際は使用されていない事も、いわば常識的知識として知られています。コンピュータの記憶の単位はビットと呼ばれ、ここでCD(15cm)1枚の記憶容量を表現すると約700MBぐらいのようですが、1バイトを8ビットととして、これをビットに直すと56億ビットとなります。音楽が1時間ぐらい録音出来るようです。DVDだと片面4GBぐらいですが、これをビットに直すと320億ビットとなります。やはり1時間ぐらいの映像が録画出来るようです。

人間の脳細胞の10%といえば、10億~20億ですから、CDやDVDの数分の一から十分の一程度の脳細胞しか使われていない事になります。一方学者は遺伝子の中に記憶の単位があるというふうに考えており、そうすると全く異なる計算結果となり、記憶容量が飛躍的に増えるのですが、それこそ仮説の段階であり、考え方に無理があります。

 遺伝子とは、もともと精子と卵子が持っていたもので、それが分裂しながら引き継がれているのであり、生物、動物、人間、性別、個性という肉体的属性を特徴付けるのが遺伝子であり、同種類の細胞別同士の遺伝子が異なるはずがありません。

 いずれにせよ、人間の記憶量はそんなわずかなものではありません。皆さんの記憶量、映像化されたものや様々な感情の記憶、更に知性や理惟、感情、勇気といった人間特有の微妙な機能はいったいどのくらいの記憶容量、処理単位、処理能力があればできるでしょうか。ここに大きな不思議があります。人間の属性を表現するとして、専門家が試算した結果があり、後述しますが恐ろしくびっくりするような数値になります。

 科学者は困っているのが現実だと思います。つまり、記憶や感情さらに複雑な心がなぜ脳にあるのか、なぜ可能なのか、その確かな根拠が何十年研究しても見出せないでいるのです。

③ 脳綱胞の減少           

 人間の脳は10才前後にほぼ完成し、その数は徐々に減少していく事はよく知られています。死の直前では約20%減っていると言われています。一方コンピュータは通常において記憶単位が消滅する事はありません。宇宙線その他の外的要因によって破壊される事はあります。

 ここにも不思議な事があります。人間の脳細胞は70年間で30億減少するとすると、1秒間に1.4個ずつの綱胞が消滅している事になります。又、1年間に全記憶単位の0.28%が消滅、10年で2.8%が消滅します。そしてこれが脳全体に均一に起こるとすればどうでしょう。

 貴方の大切な記憶、自分にとって大事な人の記憶等、例えばえばその人の顔を全く忘れてしまうというような事が絶えず起こるはずです。もう一つ大事な事は、このような脳細胞に記憶があるとすれば、一度忘れたり消滅した記憶は二度と復活しないはずです。又聴覚、視覚、言語といった機能もどんどんその能力は落ちていくはずです。

④ 機能の回復

 脳細胞は減少しても記憶や知性が減少する事はありません。よく「ど忘れ」という事はありますが、ある時、ふと思い出す事がしばしばあります。又知性・理性というものは、経験を積む程豊かになります。

 コンピュータの記憶の媒体(CDなど)のようなものは、一度破壊されると絶対に回復できません。コンピュータの記憶には大きく分けて、コンピュータの動作・働きを決めるプログラムを記憶する部分と、各種のデータを記憶する部分があります。そしてプログラムを記憶するための部分が破壌されると、それがどんな小さな損傷でもコンピュータは作動を停止します。

 又データを記憶する部分も、ある場所が破壌されると全てのデータを読み出す事ができなくなります。コンピュータと脳とは勿論異なるわけですが、脳に心や意識があるとすれば、コンピュータと同じように、人間の働き、動作を決定するプログラムの記憶と、データの記憶領域があるはずです。貴方が朝、タイマーのスイッチONのように目覚めたとして、その間約7時間として、25,000個以上の脳細胞が破壊されています。貴方は果たして正常に動作すると、確信できるでしょうか。

 私達の脳細胞は、1秒に1個以上消減しています。しかし、脳溢血等で機能障害になった人でも、リハビリによってかなり回復します。言語は話せなくなっても、その人の知性や理性・記憶そのものはなくなっていない事は証明ずみでありますし、皆様方も御経験があるかも知れません。

 近年、脳細胞も一部の領域で再生できるという研究結果が発表されていますが、それは条件付であり、機能の回復を説明できるかどうか大いに疑問です。そして、脳に記憶や心があるとすれば、機能の回復があること、記憶はなくならず、人格が一生を通じて変わらない等の説明が出来ません。(ただし、憑依によって人格は変わります。数体の悪霊に憑依された場合、多重人格者となります。詳しくは、別のページを参照。)

⑤ 脳の切除              
 
 大脳は右半球と左半球に分かれており、それぞれ右脳・左脳と呼ばれています。左脳は論理的・言語的分野を担当し、右脳は非論理的分野を担当していると言われています。

 脳に腫瘍ができたために、脳を切除する例が多くあります。その後その人がどのように変化したか、勿論研究者は詳細にこれを調べております。右半球・左半球それぞれを切削した例においても、人格・記憶・理性といったものはほとんど変化しないことが証明されています。信じられない方のためにその文献を一部ここに引用して紹介します。                        

「右脳革命」(TR・ブルークスリー著)
1981.05.01初版 大前研一 訳 プレジデント社


摘出手術でわかった左右脳の貢献度 --------P.18

 成人が片方の脳を手術で除去(脳半球摘出)された後の変化ほど、各半球の貢献度を顕著に証明するものはない。右半球の摘出(左脳は健全)によって、言語能力は基本的に損傷を負わないが、やや“コンピュータ的”になる。言葉の逐語的な意味は正確に理解できるけれど、比楡、抑揚、感情豊かな調子はなくなる。個性、洞察力、空想力、進取の精神といったものも大幅に損なわれる。シャツの前後を間違えずに着るとか、浴室やトイレから戻ってくるといった簡単な“空間的仕事”にも、もたつくようになる。

 言語意識が右脳の思考からは全く独立しているということは、右脳半球の摘出手術中、患者の意識が全く正常状態を保っていられる、という事実がはっきり証明している。右半球摘出を行なったある医師は、「患者との会話は手術の始めから終りまで続き、ハッキリした意識に何の変わりもなかった」症例が四つもある、と報告している(脳には痛みを感じる器官がないので、脳手術は患者が正気のまま行なわれることがよくある)。

 左右の脳の分離手術も、ほとんど麻酔なしで行なわれる。さらに、患者の精神機能を見守るために、手術中も会話のやりとりが続行される。患者の言語機能にはなんの変わりも認められなかったから、手術の前後で左脳が右脳の思考に影響されなかったことは明らかである。

 自覚(すなわち「ワレオモウ、ユエニワレアリ」)という言語的な概念は左脳に封じ込まれているから、左半球の除去によって自覚がなくなることが予想されよう。腫瘍の進行を喰い止める止めるために左脳を全部摘出された聖人の臨床例がいくつか報告されている。これらの人は自覚(あるいはその他のなんでも)について話す能力は失われたけれども、完全に自覚があり、考える能力は持っていた。事実、感情的な特徴とか非言語的な人柄は手術前となんら変わるところがなかった。四十七歳のある患者が左脳摘出五ヵ月後に受けた非言語的IQテストは、110点という好成績だった。彼は非言語知能においては、全人口の上位25%以内の地位を占めていたのだ!                      

 独自の感覚を持っている右脳は、一個の人間全体の中の明らかに重要な部分である。にもかかわらず、対外的な表現力に優れた左脳の言語的知覚の陰に隠されてしまっている。われわれが間接的な証拠から、地球は球体ではないかと考えるようになったように、ちょっと注意してみれぼ、心の二面性に気づくことは容易である。左脳の摘出を受けた患者が初めて気がついた右脳からの非言語的な信号は、後章で学ぶように、ちょっと注意すれば正常人にだって平素から十分に認知できるのである。まず第一にわれわれは、言葉でしか表現できない思考だけ思考と考える、身にしみついた習慣を捨て去らねばならない。

脳の柔軟性------P.171

 身体のほかの部分と違って、傷ついた脳細胞は決してなおらない。しかし、脳の働きそのものは“学習”に似た方法で、ある程度までは回復する。たとえば、脳の片側が傷つくと、しばしば反対側の手足に麻庫を起こす。麻痒した部分と同じ側の脳半球とは、すでに神経のつながりが不完全ながらどうにか発達しているので(付録Ⅱ参照)、粗い動きなら回復できる。損傷後の物理療法でこうした神経のつながりを“教育”することによって、かなり筋肉の制御ができるようになる。

 一九七五年にアーロソ・スミスによって、幼時の脳には驚くほどの柔性があることを示す、すばらしい例が報告されている。生後五年半のときに左脳半球を完全に摘出されたにもかかわらず、この患者は手術して21年後の言語知能指数は121だった。非言語的な思考能力に関する反応知能指数は102と低かったが、それでもなお平均並みである。現在彼は交通管制官の仕事に就いており、同時に中西部の有名大学の最終課程を終えようとしている。これはたしかにマレな例ではあるが、物理的にはどちらの脳半球でも優れた言語能力を開発しうることを示している。

手術による脳半球摘出 -----P.172     

一九二九年にジョーンズ・ホブキンス大学病院のW・E・ダンディは、右脳半球全体を取り去る脳半球摘出と呼ばれる劇的な五件の手術例を発表した。患者の病状が回復したのみならず、右脳摘出によって言語、一般知能、人柄になんの影響も及んでいない、と報告された。時がたつにつれ、これらの報告はいささか誇張に過ぎることがわかったが、脳腫瘍が絶望的に広がった子供や大人に、あいついでこの手術が適用された。

 脳半球摘出について特筆すべきことは、手術によって患者の知能テストその他の知的能力がしばしば改善されることである。十九歳の少年に施された非常にうまくいった手術の場合、手術前には言語知能指数101、反応知能指数63であったが、手術後15年たって測定したところ、前者が121、後者が91に向上していた。この患者は、左脳半球しか残されていないにもかかわらず大学の学位を獲得し、いまは政府で管理職として成功をおさめている。

 恐らく、脳梁を介しての支配権獲得競争において、損傷した側の脳が健康な脳を抑圧し、悪い結果を招いていたのであろう。手術の後に知的能力が改善されたのは、健全な脳半球がすべての仕事を司るようになったからである。だからキンスボーンとスミスの著書(『脳半球切断と大脳の機能』)にもあるように、右半球を摘出した四人の患者の言語知能指数は99、85、99、103であったが、反応知能指数はぐっと劣って77、63、73、68となってしまうのである。

 さらに、この本の後半に対談があり、人間の記憶容量について触れた箇所があり、このように書かれています。(P.256) 

・・・・・・・・・
人間の脳に入る情報のビットというのは、2の10兆乗なんですね、これは劇的な言い方をすると、この宇宙に存在する電子と陽子の数より多いんです。電子と陽子の数は2の千乗より少ないんだそうです。だから、人間の脳のキャパシティというのは、いろいろな計算方法によるんですが、恐ろしいくらいあるんですね。そうすると・・・・・・・・・・・ 

 ここで、「脳のキャパシティ」と言っているのは、「心と記憶のキャパシティ」と言い換えてください。この三次元宇宙全部の電子と陽子の数が、一個の脳に入るわけがありませんから、「脳のキャパシティ」という表現は間違いだということが、容易に分かります。

 2の10兆乗というのは、2を10兆回掛け合わせた時の数字です。上記の内容から、脳のキャパシティはこの全宇宙の電子と陽子の数の何倍かというと、天文学的数字という表現でも表現できない数字であり、10兆から1000を引いた数の回数だけ2を掛け合わせた数、すなわち2の9兆9999億9999万9000乗となります。② 処理単位で述べた、遺伝子の数など全く問題にならないことが分かります。

 すなわち、2の10兆乗という数字がどこから出てきたかは別にして、仮にそういう計算があるとすれば、それだけで既に「脳に心は無い」、「心は物質では作れない」ということを明らかに証明したことになります。

⑥ 脳と心

 1992年11月号の日経サイエンスで、「脳と心」という特集がありました。昔からこの研究は盛んであり、当時、私はこの特集を隅から隅まで読みましたが、「心や意識」が脳のどの部分に存在するのか明確な説明はありませんでした。

 あれから15年が経ち、久しぶりに調べて見たのですが、結局いまだに核心に迫る証拠を見いだせないでいます。「脳と心のハンドブック」というサイトがありますので、御参照下さい。ここでは、意識はどこにあるのか、というテーマで三つの学説を紹介しています。

 学者達は「心・意識・記憶」といったものが脳にあるはずだ」という思い込みを強くもっているようです。ニューロンは脳の神経綱胞の事で、人体の他の細胞と比べ著しく異なるのは、そのアンテナ状の不思議な形状にあリます。実に「アンテナ」に似ていると思いませんか。

 前記の日経サイエンスでは、老化の話しがありました。脳の全重量は年とともに驚く程減少して行く事がグラフで紹介されていましたが、同時に、「しかし年令にかかわらず、『心の働きは20才代とさほど変わらない』と述べられていたのです。その記事を紹介します。

⑦ 脳の老化と心の老化        

「脳の老化と心の老化」
D.J.セルコー
 1992年11月号の日経サイエンス

 《老化により,脳の特定のニューロンは摩滅し,化学的に変性する。しかし,実際には,これらの変化によって目に見えるほどのひどい知性の低下は起こらないのが普通だ。》

 アルツハイマー病に代表されるような深刻な痴呆の症状を見聞きするたびに、私たちの気分は重くなる。医学が進歩して寿命が延びたところで、結局,長生きすれぱボケから逃れられないのだ、と考える人は多い。

 しかし、これはまったく根拠のない思い込みであり、現実には,老人(65才以上)の90%は深刻な痴呆とは無縁のまま、ごく普通の日常生活を送ることができる。確かに、年をとるにしたがって、脳には機能的、化学的変化が起こり、学習や記憶などの複雑な知的機能を担う部分でニューロンの滅少や変性が見られるようになる。

 特定の酵素やタンパク質も青年期の7割にまで減少してしまう。だが,これらの変化は徐々に進行するため、思考カなどに大きな影響を与えることはない。実際にPETの画像は,特定の脳疾患にかかっていなければ,80歳代になっても脳の活動は20歳代とさほど変わらないことを示している。

 いかがですか。表題に「心の老化」とありますが、本人の思い込みによって老化する事はあるでしょう。理性や知性は使用しないと退化する、しかし使い続ける限り退化もせず 「心」は歳を取らないのです。それどころか、経験を積めば積むほど、進化するのです。

2.脳の役割《何のためにあるのか》

① 脳の細胞の形

 脳細胞の写真を見た人があると思います。丁度アンテナのように「細いひげ」が沢山出ているとても不思議な形をしている事にお気付きでしょう。ニューロンの構造図をもう一度ご覧下さい。見れば見る程アンテナだと恩いませんか。

② 変換機能              

 霊的信号を「肉体的信号」へ、肉体器官の様々な情報を「霊的信号」へ、それぞれ変換する働きをしています。つまり思いを行動に移すためには、筋肉に動けという指令を与える必要があります。又、目で見た内容を心に伝える必要があります。ですから、これらの信号をやりとりする集中コントロールセンター又は、専門用語で書えばI/Oインタフェースといいます。「I」はINPUT,「O」はOUTPUTの意味であり、インタフェースとは質やレベルの異なる信号が相互に同通するための「変換機器」というような意味です。アンテナ状のニューロン細胞がこの信号の「受信」・「発信」をしていると考えて良いのではないでしょうか。

 霊的信号、すなわち霊波を生体電気信号に変換し、生体電気信号を霊波に変換する神経細胞の集まりが「脳」であると言うことが出来ます。

③ では心はどこにあるのか

 霊とは本来姿なきエネルギー体なのですが、人体に宿る事により人体状の魂を形作り、中心に心を据えて魂修業をしています。そして約30cm程度の大きさの「心」が胸の付近にあります。胸が込み上げてくるという経験があると思いますが、そのために起こる現象です。魂は更に肉体と同一の組織と形状を持った幽体という下着を着て、肉体の中にぴったりと入っています。

④ 死の定義

 心と脳とは「霊子線」でつながっています。「幽体離脱」、「臨死体験」、熟睡中の夢などにおいては、魂と肉体とが分離した状態になりますが、この「霊子線」はどこまでも延びる事ができ、他の霊子線と交差しても、もつれることはありません。絶対に切れたり、もつれたりしないのですが、肉体の損傷や寿命で、肉体船を捨てるときが来るとこの「霊子線」は切れ、もはや肉体に戻る事はできません。これを、この世の「死」と言います。

⑤ 回復機能             
 
 脳細胞はどんどん減少していくという話しをしましたが、ではどうして正常に肉体を維持できるのでしょうか。複数の細胞(それもかなりの数)が同じ信号を取扱い、又死減した細胞が多くなると、別の細胞群と配線のやり直しをすると考えられます。ですから、脳全体の10%ぐらいしか使用されていないのは、非常に大きな意味があるのであり、予備の細胞群が沢山あることになります。もし、脳細胞の全部が、フルに使用されていたとしたら、少しの損傷または死滅で、直ちに脳障害が発生するはずです。

⑥ 知性
 
 人間は極めて多くの知識・記億があります。映像的な記憶も含めると、とてもCD何枚というものではありません。又、知性、理性、感性、愛、知恵、勇気、美意識、徳、仁..というような様々な高度の思考・推察力、洞察力、判断力、又感情というもの、これらは人間の最も人間らしい特徴であり、未だにスーパーコンピュータを使用しても、そのかけらも表現できません。

 それ程人間の知性というものは高度なのです。これほどのものがあのタンパク質の固まりのようなものの中でできると考える方が、余程おかしいとは思いませんか。科学者が懸命になって、もっともらしく脳を研究しているのは、極めて滑稽と言わざるをえません。
 
 いかがでしたか。これでも貴方は脳に「心と意識・記憶」が在るという自信があリますか。貴方が人間の本質は霊である事を否定し、人間は肉体が全てだと言い張るならば、貴方の心はどこにあるのか、以上の私の証明を論破する事を試みては如何でしょうか。

 これほど科学が発達し、医学も発達している現在、生物・医学上の最大の問題である「生命とは何か」・「脳と心の問題」は何の証明もされておらず、又発見もされていないという事実を認識して下さい。脳をいくら研究しても「心」や「記憶」の存在を説明できないのです。これを科学者は不思議だと言っています。違うのです。不思議ではないのです。何故ならば、「心は脳に無い」からです。実に単純なことなのですが、霊というものをもっと科学的に取扱う科学者の出現を期待しています。いずれ、そういう時代が来ることでしょう。

3.巨大霊能者の存在          

 いわゆる霊媒、拝み屋、小さな霊能者は皆さんの周りにも沢山おります。又テレビ等で見受けられるでしょう。その中には大変間違った方向からの現象も多く、それ故、多くの人が恐ろしい、又気持の悪い印象を持たれているのです。しかしここに紹介する過去の巨大霊能者は、人格的にも優れ、また社会的に大きな実績を遺した人として、歴史上にその名を残す人々です。

① ノストラダムス 1503~1566

 前半生は医者として実績を積み、1550年代、アンリー王朝の典医として仕えました。社会的な信頼を勝ち得た後、様々な「予言」をするようになり、予言書「諸世紀」を刊行しました。死後、400年を経過した現在でも、その難解な予言詩を研究する人が跡を絶ちません。難解ではあっても、その予言内容は確かなものとして、歴史的評価を受けているからでしょう。

 人類存亡の危機が到来するという予言は、「ヨハネの黙示録」だけではなく、聖書の他の部分でもイエスキリストが語っています。ノストラダムスも、象徴的なイメージを神に見せられ、それを予言詩として遺す使命があったのだと思います。幾つもの山が連なり、その山並みがより高みを形成していくように、「ヨハネの黙示録」を補完する意義、そして予言ということを通して神の実在を人々に予感させ続けてきた意義は大きいと思います。

② スウェーデンボルグ 1688~1772           

 近代の夜明けと言える時代に生まれ、やはりノストラダムスと同様に前半生は自然科学を通して実績と信頼を勝ち取った後、55才で神の啓示を受けるようになりました。主として霊界探訪で見たり聞いたことを書き記し、有名な著書としては「天界と地獄」、また「天界の秘儀」などがあります。スウェーデングボルグの霊能力は、当時ヨーロッパでも非常に有名になり、その影響を受けた人は多く、現代でもその影響力は衰えていません。
 
 聖書の時代から1700年余りを経過した当時、文明の発展と共にキリスト教に欠けている部分を補完し、新しい価値観を吹き込むための使命があったのだろうと思います。
 
③ エドガー・ケイシー

 二十世紀のアメリカに生きた最大の霊能力者の一人であり、ノストラダムス同様、奇跡の人として有名です。「リーディング」と称されていますが、自己催眠状態に入ってベットに横たわると、無意識にもかかわらず、さまざまな予言・アドバイス、処方箋など、また思想や教義を話すという奇跡を起こした人として知られています。

 天変地異の予言も含まれており、「日本が沈没する」ということで、一時、騒がれたこともあります。スエーデンボルグと同様に、敬虔なキリスト教信者にもかかわらず輪廻転生を語り、キリスト教に欠けていた部分を補完する使命があったものと考えられます。現在でも予言の内容は生きており、エドガー・ケイシー・センターでは、全予言が検索できるように管理されているようです。

④ 出口王仁三郎 1971? ~1948             
 
 大本教の教祖。日本のみならず、中国やその他の諸外国にまで影響を及ぼした巨大霊能者であリました。彼の霊能力が余りに巨大であり、その影響力の大きさ故に、当時の警察当局はこれを二回にわたって弾圧(第一次、第二次大本事件)を加え、綾部にあった大本教の本部を、千本以上のダイナマイトで破壊したと言われています。代表作として「霊界物語」があります。

⑤ 高橋信次 1927~1976  

 高橋信次氏が没っして既に30年を経過しましたが、その人気は一向に衰えません。その霊能力は圧倒的であり、講演会などで、憑依霊との対話実演が公開されている様子をビデオで見ることができます。小さいときから霊的体験をし、亡くなる10年ほど前に本格的な霊現象が始まったそうですが、伝道期間が10年ほどしかなかったのは大変残念です。しかし、その間に与えた影響は極めて大きく、創設した某団体に属していない、いわゆるファンが多い事がそれを示しています。

 いかがでしたか。この人達は歴吏に名の残る人々であり、人格的にも優れた方達でした。スウェーデンボルグなどは、科学者としてもノーベル賞に匹敵する仕事を沢山した方です。この存在を貴方は否定できるでしょうか。

4.幽体離脱              

 100人に2~3人の割合で、幽体離脱を経験する人々が貴方の周りにいると思います。私もその本人から話しを聞いた事があります。(実は皆さん、毎晩就寝中に経験している事なのですが。)

 ここにその代表例を紹介します

「地球大破局からの脱出」
宇宙人の最終警告/多次元宇宙と宇宙エネルギーの真相を暴く
1991
廣済堂出版 工学博士 深野一幸著
P.144

 横尾氏は皆さんよくご存知のように、グラフィックデザイナーやイラストレーターとして活躍している画家であるが、宇宙人とコンタクトしているコンタクティとしても知られている。横尾さんは何度も幽体離脱しているが、次はその中の一例である。

 横尾さんが、品川のあるホテルの一室でベッドに寝ているときのこと、ふとドアの下を見ると隙間に新聞があるのが見えた。新聞はちょっとドアの下に突っ込んだ程度だったが、おかしなことに紙面全部が見える。そんなバカなことはないと起き出して、ドアに顔を近づけると、そのまま顔がドアを通り抜けてしまった。

 「おやっ」と思っていると体ごとドアを通り抜けて、そのまま廊下に出てしまった。おかしいと思って自分の体を見たら、自分の体が見えない。彼はすっかり気が動転して、あわてて自分の部屋へ戻ろうと、ドアも開けず、そのまま自分の部屋に飛び込んでしまった。しばらく心臓がドキドキし、これはてっきり自分は死んだに違いないと思ったという。

 ちょうどそこへ、掃除のおばさんが鍵を開けて入ってきた。彼はそのおばさんの後ろへ回って首を絞めてみた。するとおばさんは、ギャッと悲鳴をあげ、掃除用具をほうり投げて出ていってしまった。それで、いよいよ自分は死んだに違いないと思った。

 ところがふと気がつくと、自分の体はベッドに寝ているではないか。彼はやみくもにベッドに飛び込み、果たして手が動くかどうか上げてみたら、手は動いた。起きてみようと上半身をおそるおそる起こしてみたら、ちゃんと起き上がれた。ここでやっと「オレは死んではいないんだな」と自覚することができたという。

 これは、横尾氏が実際に肉体から幽体離脱した体験で、肉体以外の意識(霊魂)の存在を示している。

5.臨死体験
                 
 臨死体験は古今東西非常に沢山あります。少し古くなりましたが、これらを集大成した本で「死の体験」(カールベッカー著)の中の1ぺ一ジを紹介します。
 

「死の体験」
1992
(株)法蔵館  カールべッカー著


P.16

トンネルの体験

 昭和60年10月21日、歌手のフランク永井氏は首吊り自殺を図った。夫人が発見したときにはすでに手遅れ同然だったが、さまざまな人々の努力によって氏は一命をとりとめた。氏によると、首を吊った瞬問に呼吸困難となり、視界が一瞬真っ赤になった後、真っ黒になったという。空中に歪んだ自分の顔が見え、次第に奇妙な音が聞こえ始めた。その音は次第に大きくなり、氏は暗い穴のようなトンネルの中に吸い込まれていった。そして急に上昇し、浮遊しながら自由に壁や扉を通り抜け、下界の様子を見ることができたという。肉体との繋がりを断たれて柔らかい光に包まれ、再び急上昇した。ふと気づくと、平地に立っていた。前方の花園から美しい音楽とともに今は亡き肉親や友人の声が聞こえ、懐かしさと会いたい気持ちに駆られ、そちらへ歩き出した。そこには渡ると死に、引き返すと生き返るという三途の川があり、氏は何らかの力によって引き戻され、蘇生したのである。

 永井氏は最近この話を友人の丹波哲郎氏に語ったのだが、この話の中に、いくつかの典型的な臨死体験の要素を見出すことができる。暗いトンネル、柔らかい光、花園、三途の川はいうまでもない。むろん、永井氏は自殺を図った際にこのような体験を期待してはおらず、また浄土教の信者だったわけでもない。にもかかわらず、前記の体験をし、甦った後にその体験を語っているのである。アメリカでは、トンネル体験が花園体験よりも多く記録されている。しかし、日本ではなぜか花園の体験の方が多いようである。

花園の体験
                 
 中岡俊哉氏は以下のような体験をしている。終戦後も五年ほど中国大陸に残った氏は、ある日、火薬を積んだ車で移動していた。その車が突然転覆して大爆発を起こしたため、12時問も死の世界をさまよい、その間に極楽を体験した。氏によると、そこは美しい花園で、そこにいる人々はみな楽しそうに見えたという。また橋の架かった川があり、渡ろうとすると、すでに亡くなったはずの伯父たちに「渡るな」と言われ、追いかえされ、この世へ生き返って来たのである。

 この体験は40年近くも前のことだが、中岡氏はこれときわめて類似した最近の事例を記録している。例えば、昭和62年5月28日、静岡県に住む五四歳のM氏は、車を待っている際に暴走車に撥ねられ、16時問後に息を引き取った。しかし、医師が死亡を確認してから11時間半後に、M氏の身体は動きだし、蘇生したのである。

 M氏によると、死後の世界は安楽界で、気持ちのよい美しい所だったという。そこには見ず知らずの多くの霊がいて、楽しく話をしており、その霊に、水仙のような花が咲く平地に案内されたという。キラキラと金色に輝く動物が、大勢の霊とともにM氏に道筋を示してくれ、M氏たちはそれに従って進んだ。その後、空からこまかい煙のように垂れるものにつかまると、M氏たちは水の流れていない川に到着した。それは三途の川のようだったという。そばにあった石のようなものに腰をおろしたM氏は、ボカポカとして気持ちがよくなり、目を閉じた。すると、名前を呼ばれ、目を覚ますとこの世だった、というのである。
・・・・・・・

6.人体の不思議
     
① 成長遠度

 動物の多くは1年程で大人になリます。犬や猫、馬や牛をご覧下さい。何故人間は一人前になるのに20年もかかるのでしょうか。そこで、1年程で大人になった人間を想像してみて下さい。まだ言葉も満足に喋れない人が、大人と同じ顔、背丈をしていたらどうでしょう。おかしいですね。20年もかかって肉体が大きくなるのは理由があるのです。魂の成長(大変時間が掛かる)に合わせて、肉体も完成していくように造られているのです(プログラムされている)。

② 睡眠

 動植物(高等生物)はみな眠るようです。なぜでしょう。体を休めると肉体は回復します。それなのに1日7時間程「必ず」睡眠を取らないと生きていけません。肉体は食物エネルギーを活動エネルギーとしていますが、精神(霊魂)は別のものをエネルギーとしています。その別のエネルギーは4次元世界からやってくる「生命エネルギー」であり、通常は睡眠によってこのエネルギーを補充しています。

③ 夢 
                    
 夢は必ず見るそうです(科学的に)、しかし何故ほとんど覚えていないのでしようか。また全く知らない人に会ったり、全く知らない景色を見るのは何故でしょうか。睡眠中に幽体離脱して4次元世界を旅をし、幽界(精霊界・地獄)を垣間見てくる事が多いようです。ですから異次元の世界で様々な人に会ったり、景色を見てくるわけです。単なる想像で夢を見る場合と2種類の夢があると言われています。

④ つわり

 女性の多くは姓娠3ヶ月目頃、つわりに苦しむようです。これは天上界から生まれてくる子供の魂が、女性の肉体内の幼児に宿ったために起こる現象です。霊的な不釣り合いが一時的に発生するため、体調が悪くなるわけです。霊と霊の不釣り合い(波長の違い・性格の違いなど)の程度によって、つわりも軽くなったり重くなったりします。

⑤ 何故人間だけが知能を持つか

 この地上には実に多くの種類の動植物が生存しています。大型のものもあり、小型のものもあります。しかし人間と動物と異なる点は、圧倒的に優れた知能を人間が持っているという事です。中間的存在といえる動物はありません。これは偶然の事でもなく、進化論の結果でもありません。

 猿から人間が進化したとするなら、猿に色々な猿がいるように、人間にももっと異なる人間がいても良いし、またその中間に色々な動物がいるはずです。異なる種の猿同士は子供を造ることは出来ませんが、人間はどんな人種とも結婚し子供が生まれます。生物学的には、人間は同一の種だからです。それは人間は人間として、動物は動物として「造られた存在」だからです。

⑥ 本能、感情 
              
 人間や動物には、主として生存や繁殖するために持っている本能と呼ばれるものがあリます。又、花を見て「きれいだな」とか、良い匂いをかいで「気持よく」感じたり、「楽しい」と感じたり、この感情という部分、これらは人間が成長する過程で学んだ事でしようか。又、遺伝子に情報として埋め込められているのでしょうか。そうではありません。これらは教えられて感じるものではなく、誰から教わる事もなく、もともと魂の中にプログラムされているものなのです。赤い色を見て、世界中のどの人種の人々も、情熱的なものを等しく感じるのはまさにそのためです。

⑦ インスピレーション

 皆さんはインスピレーション、または直感という言葉を良く使うと思います。インスピレーションという英語は「霊的ひらめき」という意味であり、実際にその通リなのです。潜在意識からの通信によって、突然「良い考え」や、「気付き」が与えられるのです。潜在意識とは何でしょうか。3次元のこの世界へ生まれてくる時、自分の魂の85%は4次元「実在界」に残してきます。守護霊という存在は、この潜在意識下にあります。インスピレーションを多く受け取る事のできる人は幸いです。清らかな心を持っている人、又努力家だからです。インスピレーションを受けられる原理については、別のコーナーで御説明します。

7.偉人と呼ばれる人々

 人類史上には、数多くの偉人達が登場します。宗教、思想、科学、芸術、政治、...あらゆる分野に巨大な足跡を残しています。人間の心が脳細胞にあり、又生まれてから成長する過程で全てができ上がるとしたら、何故普通の人とこれ程大きな差ができるのでしょうか。生まれて、成長していく、その過程は皆同じです、そして皆「零から出発」します。しかし、「決定的な違い」があります。


 人類史上そそり立つ偉人達、それはこの地上界の「進歩発展」、又は「地上の浄化」という使命を帯びて天上界より派遺された「光の天使」達であるからです。もちろん、全てが計画通リに成功するわけではありません。「光の天使」といえども地上での努力・精進を怠ると、使命を充分に果せず、地上を去る事も多いと言われています。

 また「光の天使」が全て個人として目に見える実績を残すための計画を持って生まれるのではなく、保護者、影の支えとして生まれる場合などがあり、職業や見かけだけでは見分けることは出来ません。例えば、イエスを産み支えた聖母マリアは、当時はごく普通の母親に過ぎませんでした。しかし、マリア様は八次元如来界の大天使です。

 しかしながら、たとえ「一般的な魂」であっても、今世で大きな実績を残し、その人の魂が大きく進化するチャンスが与えられている、という側面もまたあることを付け加えておきます。

 以上の説明で、「脳に心・意識・記憶は無い」という事実に納得出来たでしょうか。そして霊魂の存在を確信する事ができるようになったでしょうか。まだ充分に納得できない方は、捕らわれ、思いこみ、そういう自分の心の歪みが無いかどうか、心の中を点検されことが大事です。

8.「霊」認識からの「発展」
      
 では霊の世界が現実に存在するとしたら、どのような事が考えられるか、どのような世界が貴方の前に展開し始めるのか。幾つかの重要ポイントの概要を簡単に説明します。

① 輪廻転生

 霊の世界がある事を確信したとき、私達はこの世に生まれてくる「前の存在」があった事、又「死後、帰る世界」が在る事、肉体は死んでも霊魂は死なないという事、この三つの結論にすぐさま到達するはずです

 私達人間の本質は「永遠の命」を持った「存在」であり、この世とあの世を行ったり来たりする存在だという事です。通常300~400年ぐらいの間隔で、この地上に肉体を持ち、様々な経験をしていると言われています。

② 輪廻転生の目的
 
 私達人間は何のためにこの世に生まれてくるのか。何を目的としているのか。人の生まれ変わりには、生まれる前に書き残してきた「計画書」があります。人によって皆その内容は異なりますが、一口で言えば、自已を限りなく「進化・発展」させるためであり、そのための「修業内容」が書かれているはずです。

 ですから、修行に相応しい環境、境遇、両親などをある程度選んで生まれてきます。成功や失敗、出会いと別れ、悲しみと苦しみなど様々な経験をするわけですが、どのような方にも多くの苦難が用意されています。「人生は一冊の問題集である」と言った霊人がおられますが、それぞれの個人に適した問題集が与えられているのです。

 その問題をどのようにして解いていくか、周囲の仲間・社会と調和しながら、豊かな社会をどのように造っていくか、苦難を苦難とせず生きていけるか、などその方の生き方の中にその人の「修業テーマ」があります。何が自分のテーマか、それを意識し、考え、努力をする方と、そうではなく単に《盲目の人生》を歩む方とは、当然のこと事として、大きな差が生まれてくるでしょう。

③ 天国・地獄             
 
 ではよく言われている「天国・地獄」は存在するのでしょうか。勿論存在します。霊とは姿形無き「意識を持ったエネルギー体」です。そのエネルギーには波長・周波数といったエネルギーの性質を表すものがあります。「波長同通の法則」と言って(物理学の理論でも同じ)、似た者同志は集まり、増幅し合う、又異なる波長は互いに何の影響も与えられない、与える事ができないという性質の事です。

 すなわち、その人の心の波長、エネルギーの性質によって、自然と住み分けができるわです。天国も地獄も人の念い(おもい)の数だけ存在すると言われています。いわゆる悪人だけが地獄に行くのではありません。現代人の約50%は地獄へ行くと言われています。では地獄へ行かず「天国へ行く方法」は、そして「地獄からの脱出方法」はどうでしよう、貴方は知りたくありませんか。

「念い」とは、言葉として思ったり考えたりする以前に、あるいは無意識の状態で心の深いところから《常に》発信されている波動を意味します。

④ 神の存在

 霊には様々な段階があリ、人類史上そそり立つ偉人と言われる霊もあります。この地球霊団には、約500億の霊人口があると言われていますが、この地球で最も神近き存在・人格神の最高指導霊(9次元霊)は10人いると言われています。しかしながらこの宇宙を創造した神はさらに高次元、20次元以上の存在と言われております。

⑤ 守護霊・指導霊 
         
 守護霊は全員に付いています。指導霊は専門的指導が必要な人にだけ付くと言われています。しかし波長同通の法則により、貴方の守護霊といえども貴方の行いや思いが正しくなければ、貴方を守護する事はできません。涙して貴方を見守るしかないのです。貴方の行いや、念いの全てを守護霊は見ています。知っています。この事実を貴方が知った時、今までの過去を振り返って貴方は神に詫び、守護霊に感謝し、自らを「反省」する事が沢山あるのではないでしょうか。では「どのような事を反省」すればいいのでしょう。「どのように反省」すればいいのでしょう。

⑥ 一念三千

 貴方は一日を振り返ってどのような思いが去来しましたか。心は常に揺れ動き、止まる時がなかったのではありませんか。人の心は一念三千と言って、善にも悪にも、天国にも地獄にも、その念は一瞬のうちにつながります。三千とは、三千世界という喩えでであり、あらゆる世界を意味します。

 愛にあふれる念いを持てば神の世界に通じ、ねたみやうらみ、嫉妬、怒りといったマイナスの念いは瞬時に地獄界に通じます。その念いのロープを伝わって悪霊達が、知らず知らずの内に貴方の心の中に忍びよってきます。人は平均的に2体程の悪霊に影響されていると言われています。地獄霊は地上の人間の生命エネルギーを吸い取リ、これをエネルギー源として活動しています。

 ここで、「神」の方向」、すなわち「正しい念い」の方向と、地獄界の方向、すなわち「悪しき念い」の方向、ここにどのような違いがあるのか、これを知る事がまず必要です。そして、自分の心の針の動きを常に監視し、これを瞬時に修正していく、そういう生き方を習慣にしていくことが大事です。 

9.悟リとは何か

 悟りの内容を議論するのではなく、まず言葉の意味をはっきりと定義しないと、仏教言葉になじまない人には、入り口から理解できないはずです。簡単に表現すると、

「人が神に近づく事を悟りと言う」

ですから、究極的に悟ったという事はあり得ません。悟りの段階、階梯は無限であり、地球人類の進化を司っている光の大指導霊(古典宗教の神・私達が通常の概念として認識している神)は高度に進化した人格を持った大霊ですが、この方達もまた更に高次元の神霊に至るための進化の過程にあります。

 悟りとは進化のプロセスですから、人類のひとり一人、全員がその階段を上っているのです。そして、悟りにはいろいろな段階があり、又いろいろな表現の仕方もあるでしょう。では、何をもって「ある段階の悟りを得た」と言えるのか、私は次のように定義しています。

A.悟りとは、あるテーマに関する事柄を理解し、心から納得し、自らの意志でその行動ができる段階に至る事を言い、この時、そのテーマに関して悟ったと言う。

B. 悟りとは、あるテーマに関する知識を学んだ後、咀嚼し洞察し、智慧としてその知識を活かせる段階に至る事を言い、この時、そのテーマに関して悟ったと言う。

                        
 この二つは、基本的に同じ内容なのですが、わかりやすくするために二つに分けています。このように定義すると、「なんだ、当たり前の事だ」と思われるはずです。もっと簡単に言えば、悟りとは真実を知り、当たり前のことを行為で示すことが出来る心の段階を言う、ということになります。ここで、霊能力があるか、無いかは全く関係ありません。すなわち、当たり前のことを当たり前にできる事が悟りなのです。今のままでも、皆様は≪既に悟っている≫ことが沢山あるはずです。

 ところが、簡単で当たり前のことが、分かってはいても出来ない、こういう事は実際に多いわけであり、それはまだ、その事に関しては悟っていないということです。例えば、電車の中で目の前にお年寄りや妊婦が立っているのに気がつき、すぐさま席を譲ることが出来るかどうか、こういう日頃のテーマを考えてみるとよく分かります。毎日の生活の中にこそ、心の修行があり、悟りの萌芽があると言えます。

 真実を知り、自分自身を知るのが宗教の本質なのですから、そこに不可思議なことは何も無いはずです。一見して不可思議と見えることでも、順序よく学び、納得いくまで考えることをくり返していけば、やがて不可思議ではなくなります。そのプロセスは論理的に正しくなくてはならないのは当然のことです。従って、いくら考えても納得できないことを、無理に納得する必要はありません。ところが、不可思議を不可思議のまま直感的に分かる事を悟りだと勘違いしている人が多いのです。でないと、悟りとは言わない、という方もおられるでしょう。

 ある時、お坊さんが竹林で掃き掃除をしていましたが、勢い余って石を飛ばし、その石が竹に当たって「カーン」という澄んだ音を発しました。この瞬間、このお坊さんはその音を聞いて、目の覚めるような心のすがすがしさを感じ、感動しました。そしてその瞬間、「悟った」と思った、何か分からないが、そんな気がした。こういう例え話があります。こういう不可思議な事を、説明できないことを悟りだと考えている人は、それはそれで、その人の悟りです。しかし、堂々巡りに気がつかない限り、更に上の悟りには行けないでしょう。

 真実を知ると、高い視点から広い視野で物事を見ることが出来ます。様々な物事、現象がよく見えるようになり、更に積極的に《観る》とその背景がわかり、その行く末までが容易に想像できる(未来が見えてくる)、人の心の動きや世の中の動きというものが見えてくる、そうしてどのようにすれば良いのかが分かる、その心境・心の状態が悟りの一つの階梯です。ですから、真実を知るという事が如何に大事であり、《悟りの出発点》かが分かります。真実を知るということは、悟りという無限の階段を上っていくための手がかり、悟りに至る道筋の入り口に立つ《道標》なのです。 

10.個の悟りと高次元の悟り    

 次に、悟りの階梯、悟りに至る道筋を整理すると、

Ⅰ 個としての悟り

 心の発見、心の探究、心の修行を実践し、心の向上を計ること。心の浄化と反省、無償の愛、愛の段階、などの理解と実践。人間の本質は霊である事を知り、自他一体、人間神の子思想を理解する。

Ⅱ 高次元の悟り

 人間の本質、霊の本質を理解し、高次元宇宙(地獄、天国)と神、人類の歴史等に関する広範な知識を吸収しながら、神の心を学ぶこと。神の創られた真の宇宙の姿を学び、時空を貫く法則・原理を知ること。 

という二つに集約されます。簡単に言えば、神と神が造った高次元宇宙、そして自分自身を知る事です。個としての悟りとは、三次元の悟り、この世の悟りと言っても良いでしょうし、高次元の悟りは、宇宙の悟り、あの世の悟りと言ってもいい性格を持っています。

 個の悟りの重点は《心の修行》にあり、高次元の悟りの重点は《神の心を知る》事にあります。しかし、これは別々のテーマではなく、心の奥は神の世界(高次元)につながっていますから、心を深く探究することは、結局は神の心を知る事に等しいと言えます。ですから、学びは同時並行的に進むものであり、螺旋階段を上るようにして理解が深まっていきます。神を学ぶとすれば、神が創られた高次元宇宙、天国と地獄と呼ばれている世界、霊的世界に関するあらゆる知識を学ぶことが、神の心を知るための道しるべとなります。

 ところが、現代のような唯物思想が蔓延してしまった世界、この三次元世界に生まれた人々にとって、悟りの最初の難関は何かというと、「心の発見」であろうと思います。心が自分自身であることに気づく、その上でどうすれば心を磨き、強くし、発展させられるか、またどういう方向に発展させれば良いのか、これを真剣に考えるようになったとき、《心の存在を悟った》と言えるでしょう。そして、人間の本質は霊である事を確信するに至る段階を、私は《第一の悟り》と呼んでいます。ここまでは、三次元の悟りと言えます。何故かというと、人間の本質は霊であることを悟り、そして正しい知識を持った方は、個人として、人生の勝利者になるための鍵を手に入れたことになるからです。

 人間の本質は霊であることを悟り、神の実在を悟ったとします。しかし、それはまだ本格的な《悟りの道》の入り口に過ぎないことが、この時点で明瞭に分かるはずです。ここから、真の学びと修行が始まるのであって、広大な霊的視野が開けてくる段階です。自己を知るための心の修行と神の心を知る事、結局はこれが一番難しいと私はそう思います。何故ならば、人間は神の子であり、神の子である自己を探究をするということは、神と宇宙を探究することに発展していくからです。そこで、改めて自分とは何かという問いを再び考えることになります。考えている自分を観ている自分は何者か、というような禅問答に近い究極のテーマだと思います。

 結局、神の心の奥深い事、自己もまた奥深い事を認識するに至ります。すると、どの深さまで認識できるかが、その人の悟りの深さであるということになるのでしょう。多分、これは無限の深さがあり、それ故、悟りの段階も無限なのだろうと思います。霊道を開き、過去世を思い出す方がおられますが、過去世を思い出せば自分が本当に分かるかというと、そうではありません。従って、過去世を思い出すことは必ずしも《今世の悟り》を深めるために必要だとは思いません。もし、分かったとしても、過去は過去、今世は今世と割り切り、過去世に一切とらわれないことが大事です。もし、少しでもとらわれると、逆に《今世の悟り》の足かせになるだろうと思います。 

おわりに
                    
 ここまで、霊のお話しをして、次に「霊能力に興味を持つな」と言うと矛盾しているように聞こえるかも知れません。霊の存在を確信すると、過去世を思い出すなど、霊視、霊聴、霊言、自動書記、色々な霊的能力や超能力を身につけたいという方向に行きたくなる方がおられます。そういう方には、危険ですよと、私は警告しておきます。

 このサイトにある、天国と地獄、波長導通の法則を学んだ方は理解できると思いますが、そのような「願望」を強く持ち続けていると、それが心の執着となり、心の持ち方次第では、悪霊が貴方に近づき、貴方を影ながら援助???するかも知れません。その結果、霊視、霊聴、霊言、自動書記などが出来るようになり、「あ、神様だ、高級霊だ。」ということで、有頂天になりがちであり、結果として世を惑わせ、自ら地獄行きの切符を手にすることになります。

 霊的能力に執着すると、大切な神理を学ぶことがおろそかになります。そして、高級霊、神の心というものを学ぶことが出来ません。当然、悪霊を見破ることも出来なくなります。今世を正しく豊かに生き切るために神理を学ぶことが大事であり、充分に学び、心を浄化した結果、もし霊道が開けたとしたら、それはそれとして心静かに受け入れたら良いと思います。しかし、霊道が開けた後、心の修行を怠ると、いつの間にか悪霊に支配されていたという事になりかねませんので、充分に心得ておかねばなりません。

 霊の本質を充分に理解すれば、心境として、霊能力に執着することから超越できます。すなわち、「霊を知り、霊を超越する事」が大事です。 



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