ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 2-③ 死んだら心(貴方)はどうなる ◆◆◆
2009.05.18 窪田光治


1.慣性の法則
2.心の貸借対照表/心の総決算/心の貯金
① 心の状態と想念帯 ② 想念帯の色 ③ 心の総決算 ④ 反省による決算書の修正
⑤ 反省は想念帯に記録された悪想念のDNAを不活性化させる
3.意識の鮮明化
① 肉体諸器官と心 ② 心の状態が肉体表面に現れにくい ③ 座禅、止観、ヨガ、そして瞑想
 ④ 死後、意識は10倍も鮮明となり、敏感になる
4 死後の行き先
① 極端な例1/死んでまたすぐ生まれてくる場合 ② 極端な例2/まっすぐに地獄に堕ちる場合
 ③ 極端な例3/悪魔、サタンとなる場合 ④ 一般的例1/死後の世界を全く信じていない人の場合
 ⑤ 一般的例2/自殺した人の場合/引きこもり/恐怖で錯乱して死んだ場合 ⑥ 一般的例3/一般的な善人の場合 
⑦ 特殊な例/光の天使/菩薩/如来の場合 
5.死後の学習
① 三途の川 ② 契約の箱/命の書 ③ 一生の採点 ④ 死後の学習 ⑤ 学習の停滞
6.終わりに

1.慣性の法則

 死んであの世に帰るわけですが、生まれる前に居た魂の故郷に帰れるかどうか、あるいは一旦は別の世界へ行くのか、全ては現世の生き方に掛かっています。特に、老後または死ぬ間近の精神状態はかなり重要です。

 人は死ぬと、死ぬ直前の意識がそのままあの世に行きます。これを《慣性の法則》と言います。分かりやすく言うと、今貴方が死ぬとして、今の貴方は天国的な心か、それとも地獄的な心かということであり、死ねばそれに相応しい世界へと行くということです。

 ですから、老後の過ごし方と死ぬ直前の心の状態が大切なのです。

2.心の貸借対照表/心の総決算/心の貯金
     
 人に迷惑を掛けたか、犯罪を犯したかという尺度は外見的なことです。死後の行き先については、もっと内面的な心の状態によって決まります。

① 心の状態と想念帯

  一生を通じて、明るい心の状態が多かったか、暗い心の状態が多かったか、積極的な生き方だったか、消極的な生き方だったか、心が上を向いていることが多かったか、下を向いていることが多かったか、という事が問われるのです。
 つまり、一生の精神的活動・心の状態は想念帯と言われるところに全てが記録されています。言葉に出して言ったことだけではなく、密かに思ったことや、無意識に心を支配していた想念の全てです。仮に、その思い・念いの全てに色を付けたとすると、全体が美しく見えるか、見えないか、一目で分かることになります。

② 想念帯の色

 例えば、嫉妬(しっと)、妬(ねた)み、嫉(そね)み、猜疑心、怒り、愚痴、などは青とか紫とか赤とか緑とかが渦を巻いて入り交じったような毒々しく暗い色、性欲と妄想に支配されたときの色をピンク色、さわやかな心の状態を淡い萌葱色(もえぎいろ)、理想に燃えている時を青、正義感をもって社会のことを考えている時を赤色、仕事や勉強で一生懸命だった時を緑色、神理の学びをしている時を黄金色、・・・・という具合にして一生を仮に着色したとします。

③ 心の総決算

 全体を見渡したとき、どのように見えるかということです。全体が灰色または何とも言えない暗い色に見えるか、ピンク色が支配的か、あるいは明るく輝いた色調に見えるか、これが心の貸借対照表であり、心の総決算となります。
 慣性の法則(死の直前の心の状態)と心の決算書、この二つからほぼ貴方の死後の行き先が決まっていきます。

④ 反省による決算書の修正

 人は死後あの世の然るべき所で、必ず生前の心の状態を反省をさせられます。反省ができない人は、地獄の苦しみの中で、反省ができるまで過ごすことになります。
 地獄霊は、ことごとく反省ができない人たちの集まりであり、自己を振り返り、自らの至らなさを客観的に反省できるようになって、初めて地獄から脱出することが可能になります。

 生前から反省を実践する事は極めて大切です。反省の実践によって、魂の成長、自己実現、幸福の追求などが大きな目標として期待されるのですが、ここのテーマである決算書の修正が可能であるという側面があることも大切な要素です。

 過去をしっかりと思いだし、第三者の目で反省することによって、想念帯に記録された過去の忌まわしき想念を消し去り、その《色》を金色に変えることができるのです。もう少し、科学的な表現をすると次のようになります。

⑤ 反省は想念帯に記録された悪想念のDNAを不活性化させる

 想念はエネルギーですから、その想念帯に記録として残っているということは、その当時の悪しき想念は微小ながら、今も活動して活性化したままであるのです。言い換えれば、記録として貼り付けられた悪しき想念の遺伝子・DNAが今も生きているということです。

 そして、微小ではあるが活性化したままの想念は、心の奥底に電波や音の《ノイズ》のような悪しき作用を続けています。これが心のスモッグ、心を覆う黒い雲の正体です。ですから、心の湖面はさざ波を立てたままであり、心が真の平安を得ることはありません。

 反省によって、さざ波の発生源を発見し、神に心から詫びて、今後同じ過ちをくり返さないと誓うことで、想念帯におけるその悪しき想念のDNAは不活性化します。すなわち、《ノイズ》の発生が停止し、その結果として心のスモッグが次第に晴れていき、心の湖面は透明度を増していきます。同時に、その部分の色は、金色の色と変化していきます。

 反省によって、過去の心の決算書を修正できるのです

3.意識の鮮明化
            
 肉体を持った時の心の負担は非常に大きいのです。本来の霊となったときの心とどのように異なるかを考えてみましょう。

① 肉体諸器官と心

 肉体の全ての諸器官は神経・脳を介して心と密接に結合されており、無意識の内に心は肉体から非常に多くの雑多な信号を受信しています。ですから目覚めている間、その雑多な信号によって常に心が乱されている状態、つまり《心の湖面》はいつもざわつき、さざ波が立っている状態にあります。また煩悩や悩みに支配されると、心は千々に乱れ、様々に揺れ動いてしまいます。

 ですから、肉体を持つ事で、心の外面と内面の両方から、《心の湖面》はいつも波立ち、休まることがありません。その結果、意識が真に何かに集中したり、鮮明に敏感に何かを感じ取る、という事が非常に難しいのです。

 意識を集中したり、敏感に何かを感じ取るためには、邪念を払い、心を清らかに、また開放感がある穏やかな精神状態にならないと、なかなか集中力が湧いてこず、また繊細な心となることができないのです。多くの人は無意識にそれを知っています。

② 心の状態が肉体表面に現れにくい

 《心の湖面》が乱され続け、集中できないでいるということは、その人本来の心の状態を長く保つことが難しいことになります。

 また、肉体という鈍重な潜水服を着ているために、その分厚い服に覆われた心の状態を他の人はなかなかうかがい知ることができません。

 つまり、その人の本性《心の傾向性》というものは、何かの切っ掛けがないと、他の人は知ることができない、また自分自身でも自分の本性を理解できないでいることになります。

③ 座禅、止観、ヨガ、そして瞑想

 これらは、肉体から伝達される信号を極力抑え、また心の内面を整理することで、心の湖面の平安を取り戻そうとする作法であると言えるのではないかと思います。そして本来の自分自身、すなわち魂の輝きを得る、その結果、神の生命エネルギーを全身に受けることが可能になります。

 但し、瞑想は「目を瞑って想う・考える」ということであり、心静かにして意識を集中して物事を洞察するということにその本質があります。

 いずれにせよ、魂の開放感と安らぎを感覚的に味わいたい、感じ取りたい、そのような願望を多くの人は潜在意識として持っています。それはやはり、魂の記憶と言えます。

④ 死後、意識は10倍も鮮明となり、敏感になる

 死後は、地上のように、仕事、子育て、睡眠、食事、雑用などは基本的にありません。そして、何よりも肉体が無いのです。死後、肉体を起因とする煩悩は次第に消えていきます。ですから、心は雑多な信号から解放されると同時に、生きるための雑用からも開放されます。

 心はありのままとなります。《潜水服》はもうありませんから、いよいよその《正体》が明らかとなり、その人の心の状態は瞬時に表面化します。悪の心になれば、瞬時に鬼または夜叉の顔になるということです。

 また、感覚的に非常に敏感になります。幸福感も、喜びも、哀しみも、あるいは憎しみ、嫉妬、怒りなど、即座に《心全体》を支配します。地上に比べて、心は10倍も敏感になり、その状態が瞬時に心の表面に現れるという事です。

 ですから、肉体を捨て霊となった場合、絶対に心を偽ることはできないのです。
 

4 死後の行き先                

 色々なケースがあるので、一概には言えませんが、私が分類するとすれば次のようになります。ここで、詳細を解説すると本題から外れていきますので、概略を話そうと思います。

① 極端な例1/死んでまたすぐ生まれてくる場合

 この地球には、様々な星、星団、銀河から、魂の発達の異なる人類がやって来ています。神の分光により霊として生まれたが、肉体を持つ経験が浅い魂達のことです。幼い魂は、空気を吸うことや、食べること、寝ること、そういう基本的な経験を積んでいます。肉体を持ち、そして死ぬ、という『生と死の経験』を積んでいます。

② 極端な例2/まっすぐに地獄に堕ちる場合

 生前から悪霊の影響を強く受けており、それに気がつかないまま死んだ場合です。死後、自分の影のようにぴったりと寄り添っていた悪霊の存在に気がつくことになります。しばらく地上でその悪霊と共に更なる悪行を重ねる場合もありますが、結局は悪霊に抱きつかれたまま、まっすぐ地獄へ堕ちることになります。

③ 極端な例3/悪魔、サタンとなる場合

 生前、思想的に人類を惑わしたり、大きな権力を行使して組織的かつ積極的な悪を行使した後に死んだ場合です。死後も、積極的に悪を重ね、神と対立する意識が強く、地獄の勢力拡大を生き甲斐としているような魂がそうなっていきます。

④ 一般的例1/死後の世界を全く信じていない人の場合

 死後、自分の葬式を見て、死んだらしいと何となく気がつくのであれば、⑥のケースになるのですが、大抵は夢を見ているような気持ちか、俺はまだ生きているじゃないか、そう言って死んだことを認めようとしません。お墓に住んだり、生前の家からなかなか離れなかったり、家族に取り憑いたり、多くは地縛霊となります。

⑤ 一般的例2/自殺した人の場合/引きこもり/恐怖で錯乱して死んだ場合

 自殺は霊的な罪として相当に重いと思います。《霊的な罪とは何か》で解説しますが、死後の世界を信ぜず、神を信ぜず、自らを信じないで無となることを望んでいる魂ですから、死後も自らの意識を強く否定しています。ですから必然的に無意識のまま、霊的な冬眠状態になります。地獄の沼地に立ち枯れた木をよく見れば、人の顔らしきものが見える、そのように例える事ができます。

 引きこもりも同じ原理です。外界と一切遮断した世界を強く望んまま死んだ場合、例えて言えば崖のようなところに横穴を掘り、蝉のように外界から遮断して冬眠状態となります。以上の二つのケースは、自己否定したまま冬眠していますから、自ら目覚めない限りどうにもならないようです。

 恐怖で錯乱した場合は、魂の電源またはヒューズが切れた状態に例えられ、霊的な仮死状態のまま浮遊する事になります。しかしこの場合は、やがて天使が発見し電源を入れてくれることでしょう。介抱された後に、通常のケースに戻る事ができます。

⑥ 一般的例3/一般的な善人の場合

 人に迷惑を掛けたり、犯罪に関わったりせず、ごく平凡に一生を過ごした、そう言える人は多いはずです。しかし現代は、男性の30%女性の70%平均的に50%が地獄へ行くとされています。『2.心の貸借対照表/心の総決算/心の貯金』を参照して下さい。

⑦ 特殊な例/光の天使/菩薩/如来の場合

 菩薩、如来といわれる天使や神近き方達は、明確な使命を持って生まれてきます。しかし、この世で肉体を持ったならば、霊格として例え如来であっても、100%天国へ帰れるわけではありません。悪魔サタンは、如来・大天使の一人でしたが、地上の権力と栄華に溺れ、天国へ戻ることができずに堕天使となった代表的な例です。

 それほど、この世に肉体を持つことは大変な事なのです。悪魔は、虎視眈々と天使達の堕落の切っ掛けを狙っていますから、こういう方達は肉体を持つこと自体が、非常に危ない橋を渡ることになります。

 霊能力が高い人ほど、転落する危険もまた大きいと言えます。

5.死後の学習
                  
 前述した死後の行き先として、極端な例、一般的な例1.2.3.特殊な例、などを紹介しましたが、その後の様子について概略お話しします。

① 三途の川

 三途の川、つまりこの世とあの世の境目の事ですが、肉体に再び戻れない精神的な境界の事で、その地域や文化によってその形態は異なるようです。日本においては、ごく一般的な人はこの三途の川を渡る事になっています。海外では、真っ暗なトンネルであったり、エレベーターであったりするようです。

 同じ三途の川を渡るにしても、渡り方は色々であり、それはその魂が持つこの世に対する執着の度合いによります。執着の多い魂は、その心の重さのために溺れながら渡ることとなります。

② 契約の箱/命の書

 この世に生まれてくる際に、生まれる国や両親その他の環境を定め、生まれる許可を貰って、生まれてきます。

 また、契約の箱というのがあり、神との約束が納められています。これは何かというと、この世で学習するための誓約書の事であり、生きる目的や学ぶべき内容が書かれています。それは、自分が書いたものであり、然るべき生まれ変わりの役所に保管されています。

 地獄は別にして、あの世にも、戸籍があり、住民を管理する役所があるということです。

③ 一生の採点

 まず、自分の一生、全ての想念、思い、言葉と行為が想念帯に記録されていますが、これを短い時間に全てを見せられます。自分の一生の姿を見せられた上で、先の誓約書に従い、守護霊と共にその人の一生の採点がなされます。

 この時点で、如何に間違いが多かった人生であったとか、あるいは思ったより良かったなどと、自己認識することができます。

④ 死後の学習

 多くの場合、生まれてくる前の境遇へまっすぐには戻れないようです。先の採点の結果、自分に相応しい学習の場所を守護霊と共に考え、当面の行き先が決まります。

 この時点で、地獄へ行くケースも多いわけです。しかし、それは慣性の法則で説明したように、その人のその時点における心境に最も相応しい場所へ行くのであって、その人にとっては必ずしも地獄で苦しみを感じるわけではありません。ただし、地獄に堕ちる人に魂の平安はありません。

 地獄に堕ちた人であっても、自分の心の誤りにやがて気が付き(悟る)、幾段階かの世界で学びながら、やがて天国の世界へ昇っていきます。そして更に、天国における学習は続きます。やがて、霊として明確な自覚が進み、本来の心境を取り戻せば、真の故郷へ戻れる日が来ます。

⑤ 学習の停滞

 どのような魂もその次元に相応しい学びを続けています。地上の経験は魂の足腰を強くしますから、死後しばらくは学習が進みます。しかし、百年、二百年と時が経過するに従い、次第に学習もマンネリ化して、魂の成長が期待できなり、再び地上に生まれかわる時期が来ます。

 魂の発達段階によって転生輪廻の間隔も変わってきます。

6.終わりに

 死後の世界、霊の世界、神について学ぶことは、自分という存在を知るということです。熱心に学ぶならば、生きるということの真の意味を理解し、この世とあの世を貫く永遠の幸福を手に入れることができるでしょう。



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