ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 2-④ 何を学ぶために生きるのか ◆◆◆
2009.06.24 窪田光治


1.目的1/霊体とは何かを知る
2.目的2/様々な霊体の出会いがある肉体の世界
① 実在界 ② 現象界
3.目的3/学びの多様な機会
① 次元の異なる魂同士の学び合い ② 異性との学び合い 
③ 飲む、食べる、味わう、肌の感触 
④ 子供、老人としての経験 ⑤ 諸行無常(しょぎょうむじょう)/変わらぬ自分という存在 
⑥ 四苦八苦 ⑦ 文明 ⑧ 時代/国 ⑨ 職業
4.目的4/義務教育としての転生輪廻
① 人間の基礎造りとしての転生輪廻 ② 義務教育としての転生輪廻 
③ 義務教育ではない転生輪廻 
④ 魂の成長と進化 ⑤ 智慧の本質
5.終わりに

 人間は天国から生まれてきますが、平均的に約50%の方が地獄へ一旦は堕ちると言われています。この世と死後の世界、肉体を持つ人間と霊の違いなどを比較しながら、何を学ぶためにこの世に生まれたのか、このテーマに焦点を絞って考えてみましょう。

1.目的1/霊体とは何かを知る

 人間の本質は霊であり永遠の命を持つわけですが、では本来は霊である生命体が何故わざわざ肉体を持つのか、持つ必要があるのか、こういう問題があります。

 霊体のまま、転生輪廻をしない天体や惑星もあるそうです。現に、私達の惑星においても、地獄の住民や天国の住民も、かなり長い間、霊体として生活しているのです。肉体を持つのは、例外を別にして、平均的に数百年に一度の割合です。

 霊というのはエネルギーですから、本来は姿も形もなく、《一則多、多即一》《開無限、握一点》という言葉があるように自由自在な存在であり、移動も瞬時に行えるのです。

 しかし、では誰でも自在に変化が可能かというと、そうではなく神の子として本来そういう素質を持っているということであり、その霊体の認識力やパワーが備わること事によって可能になります。

 人間は様々なスポーツをしますが、最初からできるわけではありません。教えられたり、真似をしたり、また様々な訓練と練習によって高度な動きができるようになります。育ち盛りの時に、練習を続けることで反射神経が備わり、筋肉が創られていくわけです。

 神の分身として創られた人間の魂・霊体もまた、幼児から幼稚園、小学生、中学生、高校生・・・という具合に成長・進化していきます。霊体の場合は肉体と異なり、例え年数が経過しても、経験と学習をしなければ、全く成長しません。

 すなわち、霊体として如何に早く成長することができるか、こういう視点から本テーマを考えるとよく理解できます。目的の一つとして、霊体というのは如何に自在なものであるのか、それを知るために不便な肉体を持つのです。私達は、毎日の生活を当たり前のようにくり返していますが、少し見方を変えると、ずいぶん不便な生活をしていることに気がつきます。

 人生の約1/3は寝ている時間であり、仕事で拘束される時間や様々な雑用をするための時間などを計算すると、本当に自由な時間というのは大変少ない事が分かります。また老いや病気の悩み、また子育ての悩み、異性の悩み、経済的悩み、人間関係の悩みなど、数えられないほどの問題を解決していかなくてはならないのですが、これらも全て肉体を持つことに起因しています。

 あの世から見ると生き返ることになるのですが、この世で死んで霊となると、それらの一切から開放されます。死後、自分は霊であることを思い出したとき、霊であることの喜びに満たされます。そうして、更に学習を続けていくことで霊としての認識力と能力が大いに高まります。

 この世という困難の多い世界で、魂としての足腰を鍛え、あの世で真の霊能力を鍛える、そういう表現ができると思います。霊として、大いなる進化と成長を期待して、この世に生まれてくるのです。

2.目的2/様々な霊体の出会いがある肉体の世界 
    
 霊の世界すなわち《実在界》は次元によって隔離された世界であり、この世《現象界》はあらゆる次元、多様な世界からやって来た霊体が混然として存在できる世界です。そのために肉体を持つということは、大変多くの学びのチャンス、すなわち霊的成長・魂の進化のチャンスがあるのです。

① 実在界 

 実在界は純粋にエネルギーの世界であり、波動の世界です。その波動の性質から、縦軸に次元の異なる世界、横軸に多様性の世界が広がっています。
 ですから、地獄も天国も高さと広がりを持つ無数の世界からできており、原則として他の世界へ自由に行き来することはできません。天国の上段階、いわゆる天使と呼ばれる方々は次元を下って地獄の底まで行き来をしていますが、通常の魂はそのようなことはできません。

 天国では、各次元、各世界において、それに相応しい学習や研究、そして一定の仕事を持ち、切磋琢磨、研鑽に励んでいます。従って、成果が上がれば、次第に高い次元または世界へと上がっていきます。しかし、似通った心・精神を持つ魂が一つの世界を創っていますから、異なる世界の魂から刺激を受けたり、学んだりすることは原理としてできないのです。

 これは地獄も同じです。蟻地獄・すり鉢地獄に堕ちれば、その世界の魂達の全てが互いの足を引っ張り合い、一人としてそのすり鉢から出ることはできません。足の引っ張り合いを数十年続けている間に、だんだんバカらしくなり、ある時「ハタッ」と気づきます。《それまで、誰も教えてくれる人は居ないのです。》これが一つの悟りとなり、一段高い心境の世界へと移っていく切っ掛けとなります。

 また意識の世界ですから、意識が江戸時代の日本人だとするならば、自ら意識の変革をしない限り、何時までも江戸時代に生きている事になり、他の時代を知らないで数百年があっという間に経過する事になります。

② 現象界

 魂が肉体を持つことで、実在界とは全く異なる世界が出現します。地獄からは生まれてくることはできませんが、天国のあらゆる次元、極めて多様な世界から、同じ三次元の世界へ生まれてくることができるのです。

 実在界では霊体の住む次元が高いほど、その霊体のエネルギーは飛躍的に大きくなりますので、エネルギーの大きな霊はそのままでは肉体に宿ることはできません。そこで、通常平均的な魂は、1/6のエネルギーが交代で肉体に宿ることになっています。これが、魂の兄弟といわれているものです。

 イエスや仏陀は九次元霊と言われ、巨大なエネルギー持っています。視覚的に言えば山のような大きさ、直径10kmの輝く球体または仏像、そういうイメージかと思います。ですから、数千年に一度九次元霊がこの世に生まれるとするならば、その方の髪の毛一本ぐらいが肉体を持つと例えて言えるかも知れません。従って、《イエスや仏陀の真の偉大さ》は、地上に生まれた時のイエスと仏陀のイメージからは捉えることができません。人間の想像を遙かに超えた存在なのです。

 この様にして、各次元の霊体は、学びのテーマや目的、さらに使命に応じてエネルギーを調整し肉体に宿ります。この世は、地獄を除く、あらゆる階層、あらゆる世界の様々な魂が、渾然一体となる事ができるという、非常に大きな特徴があります。

 しかしながら、霊体が肉体に宿るということによって別の困難さを伴います。外界や他の霊体から発せられる様々な信号は、全て肉体の感覚器官を介して霊体が受け取り、また自分の念いや考え、感じたことを再び肉体の諸器官を通じて外部へ発信することになります。

 ですから本来の霊と比べると、肉体というものは極めて鈍重であり、まるで潜水服を着けて海底を歩くに例えられます。潜水服を身につけた者同士が、口をぱくぱくしながら、相手の表情を見たり、また海水を通して伝わる音波を聞いて相手の思いを理解する、また自分の考えを伝える、それほど不便な事なのです。

 更に、諸行無常すなわち、誕生、成長、衰退、死というのが物質世界の大きな特徴ですから、霊体が肉体に宿ることで、実在界では経験できない多くの事を学ぶ切っ掛けになります。肉体は滅び、家や橋などの構築物もどんどんと壊れていきますから、新たに作り替えていかなくてはならない、そして時代の変化も非常に早い、極めて変化に富む世界なのです。

3.目的3/学びの多様な機会 
            
① 次元の異なる魂同士の学び合い

 現象界すなわち三次元地上界では様々な霊体との出会いがあるという話をしました。これは、自分より非常に高い霊格を持つ、例えば仏陀やイエスキリストのような魂、と直接出会うこともあり得る事を示しています。

 天国で最も人口の多い世界、これを五次元善人界と言いますが、この世界から上の世界を見ると、上の世界は全くの別世界、雲の上すなわち《天国》です。その存在すら良く知らないのが普通であり、どうやら天使とか神という方がいらっしゃるらしい、という事を彼らは知っている、その程度の認識になります。

 六次元界、又は七次元界の霊体がエネルギーを故意に落として五次元界に降り、先生役を務めることはあっても、五次元の住人が、より高い次元世界の住人と直接話をしたり、直接教えを受けたりすることは、霊の本質・原理としてあり得ないことです。

 ですからこの世・現象界は、次元の高い人格と直接会え、話を聞く事ができる絶交の機会なのです。もっとも、なかなかそういう認識ができないというのも事実ですが、しかし、よくよく観察するとそのような高い人格を持つ方々が実際に居ることが分かるでしょう。

 但し、有名人であったり、学者であるとか、そういう先入観念を持たないことが大切です。普通の主婦であったり、場合によってはホームレスであったり、障害者であったり、また子供であったりしますから、地位や学歴、知名度、そういうもので観てはいけないということです。注意深く観察することが大切です。

 霊格の高い魂は主として一定の使命を持って生まれますが、その方達もまたこの世において多くの学ぶべき事があります。普通の魂は生活の中から多くを学び、また霊格の高い方からも多くを学ぶ機会があります。

 現象界(この世)は、様々な次元と多様性のある魂が学び合う世界であるということを知って下さい。

② 異性との学び合い

 実在界では、肉体がありませんし、子育てや労働もありませんから、男女が助け合って生活する必然性がありません。ですが、四次元精霊界、五次元善人界ぐらいまでは、地上の結婚生活という《意識の延長》で男性の魂と女性の魂が一緒に生活する事があります。

 しかし、精神性が高くなるほど、男性の魂と女性の魂が一緒に生活するという事はありません。もちろん。出会いもあれば、話をする機会も沢山あり、好意を持つということはあっても恋愛をするというのではなくなっていくようです。
 この世では、結婚して子供を育てるというのはごく自然な形態です。異性に目覚め、恋をして結婚し、子育てを通じて助け合い、生活を守っていく、そして子供が独立して再び老後を二人で過ごし、やがてどちらか一人になって、最後は死を迎える。

 そういう経験の中で、男性の魂と女性の魂の違い、互いの足りない点、互いの役割というものを理解していきます。男性の魂と女性の魂は、もともと異なる性質を持って創られているという理解が大切です。自分と大いに異なる魂と接することで、互いの違いを認め合い、助け合い、自分という魂の何たるかを知る、知ることはできなくても考える切っ掛けになるということです。

 霊格の違いや、多様性の違いよりも、皆様も御存知のように男性と女性の魂は非常に大きく異なり、正反対と言えるような要素が多くあります。陽と陰、積極的と受動的、理性的と感性的、と言えるほどの違いです。しかし、男性ばかりの世界、女性ばかりの世界にいると、その違いを全く知ることはできません。

 これ以上は神の秘密に関する領域ですからあくまで推測にしか過ぎませんが、男性の魂と女性の魂が別々に創造されたというよりは、もともと中性的な魂があって、それが神の計画によって分かれたと考える方が理解しやすいように思います。しかし、九次元霊は全員が男性であり、八次元、七次元でも男性霊の方が圧倒的に多いことを鑑みると、それも定かではありません。

 男女の違い、様々な体験、成功と失敗、地獄の経験、これら全てが総合的にその魂の認識力を高め、智慧の獲得となり、やがては魂の進化という形で昇華していくのです。

③ 飲む、食べる、味わう、肌の感触

 当たり前の話ですが、死んで霊となればもう物質ではありませんから、互いの体は突き抜け、握手しても握れない、飲む、食べる、味わう、そういう物質的感覚を持つことは原理的に無いわけです。

 では、全く何にも無いのか、というとそうではないようです。色々な霊言集、霊界通信の本などを読むと分かることですが、霊界には霊としてのボディがあり、景色や様々な植物・動物がおり、建造物もあります。それらを手に取ったり、触ったりすることができるようです。

 霊とは本来姿も形も無い生命エネルギーです。しかし、霊界においては余程の高次元でない限り、風景や人霊その他は固有の姿形を持っています。そうでないと、クラゲか、ガス体か、雲をつかむような話になります。殺風景というか、互いの認識すらできない、全く面白くない世界になってしまいますから、エネルギーを固定してそういう姿と形を持つように、担当の天使達が様々な創造をしているのです。「ベールの彼方の生活」にかなり詳しい記述がありますので、御参照下さい。

 しかし、感触はある程度あるにしても、地上のそれとは大いに違うらしいのです。私の想像ですが、肉体を持ったときの五感から受ける感覚は刺激的で重量感があるようです。誤解の無いようにしなくてはいけませんので、霊界では、景色はより鮮やかであり、光の種類???も非常に多く、全てが輝くようであり、霊人達も皆にこやかで優しく、臭いや音楽も表現できないほどすばらしい、例えてみればメルヘンの世界のようであり、霊界は地上にはない全く別のすばらしさに満ちているということを付け加えておきます。

 精神世界を学ぶことで、あるいは生まれつきの宗教的な魂であったり、また特にキリスト教を学ぶ人などの中には、肉体的な感覚や様々な欲望に罪悪感を持つ人を時折見かけます。また、態度には出さずとも、人知れず悩む方もおられることでしょう。

 しかし、この地上に生まれてくるのは、大切なことを学ぶためであり、その魂の乗り船である人体を創造されたのは神様です。そして、神は肉体に対して諸器官と様々な感覚を与え、様々な欲望を持つように創られたのです。性的な生活についても、またその喜びを与えられたのも、地上生活に対する神の慈悲であります。

 様々な欲望が長い時間心を支配することが無いように、《中道の教え》と《足を知る教え》を正しさの基準として日々の生活を続けていく中で、肉体を持った時の感覚というものもまた、大きな学びの一つであるという理解が大切です。ですから、適度に楽しまれて良いのだと私は思います。

④ 子供、老人としての経験

 実在界から現象界・この世に生まれるとき、向こうからは霊的に死ぬように見えるので、《死ぬ》と言えないことはありません。また、現象界で死んで《「第一の死」ヨハネの黙示録より》実在界の天国へ帰ったとき、向こうでは霊的に生き返るために、実在界に《生まれる》と言えないことはありません《「第一の復活」ヨハネの黙示録より》。

 天国へ昇った後に再び地獄へ堕ちる場合、現象界で死んで幽界へ行きそこで人生を振り返り、その結果として地獄へ堕ちて反省する場合、また人生を振り返ることなくまっすぐに地獄へ堕ちる場合、霊的な生命が無くなるわけではありませんが、霊としての本来の輝きを失うという意味で、霊的な死に例えることができます。《「第二の死」ヨハネの黙示録より》

 地獄へ堕ちた後に、反省が終わり、天国へ昇ってきたとき、再び霊的な輝きを取り戻す意味から、霊的な誕生に例えられます。《「第二の復活」ヨハネの黙示録より》

 しかし、上記の意味以外で、実在界・あの世で霊人は死ぬことはない、また生まれない、ですから原則として子供と老人はいないことになります。しかし、例外があります。

 現世において、大抵の人は老人になってから死にます。死後は、慣性の法則に従い、自分が老人だと思いこんでいる間、老人の姿形を保ちつづけます。しかし、霊とは本来は自由自在なものである事が次第に分かってきますから、自分の居心地が一番良い年齢と容姿に変化していきます。ですから、いつまでも老人のままでいる事はありません。

 もう一つは、堕胎で死んだ水子の場合、あるいは幼くして病気や事故で死んだ場合です。やはり慣性の法則に従い、その意識のまま実在界へ行きますから、やはり赤ん坊のままであり、幼児のままです。しかし、地上と同じくらいの時間を掛けて、その魂は成長していき、やがて大人の魂になっていきます。子供を育て教育していく親代わりとなる天使達がおります。

 以上は例外であり、いずれも地上を縁として老人と子供がいるのであり、その数はめったに見かけないぐらい少ないと言えます。そういう意味で、実在界には、子供と老人は原則としていないのです。

 地上における子供としての体験、子供同士の遊びや学びの体験、親としての体験、死に近づくに従い次第においていくときの心境、そのような体験は天国に長く住んでいては全く体験できないことなのです。

 また、天国に長く住んでいると、実在界の特徴である歳を取らない喜び、その感覚が次第に無くなっていきます。やはりマンネリ化して魂として霊として成長しなくなっていきます。

 この地上のあらゆる体験は、魂の成長に欠かせないものです。それを知って、日々生きていくことができること自体を神に感謝するとともに、生を楽しむことが大切だと私は思います。

⑤ 諸行無常(しょぎょうむじょう)/変わらぬ自分という存在

 仏教に《諸行無常》という言葉があります。《諸行》とは、この世の目に触れる一切の物という意味で、《無常》とは常では無い、すなわち一時も同じ状態ではなく、刻々と変化していくという意味であり、三次元の現象界・この世における物質の本質を言い表した言葉です。

 自然界、人間界、鉱物界、この宇宙、そしてミクロの世界すなわち原子や分子の世界でも同じです。この物質の世界は、目に見える三次元の宇宙全体が目に見えない四次元というエネルギーの海に浮かんでいるクラゲみたいな物であり、物質とエネルギーが常に転生輪廻しています。

 すなわち、このエネルギーの海の中で、物質が生まれて個体となり、物質が分解されて再びエネルギーとなります。このエネルギーの海、すなわちエネルギーに満ちた空間の事を《空(くう)》と言い、物質の事を目に見える物という意味で《色(しき)》と言います。

 《物質はエネルギーに変化し、エネルギーは物質に変化する。》これをお釈迦様は《色即是空、空即是色》という言葉で、この世とあの世の本質、すなわち物質界とエネルギー界を貫く原理を説明されました。物質とエネルギーは輪廻転生するという意味です。

 そして、物質と見えてもそれは本来エネルギーですから、エネルギーとしての本質は何ら変わりません。すなわち輪廻転生する中で、変わらぬ実在がある、それがエネルギーであるという教えです。

 お釈迦様という魂の本体は、地球の神と言える九次元霊の一人であり、この地球霊団の創始者ですから、当然のこととして宇宙とその歴史、さらには宇宙を貫く諸原理についての全てを知っておられます。

 前置きが長くなりましたが、この世の諸行無常を体験することで、その中に変わらないものがあることに気がつきます。それは《自分という存在》です。

 私達の肉体の細胞は7年で全部入れ替わると言われています。また脳細胞は、組織としては十代で完成し、以後徐々に減っていき、老年では70%ぐらいに減っていきます。誕生から死までの間に体の細胞は60数回分裂して、肉体そのものはどんどん変わっていきます。しかし、《自分という存在》は無くなりません。

 花を考えてみましょう。ひまわりの種が蒔かれ、小さな苗が成長し、花を咲かせます、やがて実を結び、枯れていきます。さて、では《ひまわりという存在》は、どれを指して言うのでしょうか。種、苗、花、実、ひまわりの枯れ草、どれでしょうか。

 つまり、《人間という存在》、《ひまわりという存在》は、肉体や形状、すなわち諸行無常な物質ではなく、変化する中にに受け継がれていく変化しない実態である、という事が分かります。これが、生命であり霊という実在なのです。

 あの世・実在界はエネルギーの世界ですから、この三次元世界のように諸行無常ではありません。厳密な意味であの世について知っているわけではありませんが、原則としてこの世のように様々な風景が自然と変化することはありません。変化するときは、何かの意志によって変えられたときです。すなわち、この山海に入れ、と念じたとき、山は音をなして崩れ、海に没するというわけです。

 霊体も同じです。自分の意志によって自分を変えたいという念いを持たなければ、永遠に自分という心と霊体というボディは変わりません。何百年でも、その時代の意識、死んだときの意識のままです。心の状態がその霊体のボディと顔を創り上げていきます。心が変化しない限り霊体は全く変化しない、心が地獄になれば醜い姿になり、心が天国になれば美しい姿になります。

 この世に生きたという経験は、霊という実在の本質を学ぶことになっています。実在界へ帰ったとき、霊としての本質を先生から実際に学び、自ら進化していく大きな力を付けるのです。

⑥ 四苦八苦

 諸行無常に続いて、やはり仏教に四苦八苦という言葉があります。

 興味のある方は、詳しく調べると良いと思いますが、簡単に言えば、四苦とは《生老病死》のことであり、八苦とは四苦に愛別離苦(あいべつりく)、 怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四つを加えたものです。

 生老病死の苦しみについては容易に理解できると思います。ただし、《生まれる苦しみ》とは、それまで自由自在であった霊が母の体内に宿り、全く不自由な赤子として生まれなくてはならない苦しみを言います。霊として天国で生活していたときは、全くあり得ない苦しみです。そういう意味では、肉体を持ちこの世に生まれるということは、大変な経験をしていることになります。

 愛別離苦とは、愛する人と別れる苦しみのことで、祖父母、父や母、親しい人、やがて子供達とも別れるときが来るという事です。天国でも出会いや別れというものもあると思いますが、しかし地上世界のように二度と会えないというわけではありません。

 怨憎会苦とは、憎い人と顔を合わせなくてはならない苦しみの事です。嫁姑の問題とか、家族の中でもいろいろあるでしょうし、あるいは職場でもあることです。これなども、天国ではあり得ない話です。天国は、似たもの同士、話が合う人たちの集まりが一つの世界を創り上げていますから、原理的に無いわけです。ですから、魂としては大変な経験をすることになります。

 求不得苦とは、欲しいのだが手に入らない苦しみです。例えば、家や車といったもの、自分が望む環境や仕事などがそういうことでしょう。これも天国では無いことです。天国では、欲しい物は大抵の物が手に入ります。念いだけで手に入るものもあり、また専門店で買うこともできるようです。ただし、地上のように貨幣という物はなく、感謝の気持ちが代金の役目をするようです。

 五蘊盛苦とは、肉体を持つことを原因とする煩悩のことです。その代表的な苦しみは、情欲だと思います。女性の場合の事はよく分かりませんが、男性であればおそらく誰でも、特に若いときに苦しんだ事だと思います。これなども、肉体が無くなって霊となれば、全くあり得ない事です。

 この様に一つ一つ見てみると、いずれも地上に生まれ、肉体を持つことに起因した《苦》である事が分かります。この四苦八苦を考えてみると、この世は苦しみに満ちあふれていると言えるのですが、しかし本当にそうなのかと言うと、私はそうではないと思います。お釈迦様も、四苦八苦を説きましたが、一方では、足ることを知る、中道の教えを軸にした八正道を説かれ、その苦しみを乗り越える事を教えています。

 上記の苦は、万人が大なり小なり必ず経験することであり、結果がどうあれ全員がその試練を通過していきます。そして、多くの人がその苦を正しく乗り越えていきます。そして、その結果、単なる苦では無くなっていきます。苦を乗り越え、克服する中で、細やかな感情や人に対する思いやりが醸成され、また自らの魂に蓄積していく智慧というものを自覚し、それが喜びに次第に変わっていきます。

 あの世に長くいると、自分が霊であること、肉体を持たないことを忘れてしまい、霊としての進化が次第に遅くなっていきます。この地上世界、人間の肉体を持つことを縁として、地球霊団数百億の魂の進化を神は願っておられるのです。

⑦ 文明

 人間の本質は霊であり、永遠の生命を持つ、そして転生輪廻をくり返している。とするならば、現文明とはまた別の文明の時代に生まれたことがあるはずです。数万年前の時代には、アトランティス大陸、ムー大陸に栄えた文明が伝説として残っています。更に前には、レムリア文明、ミュートラム文明、ゴンダアナ文明というものがあったようです。

 ミュートラム文明とは南極大陸を中心に栄えた文明ですが、地軸の移動により、温かった気候が一夜にして変化して、次第に大陸は厚い雪と氷の下に埋もれてしまいました。10数年前のNHKのニュース番組で、南極越冬隊が『広葉樹の葉の化石』を発見したと報じていましたが、これはかつて南極が温暖な気候であったことの証明になります。

 私達は、そのような文明の中で数限りない転生輪廻を重ねてきた、生き抜いてきた歴史があります。

 さらに、現代の文明を5000年の歴史として考えるならば、250年に一度生まれ変わるとすると、私達は約20回ぐらいの転生輪廻をくり返してきました。一万年だと40回、一千万年だと40,000回、一億年だと400,000回になります。

 文明が異なると、科学技術の基盤そのものが異なります。アトランティスではエネルギーとしてピラミッドパワーというものを応用していたようであり、現在研究されている宇宙空間に常在するフリーエネルギーを取り出していたのかも知れません。余談ですが、エジプトのピラミッドはアトランティス大陸の陥没に際し、大陸を逃れた科学者達が最初に造ったとする説があります。

⑧ 時代/国

 生まれ変わる場合、何処の国に生まれることも可能ですが、やはり生まれたい国というものはあるようであり、その時代に最も学ぶに相応しいところを《希望する》ことになります。例えば現代であれば、アメリカ合衆国とかこの日本は競争率が高いようです。何故ならば、合衆国は現代文明の中心地であり、この日本は神理が大量に説かれている国だからです。

 しかしながら、あっちに生まれ、こっちに生まれと、いろいろと試すということはなく、やはり日本なら日本にある程度重ねて産まれてくるが、時代が変わると文明も移動していきますので、今度はオーストラリアを中心に産まれてくる、そういう選択があるようです。

 この日本は競争率が高く、誰でも産まれることができるというわけにはいきません。何故なら、許容できるその時代の人口というものがあるからです。ではどうするか、そこには、産まれる人の選考というプロセスがあるはずです。従って、私達日本人は選考に合格したということになります。

 時々、《日本人以上に日本人らしい外国人》がおられますが、かつて何度も日本に生まれたことがあるので、選考に漏れたがどうしても日本に行きたい、そういう方であるように思えます。そう考えると納得できるとは思いませんか。

⑨ 職業

 誰でも、個性というものがあり、心の傾向性というものがあります。転生輪廻を重ねる内に次第に魂も成長し進化していきますから、個性あるいは心の傾向性もまた徐々に変化していきます。しかし、魂は数億年、数十億年をかけて成長していくもののようですから、10回や20回の生まれ変わりで、大きく変化するものではないと思われます。

 時代によって異なるかも知れませんが、仕事または職業の選択という面においては、その人の好みが大きく作用するのではないかと思います。もちろん、希望するようにはななかなかできないのも事実ですが、今度生まれ変わるときは、こういう仕事に就きたいという事は、転生輪廻の大きな要素となるでしょう。

 それは、カルマの修正すなわち心の傾向性の修正という意味では、好みとは異なる職業を選択することもあるでしょうし、逆にもっとその傾向性を確実なものにしたい場合は、何度も同じ職業を選択することもあるでしょう。

 何故ならば、職業とは人生をかけて真剣に取り組まざるを得ないものであり、それを数十年一途に続けたとするならば、非常に大きな《心の修正》と《智慧の獲得》に繋がると考えられるからです。特に男性の場合は、転生輪廻と職業は大切な関係があることに気づくはずです。

4.目的4/義務教育としての転生輪廻
         
 人間の生まれ変わり、いわゆる転生輪廻は、多くの魂にとっての義務教育であり、地球の神が定めたシステムです。この点をしっかりと認識しておく事が大切です。

 地上の人間社会では、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、専門学校や大学、更に上級の研究機関・・・・という具合に、教育や研究機関が存在しています。そこには、常に生徒と先生または指導者がいます。生徒は家族や友人そして先生から学び、先生は教えるということから様々なことを学んでいます。

① 基礎造りとしての転生輪廻

 保育所や幼稚園では何を学んでいるでしょうか。《大勢で一緒に遊んだり食べたりお話しを聞いたり》しています。人間社会の中で調和し協調して生きていくための基礎を学んでいると言えるのでは無いでしょうか。

 地上で肉体を持ち、呼吸して、水を飲み、食べて、寝る、そして他と調和する、この魂としての基本的な学びがあります。この方達は転生輪廻の間隔が大変短い魂です。極端な言い方をすれば、地上で空気を吸って死ぬ、それが大変に大きな学びとなる《段階》があるということです。

② 義務教育としての転生輪廻

 小学校、中学校、高等学校あたりが、義務教育としての転生輪廻であり、普通一般の多くの魂です。約百年の地上生活とその後の実在界での生活を繰り返し、数百年に一度のサイクルで生まれ変わる事になっています。5人の魂の兄弟と本体が交互に生まれ、次に生まれる兄弟が守護霊として地上の兄弟の守護・指導します。

③ 義務教育ではない転生輪廻

 しかし、前述しましたが学校では生徒と先生がいるように、やはり人間社会にも様々な先生役、また科学技術の進歩のために、また精神的指導者としての役割をもって生まれ変わる人たちがいます。この方達は、時代の要請や文明の創造、歴史の流れを変えたり、また精神的価値観の創造を目的として、個人としての学びだけではなく様々な役割・使命を果たすために産まれてきます。

 こういう方達は、必ずしも転生輪廻の枠に厳密に当てはめられることはなく、またその間隔も次第に長くなっていきます。釈迦、イエスキリスト、モーゼの様な精神的指導者は、文明の転換と創造のために、数千年に一度の割合で産まれてきますが、転生輪廻を完全に超越しています。既に地上を去った高橋信次と言われる方は、この地球の地上に初めて生まれた魂であり、アール・エル・ランティという九次元霊であるとされています。

④ 魂の成長と進化

 転生輪廻は基本的に、魂の進化・成長のための義務教育であり、魂の進化と成長を目的としています。では、成長とは何かと言えば、認識力と智慧の獲得、そして自ら神の愛を顕現できることであり、すなわちそれは神に近づいていくことです。

⑤ 智慧の本質

 智慧の本質は文明や知識ではないのです。例えて言えば、道具や機械がなくても、ナイフ一本で貴方は何が創れるか、そういう問題です。現在のように科学技術が進歩し、多数の土木機械があっても、あの《ピラミッドの建設》は容易なことではありません。

 日本でも、五重塔や奈良の大仏、また大阪城の石垣と天守閣を造った当時は、正にナイフ一本の世界であり、道具はいろいろとありましたが、設計製作の全ての段階が人の手によってなされました。

 当時の人たちの智慧は、現在の人間と比べて少しも劣ってはいない、むしろ優っていたのではないかとさえ思えます。ですから、科学技術の一方的な発展だけでは、人間の智慧は次第に退化する一面を持っているのではないか、という認識が大事なのです。

5.終わりに

 魂としての進化と成長のために、転生輪廻のシステムを地球の神は創設されました。他の惑星や星の世界では、また別のシステムがあることでしょう。
 地上で肉体を持つ事を縁として、地獄界というものができています。本来、霊として悟った存在であれば、地獄などというものは発生しません。では、何故、神は地獄の存在を許しておられるのか、地獄の存在もまた魂の成長に大きく作用している側面があるということです。



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