ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 4-⑩ 自己改造三点セット ◆◆◆
2009.05.21 窪田光治
姉妹サイト『日々神理の探究』に2009.03.04に連載した内容を更に充実してあります。
1.自己改造《心の修正と創造》の意味

2.現代生活と反省
3.自己改造三点セット
3-1心の観察の習慣/真我で生きる 3-2 潜在意識の積極的改造 

3-3 反省の習慣

1.自己改造《心の修正と創造》の意味

 人間は本能的に《自己という心》の成長を願っています。それは魂の誕生以来の記憶であり、この世に生まれてくるときに持ってきた潜在意識に埋め込まれたDNAです。人間は神の子であり、神の属性を全て持っているのですから、自ら自分を高めたいと念いと、そして高めて行きたい方向、すなわち理想というものを全ての魂が持っています。

 精神世界に目覚め、意識的に自己改造に取り組む人は、やはり少ないのが現状だと思います。しかし、そうでない人でも、無意識ではありますが、現世という荒波の中で試行錯誤をくり返し、悪戦苦闘しながらやはり自己改造に取り組んでいる事に間違いはありません。

 自己改造とは何か、それは魂の成長過程においてできた、業、カルマ、原罪という魂の凸凹を意図的に修正する努力の事です。すなわち、誰でも転生輪廻を通じて過去の凹を現世において埋めつつ(修正)、また新たな凸を造っていく(創造)、そうしてある程度のバランスをとりながら魂は次第に成長していくのですが、これを魂自らが意識しながら、成長のための努力する姿を見て神は喜ばれるはずです。

 自己改造を積極的に行うという行為を、正しい原理と方法に基づいて行うならば、自己の魂の成長を飛躍的に高められる可能性を秘めています。現在は文明の転換期であり、人類存亡の危機であると同時に、正法が説かれ神理が溢れている時代ですから、魂の飛躍的成長が期待できる数万年に一度のチャンスであるのです。

 すなわち、転生輪廻10回分ぐらいの効果が期待できる時代に私達は生まれてきたのです。また、高い競争率の中で運良く神理溢れる日本に生まれることができたのですから、この機会をより実りあるものとしなくてはならないと私は思います。 

2.現代生活と反省
            
 反省は、過去の心の動きを《正しさ(真我が納得すること=神の心)という指針》に照らして観察していきます。しかし、それだけでは木の葉が庭に落ちるがごとく、また草があちこち生えてくるがごとく、毎日のように反省していても、心の庭掃除はなかなか減っていきません。

 そこで大抵の方は次第に限界を感じ、継続できなくなっていくのではないでしょうか。山の中に籠もっている仙人か修行僧、また出家者であれば、社会との接触や人との接触がありませんから、過去の反省を徹底的に行えば、後はもっと高度の反省に移ることができるかも知れません。少なくとも、当分のあいだ、落ち葉が心に積もるということはないでしょう。

 しかし、この複雑で多様な価値観が充満している社会や環境からは、様々な想念が発信されており、また職場では仕事のストレスを受け、家に帰っても子供とのコミュニケーションで悩む親も多いように、山に籠もっているのとは異なり、現代という時代においては、様々な想念の嵐から私達は逃れることができません。

 ですから、反省を幾ら徹底的にやったとしても、それだけではなかなか落ち葉の数が減っていかないのです。掃除ばっかりしていると、いやになるのは道理です。であれば、ゴミや落ち葉が落ちないように、また草が生えにくいように、まず基本的な対策をした上で、尚かつ落ちた枯れ葉やゴミ、生えてきた草を反省で取り除く様にする方が、より合理的で自己改造も確実に進みます。 

3.自己改造三点セット         

① 心の観察の習慣/真我で生きる
 日々、瞬間・瞬間の心の動きを観察する習慣を身につける。そして、瞬時に軌道修正する。誤った想念の発生自体が減っていき、やがて《真我で生きる》ことへと発展していく。

② 潜在意識の積極的改造/成功の訓練
 自分の直したい心の傾向性(カルマ)、成功のための条件、目標となる指針などをなるべく具体的に書いて、それを日々潜在意識に叩き込む。常に正しい想念、成功への想念に心が満たされ続けるための心の訓練。

③ 反省の習慣/洞察へ発展
 日常の生活・雑用の中で反省する習慣を持つ。①と同時に行うのが効果的。単なる反省から洞察する反省へと発展していく。

3-1 心の観察の習慣/真我で生きる    

 目覚めている瞬間・瞬間、常に自分の意識の動きを自分で見つめながら生活をする、最初は難しく感じるかも知れませんが、何事も習慣にすることが大切です。やがて、努力しないでもそうしている自分を発見するでしょう。これは、常に真我を心がけるに等しい作業です。何故なら、観察するのは真我によってだからです。

 真我とは、心の奥底に潜む神性のことであり、いわゆる良心のことです。本来は純粋無垢の魂なのですが、肉体の中に宿ることによって、様々な迷いや欲という波動を魂はいつも受けています。その波動を完全に遮断することはできません。しかし肉体からの波動を受けつつも、自分の心をコントロールしていく努力が極めて大切です。

 心の観察習慣は、自らの神性を確認する作業でもあり、これを日々の生活の中において心の習慣にすることで、真我の度合いは高まり、自らの神性を大きく引き出していくことになっていくはずです。従って、誤った想念の発生自体が次第に減っていきます。

 最初は静かに座って、反省と瞑想によって真我を回復また確認する作業をする必要がありますが、過去の清算を終え、正しさの基準というものが分かったら、日々の生活の中で心の観察をする習慣を身につけることが大切だということです。これをしないで、一日を終えてから反省しても、落ち葉はなかなか減ってはいきませんし、自分を変えていくことも難しいのです。

 悟りを得たいとか、真我を獲得したいとか、その事ばかりに意識を向け作法に従って瞑想や反省を続けても、日々の生活の中で心の動きを観察する習慣がなければ、実りあるものとなかなかなっていかないと申し上げているのです。

 姉妹サイトを『日々神理の探究』と命名しましたが、これは真我で毎日の生活を送り、自己実現を果たし、世に少しでも貢献していきたい、そういう願いが込められています。心の観察習慣は、真我で生きることと同じ意味であるのです。

 真我、悟り、自己実現、世に対する貢献、これらは別々にあるのではなく、生活の中で同時に実現されるものです。《自己を完成した後に》幸福になれるとか、世に貢献できる、幸福になれる、そういう考え方ではないということです。

 正法神理を生活に活かす事で、真我、悟り、自己実現、世に対する貢献、これらは同時に獲得できるのだという認識がされなければならないのです。その原点が、日々の瞬間・瞬間において、自己の心を観察する習慣なのです。これを除いて、《正法に生きる》などとは、とても言えないと私は思います。

3-2 潜在意識の積極的改造      

 潜在意識に叩き込むというのは、何年もかけてやる必要があります。成功するとかしないとか、そういうことを考えずにやり続ける事が大切です。そのためには毎日の習慣にしてしまうことが極めて有効であり、歯を磨くように生活の中に取り組むことが成功のための秘訣であるのです。やがて、あっ、この場面は要注意だな、と瞬時に頭に浮かぶようになります。

 失敗や誤りが発生してから、幾ら反省してもなかなか直りません。同じ事を数回程度反省しても、直すのは難しいのです。ですから、何回も生まれ変わることになります。何故なら、《失敗癖》がついているからです。ですから、成功するためには、成功体験を積み上げ、失敗癖を強制的に直せばいいのです。癖というのはこういう事です。

 荷車の車輪を思い浮かべてください。舗装していない道に轍(わだち)ができる、自分の意志に逆らって車輪はその轍(わだち)に沿って進む、やがて脱線して転覆する。何度やっても転覆します。また失敗した、と反省する、また失敗する、また反省する・・・・。

 《潜在意識の積極的改造》とは、心の中に正しい成功するための轍(わだち)を刻み込む作業です。ですから、一度や二度ではできません。そのかわり、一旦、しっかりとした轍(わだち)ができ、それに沿って心が動くようになると、ますます轍(わだち)が深くなり、もはゆ外れることがなくなります。

 ですから、成功する方向へ行くための轍(わだち)を強制的に潜在意識の中に創るのです。そうすると、自然と成功する、最初から成功する、それが成功哲学であり、自己改造なのです。そのためには、潜在意識に繰り返し暗示を与える必要があります。

 私は、何十項目も紙に書いて、毎日暗唱して10年余りになりますが、大分自分の感情をコントロールできるようになったという実感が出てきました。毎日一回、一年で365回、十年で3650回、三十年で約10,000回です。何回も生まれ変わらなくても、必ず成功する、自己改造ができる、とそう皆さんは思わないでしょうか。

 人と人との関係や、感情のコントロールに関係したことを改造するのは難しい問題ですが、単なる良い習慣を付ける、手順などで失敗しないための事項であれば、簡単に直ります。紙に書いて壁に貼り、目にとまったとき、毎回心に刻む作業をしていると、いろいろな事が生活の中でどんどんと改善していきます。これは、自己保存欲、顕示欲などの原因から発している事ではないからです。

 成功のための秘訣は、生活の中に取り入れ、習慣にしてしまうことです。歯を磨くように、そして少しづつ。やがて、何の努力もせずに、できるようになると思います。毎日、一個ずつレンガを積むだけで、やがて巨大なピラミッドができあがるように、一日10分もあれば、やがて大きな貴方の心の財産となっていくのです。

3-3 反省の習慣           

① 習慣の大切さ

 釈迦の八正道を参考にして反省する習慣を持つことが大事です。《参考に》というのは、正見、正語、正思、正業、正命、正精進、正念、正定という八つをきちんと毎日行うことができる人は少ないと思うからです。また現代生活の中で、毎日のように精神統一・瞑想する時間もなかなか取れないだろうと思います。

 反省というと、静かなところで、椅子に座るなり正座するなり足を組んで瞑想するものであるというイメージを持つとしたら、それは禅というスタイルによる先入観念であると私は思います。本当は、反省とはそういう形式的なものではなく、心の作用なのですから、心の持ち方でどうにでもなります。大事なことは、反省を習慣にすることです。

② 細切れの時間を使う

 《① 心の観察の習慣》を持つ人であれば、反省の大部分は、歩きながら、電車に乗りながら、洗濯や掃除をしながらできるはずです。つまり、毎日の生活は忙しそうに見えますが、実はその細切れの時間の使い方が非常に大切なのです。人の二倍、三倍生きる事も可能になるのです。

 正見、正語、正思は《① 心の観察の習慣》において、瞬時に修正し、また反省することが可能です。そして、忙しい場合などいろいろな原因で、『まずいなあ』という念いがあっても瞬時に反省をきちんとできなかった場合は、まだ心の決着がついていませんから、後から簡単に思いだすことができます。そして、少し時間をおいて、歩きながらでも何でも良いのですが、考えて原因を突き止め、心の整理をすることが大切です。

③ 精神統一の時間

 祈りや精神統一も、座ってやらなければできないとは、私は思いません。何故ならば、真剣に物事を考えてい時は誰でも精神統一状態にあり、また考えることを主な仕事としている方は、必ずしも座っているときばかりが考える時間ではなく、生活の中であらゆる時間を利用しているはずです。

 細切れの時間帯を使って《考える習慣》を持つことは大変有効です。何時でも何処でも考えられる様になります。次第に、単なる反省から、物事の道理を考える力、洞察する能力がついてきます。反省において重要なことは、自他の心の動きや状況を洞察する事にあります。洞察を伴わない反省は発展していかないばかりでなく、智慧の獲得へと繋がっていきません。

 精神統一の意味は、外界の雑念から自己を切り離し、自分という心の波動を整えることにあります。外界からの雑音、念波を遮断するのは自分の意志でできることであり、また誰でも実はやっていることなのです。考える事ばかりではなく、スポーツの選手も、精神統一の訓練を毎日やっている様なものです。

 もちろん、静かな場所で、一人で座って瞑想する、様々なことを反省したり洞察したりするのは理想であります。しかし、私が今こうやって文章を書いているときも、回りは必ずしも静かではなく、また何人かの人が近くにおりますが、書きながら意識を集中しているわけであり、守護霊様からのインスピレーションを受けつつある様に感じています。

 ある霊能者から聞いた事があるのですが、その方は日常生活をしながら、例えば洗濯をしながら守護霊様と心の中で会話をするらしいのです。そしてテーブルに座って、守護霊様からの通信を、会話しつつ文章として書きとめる事ができるのです。私はその現場を見たことはありませんが、その通信は、正真正銘の霊界通信であると私は信じています。

 天上界との通信は心の湖面が無色透明でなくてはなりませんから、日常生活をしながら、特に何の精神統一もせずに、心の状態を波風のない状態に保てるのであるという一つの証拠であると思います。精神統一や瞑想は歩きながらでもできる、そのように私が主張している根拠の一つです。

4.終わりに

 釈迦の八正道は自己改造のプログラムです。しかし、座って瞑想しながら反省するものであるという先入観念があり、その応用の範囲を自ら狭めているのではないでしょうか。私の主張を参考にして更に工夫し、自らの生活に取り入れ、これを習慣としていく中で、いつの間にか魂の成長・心の成長が育まれていくに違いありません。


 これが、正法神理に生きるということです。



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