ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 第2部 ヨハネの黙示録【テーマ別 解説】◆◆◆
【1】 御霊(みたま)が言うこと

第1章 人の子のような者

[1-1] イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕(しもべ)たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使(みつかい)をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。

[1-2] ヨハネは、神の言(ことば)とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。

★ 黙示--啓示、預言、神からの地上人類に対するメッセージ。
★ すぐにも--神の目からみると2000年という時間は大変短い。
★ 起るべきこと--現代に起ころうとしている人類存亡の危機。
★ 僕(しもべ)--神の使徒、正しい信仰心の持ち主、地上に生まれた天使。
★ 御使(みつかい)--神の使い、天使のこと。

【意訳】

[1-1] イエス・キリストの預言である。この預言書は、神が、二千年後の地上人類に起こるべきことを、(二千年後に、救世主とともに地上に降りることになっている)神のしもべである多くの天使たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、天使をつかわして、神のしもべである私ヨハネに伝えられたものである。

[1-2] ヨハネは、神の言葉とイエスキリストの証言と、さらに自分が(幽体離脱をして導かれ、天上界の神の御前で)見てきたすべてのことをここに書き記し、二千年後の人類に伝えるものである。

[1-3] この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。

[1-4] ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座(みざ)の前にある七つの霊から、

[1-5] また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、

[1-6] わたしたちを、その父なる神のために、御国(みくに)の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

★ 時--人類存亡の危機の時。
★ 七つの教会--イエスの教えを受けた者の教会。全世界のキリスト教伝道者。
★ 今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかた--遥かなる過去から永遠の未来まで存在するかた。全知全能の神  エホバ、またはヤーヴェのこと。
★ 七つの霊--救世主の資格をもつ大指導霊。御霊(みたま)と同じ意味。モーゼ、イエスキリスト、釈迦、そして まだ私たちが知らない方々など(前編第七章「大指導霊」参照)。
★ 忠実な証人--神の証人のこと。神の言葉を人間に伝える者。すなわち預言者。
★ その父なる神--イエス・キリストが父と呼ばれる方。全知全能の神エホバ(前編第七章「神」参照)。
★ 御国(みくに)--神の光の届く国、世界。

 「死人の中から最初に生れた者」とは、イエスキリストが十字架にかけられた後、一時的に物質化して復活し弟子の前にあらわれたことをいう。「地上の諸王の支配者」とは、地上の救世主を霊的に見た時、いかなる国王、元首よりも圧倒的な智慧を持ち、さらに神から地上の全権を任されていることからこのような表現となる(前編第七章「救世主」参照)。「権力」というのは英文で「 dominion 」と表記されており、支配・統治という意味であるが、物理的な権力でも、支配でも、統治でもない。神から地上の次の文明の全権を任されており、神の代理人として大きな力を持っていることを暗示する言葉である。

 「その血によってわたしたちを罪から解放し」とは、次のような意味である。イエスキリストが人類の罪を背負って死んだという贖罪説は有名であるが、そのようなことで人間の罪が消えるはずはない。罪を消すためには、一人ひとりが過去の行いと念いの在り方を反省し、原因(心の傾向性)を正し、今後の人生を神の子にふさわしいものにする努力を続ける以外にはない。救世主イエスキリストの誕生は「神の人類に対する愛のあかし」であった。イエスは「真の愛について」多くの教えを残された。イエスは十字架にかかることによって、「真の信仰とはどういうものか」人類に教えられたのである。

[1-7] 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

【意訳】

[1-7] 見よ、彼(イエスキリスト)は雲に乗って(ヨハネを迎えに)来られる。すべての人、ことに、彼を十字架にかけて槍で体を刺し通した者たちは、(もしこのお姿を見れば)彼を仰ぎ見るであろう。また地上のすべての人間はみな、救世主を十字架にかけた人類の罪の深さ、悲しみと恐れを思い、それゆえ胸を打って嘆くであろう。きっとそうであろう。

 ここの場面は、ヨハネが捕らえられてパトモスという島の獄につながれている時、ヨハネの霊眼が見たものである。ヨハネは幽体離脱(魂が肉体から抜け出ること)し、雲に乗って来られたイエスキリストに導かれて天上界へ昇り、神の御前で人類の未来を見せられた。そして、このことを書き記して、後世に伝えられたのがこの黙示録である。雲に乗ってヨハネを迎えにこられたイエスキリストを「地上の人間が見たとしたら」きっと驚くであろうという意味である。

 [1-8] 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる。「わたしはアルパであり、オメガである」。

【意訳】

 [1-8] 過去・現在・未来を通じ、永遠なる存在である者、全知全能の神が仰せになる。「わたしは、地球のすべての生命と実在界(実相世界の天と地)を創造した者である。

 黙示録の中に、全能の神をあらわす暗示の非常に深い「三つの言葉」があり、その一つがこの「アルパでありオメガである」である。「アルファ・オメガ」はギリシャ文字の最初と最後の文字であるが、「言葉」を象徴した暗示である。「初めに言(ことば)があった。言は神とともにあった。言は神であった。」(ヨハネ・1-1 )という文章があるが、これは、神は念いによってすべてを創造されたという意味であり、念いが表現されて「言葉」となる。すなわち、「わたしは地球系霊団と実在の世界(天と地)の創造者である」という暗示の言葉である。この「天と地」というのは、実相の世界に数多くの次元が存在し、その次元の境界をあらわす「天と地」のことであり、天は上の次元との境界、地は下の次元との境界を表す(第七章「神」参照)。

[1-9] あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国(みくに)と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言(ことば)とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

【意訳】

[1-9] ヨハネはあなたがたの兄弟であり、イエスの苦難を思い、またイエスの教えに満ちた世界(ユートピア)を思い、(そしてこの地上世界にイエスの教えの世界を実現せんとして)、あなたがたと共に精進と忍耐を重ねている。そして神の言葉とイエスのすすめにより、私はパトモスという島にいた。

[1-10] ところが、わたしは、主の日に御霊(みたま)に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。

[1-11] その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。

★ 主の日--the Lords day 日曜日。

 「御霊に感じた」とは、英文では「 I was in the Spirit. 」と書かれている。御霊(the Spirits)は地球系霊団の最高指導霊のことである。イエスキリストやモーゼもその中の一人であるが、現在の文明に名前の残っていない、われわれの知らない方々を「御霊」と称している。「御霊に感じた」というのは、「大指導霊のオーラに包まれた」という訳が正しい(前編第七章「大指導霊」参照)。

[1-12] そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台(しょくだい)が目についた。

[1-13] それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。

 「人の子のような者」と称する方を表現する様々な言葉が、後に続く本文の中で何度か使用されている。着ているものや声色等で同一人物であることを表現しているので注意されたい。きわめて大きな力を持つ大指導霊であり、この黙示録に登場するイエスキリスト、モーゼ、「勝利を得る者」(悟りたる者・救世主)の三人以外に七人の御霊(大指導霊)がおられるが、その七人を代表する方であることが本書を読み進むうちに分かってくる(詳細は前編第七章 大指導霊「人の子のような者」を参照)。

[1-14] そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。

[1-15] その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。

[1-16] その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。

★ するどいもろ刃のつるぎ--正邪を分かつ剣または神の叡智のこと。神の言葉の霊的波動は悪霊に対し「つるぎ」のような効果がある。前編第七章 救世主「口から出た鋭いつるぎ」参照。

 「目は燃える炎、足は光り輝くしんちゅう、声は大水のとどろき」という表現は、霊的エネルギ-の巨大さを表現するものであり、非常に大きな力を持つ大指導霊であることを暗示している。

[1-17] わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、

[1-18] また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉(よみ)とのかぎを持っている。

【意訳】

[1-17,18] ‥‥恐れてはいけない。人は魂の永遠の進化のために実相世界と地上を輪廻転生するものであり、私はそのシステムの創造者である。私も地上に肉体をもち、そして死んだことはあるが、この通り霊として永遠に生きている。


 そして私は、生命の(霊的な)本質(構造・原理・成り立ち・進化の法則)について知る者であり、とくに魂の進化にとって重要な「死者収容所(死と黄泉)」での裁き(審査・反省・行き先の決定)についての秘密を知ると同時に、そのようなシステムを創造した者でもある。

 「初めであり、終りであり」は前述の全能の神をあらわす「三つの言葉」の一つであるが、詳しくは前編第七章 神「全知全能の神」の項で述べたので、そちらを参照されたい。

 「死んだことはあるが、世々限りなく生きている者である」という表現は、この方(大指導霊)も肉体をもって地上(地球とは限らない)に生まれたことがあることを示しており、肉体的には死んだこともあるが、死んでも命があると言っているのである。すなわち、生命の実相は霊であり、永遠の命を持ったものであるという暗示の言葉である。

 「死と黄泉(よみ)のかぎ」の「死」という言葉は肉体的な死の意味ではなく、精神の自由を百パーセント失って(パニック・恐怖・強烈な自己否定などで)死んだ魂、すなわち精神的仮死状態の魂のただよう場所、収容所のことであり、「黄泉」とは通常の死を迎えた魂が一時的に収容される場所のことであり、いずれも四次元幽界にある。[6-8]、[20-13,14]参照。

 「かぎ」とは 秘密のことであるが、これにはさらに深い意味がある。魂が進化していくためのシステムが輪廻転生であるが、地上の修業を演劇の舞台で演ずる「配役」に例えれば、舞台が終わって(肉体的な死)舞台裏(あの世)に帰ったとき、演技が良かったかどうか指導者から批評を受けるであろう(反省)。すなわち、死んだ後、死者が裁かれるというのはそういう意味であって、人間の自由意志で地上の人世を送ったことに対する「反省のシステム」が「死と黄泉(よみ)のかぎ」の「かぎ=秘密」の意味である(詳細は前編 第六章「輪廻転生」参照)。「地上界・天上界・地獄界」というものを、実相として見た時の「霊の本質の秘密を知る者」、または「そのようなシステムを創造した者」という暗示の言葉である。

 ここは輪廻転生と生命の実相、この世とあの世の関係を示す非常に深い意味のある文章である。

[1-19] そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。

[1-20] あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台(しょくだい)との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使いであり、七つの燭台は七つの教会である。

★ 奥義--(英)mystery 秘密、または深い意味のこと。
★ 七つの教会の御使--全世界のキリスト教伝道者。
★ 七つの燭台--法・神の教えは人びとの光明となることの象徴(法灯)であり、その資格ある教会。



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