ヨハネの黙示録・全ての謎が分かる

The Seven Seals

◆◆◆ 第2部 ヨハネの黙示録【テーマ別 解説】◆◆◆
【1】 御霊(みたま)が言うこと

第2章 伝道者に対する警告と勝利を得る者 [その2]

[3-1] サルデスにある教会の御使(みつかい)に、こう書きおくりなさい。「神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。

[3-2] 目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない

★ 神の七つの霊と七つの星を持つかた--「人の子のような」大指導霊 [1-13~16] 参照。
★ わざ--イエスキリストの教えを実践し、教え広める「教え方・導き方」。
★ 生きている--肉体的には生きている。
★ 実は死んでいる--心を霊的に見た時、「死んでいるのと同じ」だということ。神理を正しく自分のものにしていないこと。
★ 目をさましていて--(英文)Awake, and strengthen what remains and.....正しい訳は「目覚めよ」。正しい教えとは何かということに目覚めよという意味。
★ 死にかけている残りの者たち--精神的に死にかけているという意味。堕落しかけているという意味。
★ 力づけなさい--信仰がぐらついているので、信ずることの正しさをよく教えなさいという意味。

【意訳】

[3-1] ‥‥人の子のような大指導霊が、次のように言われる。わたくしはあなたの行い、イエスの教えを受け継ぐ者としての、あなたの働きについて知っている。すなわち、あなたは布教活動というのは名だけで、実際にはイエスの教えがまったく分かってはいない。

[3-2] めざめよ! そして悪魔サタンの影響を受けて信仰がぐらついている者たちを勇気づけなさい。わたしは、あなたの神理伝道者としての働きが、神のみまえに完全であるとは見ていなさい。

 イエスキリストの教えを正しく学んでいないため、霊的に見た時、「死んでいるのと同じ」だというのである。生きている魂とは、「輝き」を放っている状態であり、念いが正しく、神の光が心の中に差している(神の心と同通する)状態のことである。

 [1-13~16]に示されている「人の子のような」大指導霊を紹介する文章には、「神の七つの霊」を持つとは書いてないのであるが、[3-1] の「神の七つの霊と七つの星を持つ方」という表現から、神の代理人と呼ばれる方が複数おられ、この方がこの七人を束ねる方、またはこのヨハネの黙示録には名前が登場しない七人を代表している存在であることが分かる。

[3-3] だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人(ぬすびと)のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。

★ どのようにして受けたか、また聞いたか--イエスの説法をどのようにあなたの心が受け止めたのか、またどのようにあなたの耳には聞こえたのか、思い起こしなさい。
★ 悔い改め--念いの間違いの原因を追求し、深く心に刻むこと。
★ 目をさまして--イエスの教えを「正しく」理解する。「神理」に目覚める。

【意訳】

[3-3] イエスキリスト存命中、あなたはイエスの説法をどのようにその耳で聞き、その心で受け止めたのかを、よくよく思い出し、それを守り通し、かつ「思い違い」をしていた自分について深く反省しなさい。もし、真の教えに目覚めていないならば、わたしは誰にも知られず、すみやかにやって来るであろう。どんな時にあなたのところへ来るか、あなたには決して分からないであろう。

 「盜人のように来る」という言葉は、人知れず人びとの「念いと行い」を見ており、全世界のいかなる場所にも、また同時に複数の場所にも瞬時に移動し出現する力を持つという意味であり、神の属性を示す言葉として深い意味がある。これは霊の本質にかかわることであり、程度の差こそあれ、一般の霊についても同様のことがいえるのである。

[3-4] しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。

[3-5] 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。。

★ その衣を汚さない人--肉体の上に着る衣でなく、その人の魂、心の上に着る衣。神の前で恥じない心を持った者。心の清く正しい者。
★ 白い衣--右に同じ。
★ いのちの書--神を信じ、教えを守り、神とともに歩む者のリスト。いのちの本質、霊の本質に目覚めている者のリスト。前編第六章「生命の本質」参照。
★ わたしの父--全知全能の神エホバ

【意訳】

[3-4] しかしサルディスには、その心を清く正しく保っている者が数人いる。彼らは心を清く正しく保ち、神とともに歩み続けるであろう。彼らはそれにふさわしい者である。

[3-5] 悟りを開いた者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その者の名を天国にあるリストに永遠に書き記す。わたしの父、全知全能の神エホバと、エホバに仕える全天使の前でその名前を高らかに宣言するであろう。』

 「いのち」とは生命の本質のことであり、すなわち霊というものの働きのすべてに関係する言葉である。霊とは神の息吹きの宿った生命エネルギーであり、波動であり、そこにはおのずと法則がある。波長同通の法則、創造と破壊の法則、進化の法則‥‥などが存在するであろう。「いのちの書」とはその中でも「魂の進化」を管理する記録書のようなものである。

[3-6] 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」。

 この文章は「人の子のような」大指導霊[2-7 参照)が言っているのであるが、ここの「御霊」とは、約十人の大指導霊の一人「モーゼ」のことであり、[3-8~12]において語っている。

[3-7] ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。「聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。

★ ダビデ--BC1000年頃、国都をエルサレムに定め、約 40 年間イスラエルの王となった人物。

 ここでは、これまでずっと語ってきた神エホバの使いである「人の子のような」大指導霊とは異なる方を紹介している。すなわち、ダビデはイスラエルを国家として統一した王であるから、そのカギと秘密を知っている方を暗示しているのである。開けたり、閉めたりするのは「門または扉」であり、それは「人の出入り」を象徴しているが、もっと深く理解すると「人びとの生活」をあらわしている。その「人びとの生活」の規範として「絶対的な権威」を持つ方とは、「モーゼ」しかいない。「聖なる者、まことなる者」とは「モーゼ」を暗示している(前編第七章 大指導霊「モーゼ」参照。

[3-8] わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。

[3-9] 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、 そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。

[3-10] 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試練の時に、あなたを防ぎ守ろう。

★ 誰も閉じることのできない門--神だけが開けたり閉じたりできる門。天国に入る門。あなたには天国に入る資格がある、ということを示している。
★ 少ししか力がなかった--社会的な立場における力(財力・体力)がないという意味。
★ わたしの言葉--神の教え・救世主の教え・神理。
★ サタンの会堂に属する者--サタンの影響下、支配下にある者。神を冒涜する者。
【知らず知らずのうちに悪魔サタンの影響を受けているが、本人は決してそう思ってはいない。】
★ 全世界に臨もうとしている試練の時--ムー文明、アトランティス文明と同じように、人類に与えようとしている試練。今回の人類存亡の危機。
★ あなたを防ぎ守ろう--試練(天変地異・戦争・病気・・・・・)、または悪魔サタンの霊的作用の両方から守ること(必ずしも肉体的に守ることを意味しない)。

 神を「正しく」信仰して神を愛する者は、誰でも神の愛を受けることができる。本来神は、神を冒涜する者をも愛しておられるのであるが、冒涜する者と正しい信仰のない者は、「心の曇り」のため、神の愛・神の光を受け入れることができない。「サタンの会堂に属する者」も、サタンを神だと思って信仰しているのであり、神を冒涜する言葉を語っても、本人は冒涜しているとは思っていないのである。[3-9]の文章は、神が奇跡を起こして、「あなた」の神が正しい神であることを世間に知らせ、「彼ら」が自分の信仰していたのが偽者の神(悪魔サタン)であったことに気付かせようという意味の言葉である。「わたしがあなたを愛している」という言葉は、どちらの信仰する神が正しい神であるかを示すものである。

 救世主の教えを伝道しようとする者に対し、悪口・雑言が浴びせられても、サラサラと右から左へ流していく心の持ち方、我慢したりこらえるのではなく、相手の毒を心に止めない「忍耐のしかた」、それが「忍耐についてのわたしの言葉」の真意である。

 神に祈り、神の名を唱える者は大勢いる。しかし神の教えを守り、神に恥じない「念いや行い」を心掛けながら日々生活する者は少ない。真に神を「正しく」信仰し、神を愛しているかを試すと神は言っておられるが、「試す」という言葉を用いるのは方便としてであって、神は人間を試さずとも一人ひとりの「心のすべて」をお見通しである。むしろ、人間が自らの「魂の学び」として試されるという意味にとった方がよいのであり、これが「地上に住む者たちをためす」という言葉の真意である。

[3-11] わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。

[3-12] 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名(みな)と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。

★ あなたの冠--「いのちの冠」[2-10]のこと。心の王国を守り通す者に与えられる冠・勲章(前編第六章 生命の本質「いのちの冠」参照)。
★ 二度と外へ出ることはない--地上に下生した救世主が、肉体を去って再び天国へ昇天して来たならば、二度と地上へ出ることはない(実際には数千年に一度下生する)。
★ 天とわたしの神のみもと--「天」とは地上の天ではない。天上界は波動の原理によって多くの次元に分かれており、何層もの「天と地」が存在する。
★ 新しいエルサレム--全知全能の神が地上に与える人類史上最大の試練と存亡の危機の後、数多く昇天する人類の魂が住むために造営される都。
★ わたしの新しい名--ダビデの鍵を持ち、イスラエル人に対し絶対的権威を持つモーゼ([3-7] 注参照)。地上に下生して悟りを開き人びとを教え導くたびに、地上の時の名前が一つ増えるが、その最新の名(前編第七章 大指導霊「モーゼ」参照)。

【意訳】

[3-7]‥‥ 聖なる者、まことなる者、イスラエル建国の秘密を知り、イスラエルの民の生活規範において絶対的権威を持つ者(モーゼ)が、次のように言われる。

[3-8] わたしはあなたの布教活動における、その働きを知っている。見よ、あなたの前に、私だけが開けることのできる天国の門を開いておいた。なぜならあなたは、社会的には非力にもかかわらず、私の教えをよく守り、どのように迫害を受けようと、私の名(神の名)を呼び続けたからである。

[3-9] 見よ、悪魔サタンの支配下にある者、すなわち、神に対して信仰が厚いかのようなことを言うが、その実、神を冒涜する者、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らが信仰している神(悪魔サタン)とあなたが信仰している神(真の神)のどちらが正しい神かを示すために、わたしは「奇跡」を起こして彼らに気付きを与え、彼らがあなたの足元にきて平伏するようにし、そして、神を真に愛する者は誰でも神に愛されることを彼らに知らせよう。

[3-10] 悪意のある言葉や行いを受けても、その毒を心に止めずサラサラと流していくという「真の忍耐」についての私の教えをあなたはよく守ったから、わたしも、地上に住む者たちでいたずらに神の名を唱える者たちの信仰が真実のものかを試すため、全世界に臨もうとしている人類存亡の試練の時に、あらゆる災害と悪魔サタンの霊的作用からあなたを守るであろう。

[3-11] わたしはすみやかに来る。貴方の大事な信仰が失われないよう、あなたの最も大事にしている心の王国をしっかりと守っていなさい。

[3-12] 神が与える人類存亡の試練の時代に、地上に生まれた救世主が、悟りを開き、使命に目覚め、救世の事業を成功させて帰天したときには、彼の勝利を祝して、わたしの神の聖所における重要な座を与えよう。彼は帰天したならば、もう二度と地上へ出ることはないだろう。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち天国に新たに造営される新しい都エサレムの名と、わたしが前回地上に降りた時に付けられた新しい名(モーゼ)を書きつけ、彼をたたえるであろう。

 ここで注意しておかなければならないのは、この言葉はモーゼの言葉というより、全知全能の神(エホバ)の代理人としての言葉であることである。モーゼの名前が暗示で示されている理由がここにある。天上界におられるモーゼは「地上に在りし時のモーゼ」ではなく、モーゼという意識は全部の魂エネルギーのごく一部なのである。また全知全能の神とはイエスやモーゼなどの十人の地球最高指導者(地球の神)の総称である。このことを踏まえれば、モーゼの「このような言葉づかい」が理解されよう(後述)。

[3-13] 耳のある者は、御霊(みたま)が諸教会に言うことを聞くがよい」。

[3-14] ラオデキヤにある教会の御使(みつかい)に、こう書き送りなさい。「アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。

★ アァメンたる者--ここではイエスキリストを指す。「アァメン」という言葉には二つの意味があるが、これについては前編第七章の大指導霊「イエスキリスト」の項の詳説を参照。
★ 忠実な、まことの証人--全知全能の神エホバに対し忠実な神の代理人。救世主。
★ 神に造られたものの根源であるかた--地球系霊団の最高指導者である十人前後の大指導霊は、人類の魂の創造よりはるかな昔に、より高次元の神により創造された方々であることを暗示した言葉(前編第七章「神」参照)。

【意訳】

[3-14] エジプトの太陽神アモン・ラーにゆかりのある方(イエスキリスト)、宇宙創造の神の忠実な代理人であり、宇宙創造の当初より造られた最も古い魂の一人である方が、次のように言われる。。

[3-15] わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
[3-16] このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。

[3-17] あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。

[3-18] そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。

★ 冷たくも熱くもない--伝道者としての日々の修行や布教活動に対して、中途半端な気持ちでいるということ。
★ あなたを口から吐き出そう--神の霊的な保護はもう与えないので、自分一人になってよく反省せよという意味。努力と精進を重ねているものは、インスピレーションという形で様々に「神の指導」が受けられるということの暗示でもある。
★ 富んでいる、豊かになった--物質的・金銭的な意味での豊かさ。
★ 不自由もない--肉体的に不自由もない。そして精神的にも自由だと思い込んでいること。
★ 目の見えない者--「心の目」が開いていない、物事の本質・真実を見抜く力がないこと(神理を十分に習得していないことからくる)。
★ 裸な者--神の愛を受け止めることができない者。悪魔サタンに対して無防備な者。正邪を見分ける力のない者。それは心の「念いの在り方」に誤りがあるからであって、まず心が「清く正しく」ないこと、そのうえに「神の教え・神理」を正しく理解していないことを意味している。
★ 富む者--心豊かな者。神の愛を受け止めることのできる者。心が清く正しく、神の教えを正しく理解し、日々努力精進している者。
★ 精錬された金--神の叡智の結晶。神理。
★ 白い衣--心の上に着る衣。心が「清く正しい」上に、「正しい信仰」があることの象徴。
★ 裸の恥をさらす--神の目から見た時、神理に目覚めていない者は、裸の恥をさらしているのとまったく同じように見える。
★ 見えるようにするため--物事の本質を見抜くこと。正邪の区別。
★ 目薬--「火・精錬・金」の話と同じ。神の叡智の結晶「神理」のこと

【意訳】

[3-17] あなたは金銭的に自分は富んでいる、豊かになった、肉体的にも精神的にも何の不自由 もないと言っているが、実は精神的にはあなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、物事の本質が見えない者、悪魔サタンに対して無防備な者であることに気が付いていない。

[3-18] そこであなたに勧める。真に富む者となるために、私から神の教えを学び、今までのことを深く反省して神に恥じない心となりなさい。そうすれば物事の本質がよく見えてくる「智慧」 というものが授かるであろう。

 神の目から見た時、また精神的価値に目覚めた時、この地上世界は一時の魂の修行の場であることを理解した時、何が「みじめで貧しい者」か、何が「富む者」であるかが分かるであろう。「精錬された」とは純粋でまじりけのないことであり、「金」とは物質的には最も価値のあるものの代名詞である。すなわち、「火で精練された金」とは神の叡智の結晶である「神の言葉・教え・神理」ことであり、「買う」とは神理を学ぶことを暗示する言葉である。「富む者」とは、単に心が清く正しく信仰心があるだけではなく、深く「神理」を学び実践することによって神の叡智を自分のものにし、「物事の本質を見抜き、無条件の愛を与え、人を生かし、人を許せる」ようになった者をいうのである。

[3-19] すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
 
[3-20] 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。。

★ 戸の外--「心の窓」の向こう側という意味。心の奥底。
★ たたく--「心に訴え続けている」ということ。
★ 戸を開ける--「心の窓」を開くこと。具体的には「悔い改め・反省」をすることにより、心の発する波動が徐々に神の波動に近くなり、やがて同調できるようになる。「心の曇り」を取り払うことにより、天上界からの通信を受信できるようになること。
★ その中にはいって--あなたの心の中に入って。
★ 食を共にし--日々の生活において、神と共に生きること。

【意訳】

[3-19] 私は全人類の親であり、全ての人びとを等しく愛している。だから私の愛している子供である人類をしかったり、懲らしめたりする。過去の「行いと念いのあり方」について熱心に反省し、親である神の心を心として生きていけるように改めなさい。

[3-20] 見よ、私はすべての人間の心の奥底からいつも働きかけをしている。誰でもわたしの存在に気付き心を開くならば、その者は日々わたしとともに生きることができるであろう。

 神を信じ、神に恥じない生き方をしている者は、誰でも神の愛・霊的エネルギー・生命エネルギーを豊かに受け取ることができる。しかし、神に恥じる生き方をする者は神の愛を受け取ることができない。善人悪人を問わず神はすべての人間を愛しておられるのであるが、神の愛を受けるには、受け取る人間の心の波動が神の波動と一致しなくてはならないのである。そのためには、過去のことを一つひとつ思い出してその「念いと行い」を点検し、神に恥じることがあれば神に許しを乞い、人を傷つけたならばその人に心の中で許しを乞い、どうしてそうなったのか、自分の心の傾向性・働きといったものの原因を探り、再び同じ状況におかれた時に、神に恥じることのない行動ができるように深く心に刻むことである。

「心の傾向性」に修正をかけていき、自分の魂に欠けている部分、歪んでいる部分を「自らの努力」によってこれを正していく、そのような日々の努力を神は最も喜ばれるのである。親が子供を思う気持ちになれば、誰でも理解できることであろう。

[3-21] 勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座(みざ)についたのと同様である。

[3-22] 耳のある者は、御霊(みたま)が諸教会に言うことを聞くがよい」。。

★ わたしの座--ここで語っている方はイエスキリストであるので、イエスキリストが地上で悟りを開き、救世の使命を果たして帰天した時に着かれた「救世主の座」のこと。
★ その御座--救世主(神の代理人)の座。

【意訳】

[3-21] 地上にて悟りを開き使命を果たした者には、私イエスとともに救世主(神の代理人)の座に着かせよう。それはちょうど、私が地上に下生したとき悟りを開くことができ、私の父である全知全能の神エホバとともにその救世主の座についたのと同様である。

 ここの「悟り」とは、救世主としての高度の悟りの意味である。「父と共に」というのは、「父」とイエスキリストは同じ大指導霊であること暗示する言葉である。イエスキリスト・モーゼ・釈迦などは同じ地球系霊団の最高指導霊であり、全部で十人前後の方々がおられるのであるが、「父」と「神エホバ」という名称はこの方々を総称する方便としての呼び名である。そして、イエスが地上にある時に「父」と呼んだ立場に、今回はイエスキリストと他の方々がおられるという意味であり、すなわち今回地上へ派遣された救世主の「父」になられる方がイエスキリストと他の七つの霊・御霊であるという暗示なのである。「父」となぜ呼ぶのかについては、前編 第七章「神」を参照されたい



御自由にリンクを貼っていただいて結構です
LinkIcon
http://www.the-seven-seals.jp/

The free background
photographs are acquired from
http://www.h3.dion.ne.jp/~xosada/index.html